2014年04月07日

◆「南京大虐殺はなかった」を読むF

平井 修一


■終わりに

結論と致しまして、南京において不法行為は1つも無かったとは申しませんが、しかし日本の兵隊は極悪非道な事ばかりをしていたというのは、色々話して参りましたように全くのウソであります。

ですから一般常識から言って「南京虐殺は無かった」と言って良いと私は思います。

にもかかわらず、日本人の大部分の人が何の疑いも無く「南京大虐殺」を信じ、政治家は臆面もなく「悪いことをしました」と土下座外交をしています。

一体これが独立国の外交でしょうか。このような態度は徒に外国の侮(あなど)りを招くだけです。

その証拠に、金丸氏が北朝鮮に行った際、「戦後45年の賠償」というような無礼極まる要求をされているのです。日本は北朝鮮と戦争をしたことは一度も無いのです。賠償をしなければならない理由は全くないにもかかわらず、戦後の分まで払えと言われているのです。

そんな要求をされること、これこそ日本が軽侮されている証拠ではないでしょうか。

あるいは歴代の総理大臣が、なぜ靖国神社には参ろうとしないのか。

日本の靖国神社には参拝しないで、しかもアメリカのアーリントン墓地には参って花輪を献じ、朝鮮に行っては伊藤博文を暗殺した安重根や、昭和天皇に爆弾を投じた不逞の徒を国士として祀ってある忠魂碑に土下座して額き、いささかも恥ずる事を知らぬ醜態は、正視するに堪えない国辱であります。

このような外交姿勢であってよいのでしょうか。

またロシアは、不法に北方領土を侵略、強奪しています。その返還には誠意の片鱗も示さないで、しかも日本の経済援助を当然のように要求しています。

これも、日本が侮(あなど)られている証拠でしょう。

日本は独立国であり、我々は独立国の国民であるということを、もっと真剣に考えようではありませんか。

この輝かしい伝統を持つ日本の歴史を、後世にきちんと伝えていくのが我々の務めではないですか。

その為には、日本人一人一人が、日本の姿を正しくみつめて、日本の国を大事にする事、すなわち国旗日の丸・君が代を大事にしなければならないのではないでしょうか。

日本の教科書に「虐殺」が書かれている、これは重大な事です。日本の教育は荒廃し、政治も堕落しています。日本の教科書に、「南京における虐殺」という言葉がなぜ平気で書かれているのか、文部省は一体何をしているのか。

そういうことを書いて青少年を教育するから、独立国の国民たるのプライドも無く、いたずらにエコノミック・アニマル的国民に堕落するのではないでしょうか。

最後に、レーニンはその著書「国家と革命」の中に、「青少年をして祖国の前途に絶望せしめる事が、革命精神養成の最良の道である」と書いています。

現在の日本がまさにこの危機に直面しているのではないでしょうか。

現在の我々が、この大事な日本を後世に立派に申し継がなければならないのです。そうして青少年が日本の国に対する誇りを持つように育てなければならないと、私は考えています。

我々がそれをやらなければ、誰がやってくれるのでしょうか。

元々自分の家庭で子供に日本の国の大事さ、良さ、日本人としての誇りを持たせる努力をしなければならないのではないでしょうか。

教育の場にある人は、その職場でそれをやって頂きたいと思うのです。

大変まとまりの無いお話を致しましたが、いくらかでもご理解を頂ければ有り難く存じます。ご清聴まことにありがとうございました。(拍手)

■質疑応答

[問]戦場で一兵士が日記や手記をつづるということは、大体許されていたのでしょうか? 軍の機密を保持するために、禁止されていたのではないでしょうか?

[答]禁止はされていませんでした。しかし、背嚢(はいのう=兵士の背中に背負うバッグ)にノートや筆記用具などを入れる余裕があったのか、戦場で克明につづる必要があったのか等、戦場の実態を考えると、「日記が出た」「日記が出た」と言われて虐殺の証拠だと言われているものの多くはウソであろうと思います。

後に記憶をたどり、しかもジャーナリズムにおもねる気持ちで書いたものだと思います。一兵士が日記に軍の配備などを書いていますが、そんなことは分からないはずです。

大隊長クラスの私でさえ、連隊の全部、ましてや師団の全部がどうなっているかは等は分からないで、自分の目の前が精一杯なのです。

にもかかわらず、一兵士が隣の連隊がどこでどうした等と、まるで軍司令官か参謀長のようなことを日記に書いてあれば、これはウソだと言うしかありません。

それを見破ることも新聞記者には出来ないし、あるいは故意に見破ろうとしないのです。

[問]「南京大虐殺」については、当時英米の新聞等にも載っていないんでしょう? もし、実際にあったのならば、英米の新聞記者も当時南京にいた訳ですから、それを書かない訳がないでしょう。

[答]当時、英米でそういう記事が載ったという事は聞いていませんね。

[問]中国共産党の歴史書には、日本軍の「三光作戦」という言葉が必ず出てくるのですが、殺光(皆殺しにする)、搶光(略奪しつくす)、焼光(焼きつくす)という作戦命令は、実際に日本軍で出ていたのでしょうか? これは日本の教科書にもたびたび出てくる言葉となっているのです
が・・・

[答]軍の命令としてそんな事を出すという事は、絶対にあり得ない事です。中国軍が退却する際の「清野空室」という作戦についてお話しましたが、「三光作戦」も中国側で言い出して、ジャーナリズムはそれを無批判に使っているものでしょう。

私は自分の部下には、「殺さなければ殺されるという場合にのみ殺せ」と指示し、住民はもちろん敵兵であっても、無抵抗の者を殺す事は禁じていました。それは軍隊の常識でもあります。

[付・便衣兵について]

便衣兵は陸戦法規の違反である。戦時国際法によると、「便衣兵は交戦資格を有しないもの」とされている。交戦資格を有しない者が軍事行動に従事して捕らえられた際、捕虜としての待遇は与えられず、戦時重犯罪人として処罰を受けなければならない。(田畑茂二郎著「新訂国際法」下、203ページより)

非交戦者の行為としては、その資格なき敵対行為を敢てする如き、いづれも戦時重罪犯の下に死刑または死刑に近き重刑に処せられるのが、戦時公法の認むる一般の慣例である。(信夫淳平博士著「上海戦と国際法」125ページ)

<森王琢講師の略歴>

明治42年  山口県生まれ
昭和 2年  山口県立防府中学校卒業 陸軍士官学校予科入校
昭和 6年  陸軍士官学校卒業 少尉任官(43期生)
昭和12年  大尉 歩兵第20連隊(福知山)中隊長として支那事変出征
途中大隊長戦死のため大隊長代行 南京総攻撃には大隊を指揮して参戦

昭和16年  少佐 歩兵第76連隊(朝鮮羅南)大隊長
昭和17年  独立速射砲大隊長(南方戦線)
昭和18年  6月 陸軍航空整備学校附
昭和19年  2月 大本営航空路飛行場司令部部員 。終戦に至る
現在    国民文化研究会会員

付記・独立速射砲大隊は師団にも属さず連隊もなく、作戦の際、軍直轄にて運用される、対戦車砲(37ミリ口径)を装備された機械化部隊。

                       (2014/4/5)

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