2014年04月08日

◆ハイリスク手術をクリアした(12)

石岡 荘十


〜心臓手術、怖れるに足らず〜

25 心臓手術で死なないために

手術後、友人たちの感想や疑問は極めて素朴なものだった。曰く---「ペースメーカーを入れたのか」

「また弁を入れ換えたのか。心臓って弁がいくつあるんだ?」---。

私の友人が特別、教養がないというわけではない。社会的にそれなりに高いステータスを達成した面々だ。それなのに、心臓手術というとすぐペースメーカーと思ったり、心臓弁はひとつしかないものと思い込んでいたりする。

普段は天下国家を酒の肴にぶちまくるような“知識人”でも、心臓弁の名前ひとつ知らず、まして4つある弁の機能をちゃんと答えられる人は少ない。

その上、心臓疾患に関わる自覚症状があっても、その意味を理解せず、あるいは理解する“常識”がない。結果、最悪の事態を招いた症例や、普段から最悪の事態を想定していなかったことで重い後遺症に苦しむ結果を招くというケースは無数にある。

25・1 ケースワーク「小渕元首相」

例えば、小渕恵三元首相(当時62歳)。2000年、脳梗塞で死亡ということになっているが、じつは不整脈のひとつ心房細動の前兆がありながら、適切なタイミングの適切な治療を逸したケースだ。千鶴子夫人が、文藝春秋(同年7月号)にこう書いている。

<竹下内閣発足前に一度倒れたため、ずっと心臓が悪いといわれてきましたが、不整脈が出るくらいでした>

不整脈(心房細動)でできた血栓(血の塊)が脳に飛んで血管を詰まらせた。心原性脳梗塞、心疾患が原因で脳血管が詰まった、つまり医学的には「脳塞栓」だったというのが専門医の間では定説となっている。心臓でできた血栓、血の塊が脳に飛んで脳の血管を詰まらせた。火元は心臓で脳の疾患は“もらい火”だったことになる。

25・2 ケースワーク「長嶋茂雄」

長嶋茂雄(当時68歳)さんは2004年、やはり小渕さんと同じ心原性脳梗塞で半身不随に陥った。多分、普段から不整脈の兆候はあったとおもわれる。しかし長嶋さんは、まさかこんな事態になることを普段から想定していなかった。だからイザというときに初動で躓いた。

多分、3月4日午前3時ごろ、体調に異変を感じて動けなくなった。幸い迎えに来ていたハイヤーの運転手の気転で、東京・青山にある東京女子医大の青山分院に駆け込んだ。そこは長嶋さんがいつも人間ドックを受けていた病院なのだが、青山分院では検査はするけど、手術はしない。

そこで新宿区河田町にある同病院の本院に転送されるが、脳神経治療の専門医師のところへたどり着くまで6時間もかかってしまった。その間、脳血管の詰まったところから下流では、脳細胞の壊死が始まっていた。

一命はとりとめたものの、重い後遺症が残った。「もう3〜4時間早く手当てが出来ていればこんなことにはならなかっただろう」と専門医は言う。

いまなら3時間以内に専門病院に駆け込むことが出来れば、t-PAという血栓溶解剤(静脈注射)を投与できる。これでうまくいくと3人に1人は何の後遺症も残さず、回復できる。当時はまだt-PAの投与は認可されておらず、結局、生涯右半身不随という後遺症が残った。仮に、このときt-PAを使えたとしても、治療まで3時間というタイミングを逸しているから、結果は同じことになっていただろう。

27 中高年の健康への無関心・常識の欠落

小渕元首相や長嶋さんに共通しているのは、年相応の“健康常識”への無関心と、日常生活における健康意識の低さだ。

50歳以上の中高年にとって、死亡原因第2位の心疾患に関する常識の有る無しが生死を分ける。にもかかわらず、人はなぜこんなに学習しないのか。

考えられる理由は、3大疾病の多くは自覚症状がない。気がついたときは手の施しようがない疾病であるためだ。症状があっても、それが心臓の不具合に起因しているかもしれないという知識がない。

つまり年相応の常識がなく、オレがそんな病気になるはずがない、と思い込んでいる。だから、心臓手術を宣告されると、不意を突かれたように、異口同音、患者のほとんどが発する台詞はこうだ。

「なんでこのオレが、わたしが---」

人は見たくないものは見えない、知りたくないことは覚えようとしないものだ。気持ちはわかる。だが、日本人の死亡原因を年代別に見ると、50代に入った途端、心疾患が死亡原因の第2位に登場する。

その後、89歳まで2位の座を譲ることはない。ということは、心臓病は50代以上の人なら誰が襲われても不思議ではない疾患だということになる。高血圧を含めると、250〜300万人が心疾患の“適齢期”なのだ。にもかかわらず、今そこにあるリスクに対する基礎知識のなさ、その無知蒙昧ぶりには眼を覆う。

定年退職する年代の人たちは、よく「これからは健康第一」と言うが、実は口だけで、日常生活に占める健康のプライオリティーが本当に「第一」かどうか、疑わしい。

だが、命に関わる手術を一度経験すると、健やかに老後を過ごせることの幸せを身に沁みて、実感させられることになる。

私は幸い、後遺症に苦しむことはなかったが、明らかに脳梗塞による後遺症で足を引きずっている高齢者を近所でもよく見かける。本人もさることながら、家族のご苦労はいかばかりか。長寿、結構。だがリハビリだけが人生では悲しすぎるではないか。

私は2度目の心臓手術でやや“手術慣れ“していたこともあって、手術のタイミングも、医師や病院の選択も大方、間違いなかったと自負している。それがなかったら、小渕さんや長嶋さんたちのように、最後にそのツケを払わされることになっていたかもしれない。

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