2014年04月28日

◆「小保方会見」とソープオペラ

佐藤 卓己
 

今月9日午後1時から行われた理化学研究所の小保方晴子研究ユニットリーダーの記者会見中継は、昼のテレビ視聴率では異例の2けたを記録した。

 当日の各紙夕刊も大々的に報じた。朝日夕刊の大見出し「小保方氏『悪意なし』」は特に目を引いた。

 一方で、この内容空疎にして情感あふれる「小保方会見」を翌日の「天声人語」は、「科学にロマンはあっていいが、ロマン主義と科学は相いれない」と批判している。

 だが、1月30日付ウェブ版で「泣き明かした夜も」(朝日)、「かっぽう着の『リケジョ』快挙」(読売)などロマン(物語)化して報じたのは、新聞だったはずだ。

 この「STAP細胞」スキャンダル報道について、新聞社の姿勢を批判することは容易である。むしろここで注目したいのは、読者の「利用と満足」である。

 専門誌を読む研究者とは異なり、一般読者が新聞の科学記事に事実だけを求めているわけではない。いみじくも、先に引いた「天声人語」と同日の朝日夕刊1面に「小保方会見 私は思う」の特集がある。

「こけたほお 涙『うそに見えない』」が見出しのトップで、「『STAP細胞は本当にあるの』」が続く。

小保方会見を見ながら、ソープオペラ(昼の連続ドラマ)に関するヘルタ・ヘルツォークの古典的研究(1944年)を思い出した。代表的な「利用と満足」研究のひとつである。

聴取者が昼メロに求めているのは、ヒロインに共感して得られる「情緒的解放感」、自分の夢と重ねあわせる「代理参加」、トラブルを解決する「日常生活の教科書」だという。

 小保方会見はその意味で上出来のソープオペラだった。官僚的組織に使
い捨てられる「悪意のない」孤独なヒロインの悲劇である。

 新聞の「利用と満足」については、バーナード・ベレルソン「新聞不在
の意味」(1949年)も参照すべきだ。ストライキで新聞が届かなかった読者への聞き取りから、6つの利用タイプの存在を明らかにした。正確なニュースの活用に加えて、番組欄など生活の実用、息抜き、知識自慢などの社会的威信、社会との関係維持、閲読の自己目的化である。

こうした多様な一般読者の「利用と満足」を最大化するビジネスで、科学記事がロマン化されることは避けがたい。

 つまり、ロマン化は「マス」メディアの構造的要請であり、科学担当記者の専門能力をどれほど高めても問題は解決しない。ロマンより事実を優先する知的な読者を多数派に育てる覚悟があるのか、それが新聞に問われている。(京都大学大学院教育学研究科准教授)
                  
【プロフィル】佐藤卓己 さとう・たくみ 昭和35年広島県出身。京都大大学院修了、文学博士。専門はメディア史。産経「新聞に喝」2014.4.27

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