2014年05月16日

◆小畑実 (歌手)は北朝鮮出身

渡部 亮次郎


NHKが5月1日野ラヂオ深夜便で、戦中・戦後の人気歌手だった小畑実の特集をしていた。そこで以下、ー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』をのぞいてみた。

<小畑 実(おばた みのる、1923年4月30日 - 1979年4月24日)は、朝鮮平壌出身の歌手である。本名は、康永?(??? / カン・ヨンチョル)

1937(昭和12)年、同胞のテノール歌手永田絃次郎(戦後北に帰国後、消息不明)に憧れて日本に渡り、日本音楽学校に入学。苦学しながら声楽を学び卒業後、作曲家江口夜詩の門下となる。

このころ、秋田県大館市出身の小畑イクに面倒を見てもらったのが小畑姓と秋田出身を称した理由とされる。なお、イクの息子小畑達夫はいわゆる共産党リンチ事件で共産党員に殺されている。

デビューは1941(昭和16)年2月、ポリドールレコードからで『成吉思汗』であった。ただし、朝鮮半島出身を隠して出身地を秋田県としていた。

のちにビクターに移籍。1942(昭和17)年の『湯島の白梅(婦系図の歌)』が出世作となる。翌年に『勘太郎月夜唄』をヒットさせ新進気鋭の歌手として注目を浴びるが、本格的な活躍は終戦後であった。

テイチク・キング・コロムビア・古巣のビクターと所属会社を転々としながらも、甘いクルーナー唱法で『小判鮫の唄』・『薔薇を召しませ』・『アメリカ通いの白い船』・『長崎のザボン売り』・『ロンドンの街角で』・『高原の駅よさようなら』などのヒット曲を飛ばした。

特に『星影の小径』はフランスのシャンソンをベースにしたロマンチックな旋律と「アイ・ラブ・ユー」という英語を歌詞に用いた斬新さに加え、彼の歌唱の特徴が生かされた傑作である。

NHK紅白歌合戦に3回出場している。

1957(昭和32)年、第8回NHK紅白歌合戦出場を最後に一度引退。一時期実業界に移り、歌謡界から遠ざかっていたが、1969(昭和44)年頃、折からの懐メロブームもあって『勘太郎いつ帰る』で復帰。韓国にもしばしば渡り、本名で活躍する。

1977(昭和52)年には『湯の町しぐれ』をヒットさせ気を吐いた。その後、ステージ活動や刑務所の慰問、後進の指導にあたるなど精力的に活動していた矢先、千葉県野田市のゴルフ場でプレイ中に倒れ、急性心不全のため55歳で亡くなる>。 

秋田県北部、特に大館市周辺には「小畑」姓が多く、戦後の名知事とされる小畑勇次郎氏もそうだった。しかし小畑実が秋田県出身と名乗っても、友人、知人が当然ながら地元には1人も無いのだから信じる人はいなかったろう。

トップ歌手が出身地を偽らざるを得なかった時代があったことを残念に思うと同時に、韓国政府がいわゆる「従軍慰安婦」問題にあえて「嘘」を交えながらしつこくこだわるのは、日本人にある「被差別」感が絡んでいるかもしれないと、つい考えたりする。

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