2014年05月27日

◆不如帰 薄倖 村上幸子

渡部 亮次郎


「命 二つを結ぶ糸
ちぎれて哀し 相模灘
あなた あなた あなた
この世の次の 次の世は
私のためにしたさい と
泣いて血を吐く ほととぎす」

徳冨蘆花原作の小説「不如帰」を基につくられた歌謡曲「不如帰」(作詞:星野哲郎 作曲桜田誠一)。これを歌っているのが村上幸子。聞けばこれを大ヒットに仕立てた直後わずか31歳で癌のため死去したという。4半世紀まえのこと。だからよほどの歌好きでないと名さえ知らない。

パソコンで演歌を聴けると知らなかったがYouTubeを開けば簡単に聞けるのでこの所何回も聞いている。

村上 幸子(むらかみ さちこ、本名:鈴木幸子、1958年10月21日 - 1990年7月23日)は新潟県村上市(旧・岩船郡荒川町)出身。1979年に『雪の越後を後にして』でクラウンレコードから歌手デビュー。1984年の「酒場すずめ」が人気を集め、歌唱賞レースに参戦した。

1988年にリリースされた「不如帰(ほととぎす)」を自らの勝負曲と位置づけたが、歌詞の一部が、当時昭和天皇が重体で「時期的にも適切な表現とは言えない」という理由から放送中止(自粛)になったというエピソードを持っている(「不如帰」の歌詞中に「血を吐く…」という形容の表現があり、当時昭和天皇は下血・吐血を繰り返し、危篤と小康状態を往復していたため、このことを気遣った放送局は同曲の放送を自粛した)。後に「不如帰」は村上の死後、2006年に瀬口侑希がカバーした。

また、文化放送のラジオ番組『走れ!歌謡曲』のパーソナリティを務めるようになる。しかし、1989年、喉部に大豆状のしこりが見つかり、検査の結果、急性リンパ腫と診断され入院。その間もリスナーなどからの激励の手紙が多数村上のもとに寄せられたが次第に病状は悪化、1990年7月23日、31歳で死去。

『走れ!歌謡曲』のパーソナリティ仲間である小池可奈は、村上の半生とその交流を語った伝記本「さっちゃん物語」(三五館)を著している。 

「想い続けて死ぬことの
しあわせ知った逗子の海
そうよ そうよ そうよ
あなたの船の丸窓で
夜啼く鳥がいたならば
それは私のほととぎす」

この歌の浪子もそうだが「さっちゃん」も現代の業病のためちっとも幸せでない幸子であった。

主な曲

? 雪の越後を後にして

? 盛り場かもめ

? 酒場すずめ(2010年に和田青児がカバー)

? 恋椿

? やがて港は朝

? にごりえ

? 不如帰

? 放浪記(『不如帰』同様星野哲郎作詞、桜田誠一作曲、2009年に瀬口侑希がカバー)

? 嵯峨情話

? それなりに青い鳥

? 京の川

? 雪の舞

? 女の旅路

? 笹舟

? 螢火情話

? みちのくしぐれ(鳥羽一郎とデュエット)

? デュオ「雨あがり」(琴風とデュエット)

? 純情物語(梅宮辰夫とデュエット)

? 帰郷

? 恋風

不如帰 (小説)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
『不如帰』は、明治31年(1898年)から32年(1899年)にかけて国民新聞に掲載された徳冨蘆花の小説。のちに出版されてベストセラーとなった。なお徳冨蘆花自身は『不如帰』の読みとして、少なくとも後年「ふじょき」としたが、現在では「ほととぎす」という読みが広まっている。

片岡中将の愛娘浪子は、実家の冷たい継母、横恋慕する千々岩、気むずかしい姑に苦しみながらも、海軍少尉川島武男男爵との幸福な結婚生活を送っていた。

しかし武男が日清戦争へ出陣してしまった間に、浪子の結核を理由に離婚を強いられ、夫を慕いつつ死んでゆく。浪子の「あああ、人間はなぜ死ぬのでしょう! 生きたいわ! 千年も万年も生きたいわ!」、「ああつらい! つらい! もう女なんぞに生まれはしませんよ」は日本近代文学を代表する名セリフとなった。

家庭内の新旧思想の対立と軋轢、伝染病に対する社会的な知識など当時の一般大衆の興趣に合致し、広く読者を得た。

作中人物にはモデルが存在する。しかしベストセラーとなったが故に、当時小説がそのまま真実と信じた民衆によって、モデルとなった人物に事実無根の風評被害があった。。

後にはこれを原作とした映画や演劇などの演劇作
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