2014年05月29日

◆維新分裂は“前原忠告”が決め手

杉浦 正章



結いの党との合流には弾み
 

1年半前に「牛若丸にほれた弁慶だ」と言って合流した共同代表・石原慎太郎も、矢衾(やぶすま)になって立ち往生するところまでは共同代表・橋下徹に付き合わなかった。合併した大阪系と旧太陽の党系に結党当初から存在していた憲法観などの亀裂が限界を超えたのだ。


党分裂の背景には民主党元代表・前原誠司による“忠告”がかなり効き目をみせたという見方が強い。その内容は石原の自主憲法制定路線では民主党を含めた野党再編が不可能になるというものである。この結果橋下が最終的に分裂やむなしの決断を下したと言うのが真相のようだ。


石原が記者団に「分党」という言葉を使ったのが気になるが、結局は政党助成金絡みの話であろう。政党の離合集散は政党法上「分割」と「分派」に分けられる。分派はもとの政党を存続させて、一部議員が離党する方式で、政党交付金は存続政党のみに交付される。「分割」は政党交付金を議員数に応じて配分できる。

石原は分党という言葉を使って「分割」を言おうとしたものとみられる。


石原と橋下はもともと水と油の傾向を有していた。石原は橋下が金科玉条とする大阪都構想に批判的である。またエネルギー政策をめぐっても原発推進の石原は、再稼働反対の橋下をなだめて賛成に回らせた経緯がある。


最近の原発輸出のための原子力協定をめぐっても反対の大阪維新系の議員と石原が強く対立、大阪系議員に「出て行け」となじられた場面もあった。決定的になったのが憲法観の相違であった。


橋下は結いの党代表・江田憲司ともともとウマが合い会談を重ねてきたが、みんなの党分裂以後は、結いとの合流を野党再編に向けての突破口にするとの立場から推進した。その江田は石原の主張する米国の押しつけ憲法を廃して自主憲法を制定すべきとの路線に強く反発していた。


ところが維新の会は24日の執行役員会で、結いの党との共通政策に「自主憲法制定」を盛り込む方針を確認してしまったのだ。


合流が難航必至の状況に立ち至ったが、これは同日夜に大きく転換することになった。京都で開かれた橋下・前原会談だ。橋下と前原は極めて密接な関係にあり、橋下は維新結成前は前原を党首にしたいと考えていたほどだ。注目すべきは両者が江田を交えての会談を行ったことだ。


当然江田は自主憲法制定路線に反対の立場を説明した。しかし橋下は石原の強硬な主張から困難との見方を述べたといわれる。


しかし前原の一言が橋下を翻意させた。前原は「野党再編を進める以上自主憲法制定の文言があっては人が集まらない」と述べ、江田に同調したといわれる。


この結果橋下は石原と袂(たもと)を分かつ決意をしたのだ。石原と橋下という衝突を繰り返してきた強烈な個性が、最終的に憲法観でぶつかって割れることになったのだ。


橋下は石原でなく野党再編を選択したことになり、今後結いの党との合流には弾みがつくものとみられる。次の焦点は民主党がどう動くかにかかっている。“前原忠告”は、民主党にとって大きな問題を投げかけている。党分裂の前兆になりかねないからだ。


民主党内では維新、結いと会合を重ねている前幹事長・細野豪志がさっそく「野党の連携が進むのではないか」と反応した。


しかし民主党内の空気は、首相・安倍晋三がずっこければ支持票が戻り、現在最低の議席数も回復出来ると言う議員が結構多い。代表・海江田万里降ろしとも絡んで、党内駆け引きが活発化する方向にある。


一方「石原新党」に参加する勢力がどの程度になるかだが、旧太陽の党を中心に10人程度は集まるだろうという見方が今のところはつよい。ただ維新53議席から10人が去って、9人の結いが合流しても、橋下の狙う野党第1党にはなれない。


石原は今後外交安保路線が近いみんなの党などにも合流を働きかけるものとみられる。ただみんなが石原と連携する可能性は少ないようだ。また石原は都知事選で応援した元航空幕僚長・田母神俊雄らとの連携も強めることになろう。


こうした野党再編の動きは、コップの中の嵐の色彩が濃く、自民党一極体制に打撃を与えるどころか強める要素すらある。

    <今朝のニュース解説から抜粋>  (政治評論家)
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