2014年06月03日

◆「核」が日中開戦を抑止する(30)

平井 修一


(承前)松井茂氏の論考「世界軍事学講座」から。
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米ソ両国がミサイル大国となったのは、核戦略と切っても切れない関係がある。ともに核兵器の運搬にナチス・ドイツが開発したミサイルを用いることを考えた。

このミサイルはジェットエンジンとロケットエンジンの二つの種類があり、ナチス・ドイツは二つを使ってロンドン市を攻撃したが、当時のジェット式は速力が遅く、飛行するのが肉眼で見えるため、戦闘機に迎撃されて大した戦果は挙げられなかった。

一方、ロケット式は高速のため肉眼でも飛行音でも察知できず、迎撃は不可能だった。にもかかわらず、ヒトラーはジェット式の製造に力を入れ、好機を逸した。

ナチス・ドイツのミサイル開発は連合軍を驚かせた。その効能に目をつけた米ソは、東西からベルリンへ向かって進撃する途中に、ドイツのロケット研究施設および研究者をできるだけ自国のために捕獲した。

米ソがまず採用したのは「ロケット式の弾道ミサイル」である。多種多様のICBM(大陸間弾道ミサイル)、IRBM(中距離弾道ミサイル)を開発し、完成させた。

この成果により、通常弾頭を使用する地上用「戦術ミサイル」が開発された。砲兵では攻撃できない遠距離を攻撃するためだ。「対戦車ミサイル」、航空機や飛行物体を撃ち落す「対空ミサイル」、艦艇を攻撃する「対艦ミサイル」も開発し、性能は著しく向上した。

今日のミサイル戦争の時代は、米ソによる核の対決があったからこそ生まれたといえよう。

ロケット式弾道ミサイルの時代が華々しく開花したのに比べ、ジェット式の巡航ミサイルの時代は大いに遅れた。最大の欠点は速度が遅く、発見されて撃墜される可能性が高いことだ。しかし、速度が遅いことで、飛行途中で方向や高度を変え、目くらましを行い、秘匿性を増すことができる。それは誘導システムの改良によって可能だ。

高度を低く飛べることは、レーダーによる捕捉をきわめて難しくする。これが現代の巡航ミサイルの論理なのである。

(平井:弾道ミサイルは弾丸のように高速でピューンと高度に昇り、そこから「目標地域」に向かってまっしぐらに進む猪突猛進型。一方で巡航ミサイルは低速で「目標物体」を定めて、目くらましをしつつ右往左往しながら目標を破壊するようだ。弾道ミサイルは巨大な砲弾、巡航ミサイルは頭脳付きの特攻か)

巡航ミサイルの研究はソ連が先行し、60年代には200〜300メートルの高度を保って飛行する制御システムを完成させた。米国もそれを追いかけ、さらにTERCON(等高線照合システム)を完成させた。

これは、巡航ミサイルのコンピュータに、飛行経路の地形情報を入力しておき、飛行中にその情報と実際の地形とを照合しながら、飛行経路の誤差を修正して(正確に目標地点へ)飛行するものである。

湾岸戦争で活躍した米国製巡航ミサイル「トマホーク」はTERCONを積み、地表100メートルを飛行し、高度なピンポイント攻撃を可能とした。

巡航ミサイルは対艦攻撃に使われる場合が多い。一度高く打ち上げてから海面すれすれに飛び、敵艦のレーダーに捕捉されないようにする。最後に目標をセンサーでキャッチしてから突進する。飛行方向も直線ではなく、途中で左右どちらかに偏向しながら飛んでいく。最終目標を秘匿するためだ。

第二次大戦末期に英国機にバタバタ撃ち落とされたジェット式ミサイルは、新技術を得て新兵器として甦ったのだ。

ただし、巡航ミサイルにも弱点はある。速度は速くなったとはいえ、所詮はジェットエンジンのため限界がある。飛行経路と高度を察知され、対空機関砲で待ち伏せされると弱い。実際、湾岸戦争やその後の米軍のイラク攻撃において、かなりの数の巡航ミサイルが撃ち落とされている。

それを避けるには、巡航ミサイルに一定の高度と経路を与えないようにTERCONにインプットすればよいのだが、そのためには偵察衛星などによる地形データの収集や多数の技術者、膨大な金が必要になり、実戦ではやっていられない。

さて、核戦争を意識して開発されたミサイル技術は、通常兵器を用いる局地型紛争にも大きな影響を与えてきた。その代表的なものがフォークランド紛争、イラン・イラク戦争、湾岸戦争などである。

フォークランド紛争は、海戦におけるミサイル時代の到来を如実に示した。空対艦ミサイル「エグゾセ」、艦対空ミサイル「シーウルフ」の活躍が目覚ましかった。


イラン・イラク戦争は8年近く続いた長期戦となったが、イラクの軍事的優位で停戦となった。最終段階でイラン側の総崩れとなった大きな要因に、イラクによるミサイル攻撃があった。後方を双方ともミサイルで攻撃し、1988年2月末、双方は相手方の首都をミサイルで撃ち合った。

同年5月26日までの間、イラクはイランへ180発(内テヘラン向け133発)、イランはイラクへ74発(内バグダッド向け57発)で、イラクは2.4倍の優勢を示した。


この首都ミサイル攻撃合戦の最中、テヘラン市民の間に、イラクがミサイルに化学(毒ガス)弾頭をつけて撃ってくるとのうわさが流れ、避難騒ぎとなった。これを裏書きするように、イラクはイラン南部のアフワズ市を化学弾頭付きミサイルで攻撃し、イラクの外相がこの事実を記者会見で明らかにした。テヘランへの化学攻撃はいつでもありうることになった。

(この恫喝により)イランは同年7月18日、停戦を求める国連決議を受け入れざるを得なくなった。後方の市民の安全に対する脅威が、いかに戦争の行く手に影響するかを物語っている。

1990年4月、イラクのフセイン大統領は、「イスラエルの核兵器に対して“貧者の核兵器”である化学兵器で対抗する」と宣言した。


この宣言とイラン・イラク戦争における実績とが、湾岸戦争の際、イスラエルへの大きな脅威となった。イラクの化学弾頭付きミサイルの攻撃を恐れたイスラエルは、ミサイル攻撃の警報があるたびに、市民が防護マスクをつけて防空シェルターへ避難しなければならなかった。そのため、イスラエルの経済活動は大きく阻害されたのである。(つづく)(2014/6/3)
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