2007年04月24日
◆ぼくだけの“呪文”
◆<ご近所の10歳になるマウンテンドッグ「ロンちゃん」が、22日早朝、飼い主のご夫婦に看取られて息を引き取りました。4年前に亡くなった我が家の愛犬シべりアンハスキー「ゴルちゃん」の遊び友達だったのですが、大きな躯体を支える両足の具合いが悪くなり、ここ数ヶ月は寝たきりの状態。痛みの所為か、寝返りもうてず、昼夜分けなく悲鳴に似た泣き声を上げていたそうです。しかし、飼い主のご夫妻に、持ち前の可愛い明眸を差し向けた後、安らかに旅立っていったそうです。いまごろはあの世で「ゴルちゃん」と思い切り走り回っていることでしょう。(合掌)
そこで、本欄の執筆者岩本宏紀氏(在仏)の寄稿「かけがえのない家族」(3月23日掲載)に寄せられた西田泰久氏(在仏)の読後感想全文を、下記掲載します。お読み頂ければ幸いです。 毛馬一三>
◆<ぼくだけの“呪文”>
西田泰久(在仏)
ぼくには、ぼくだけの“呪文”があります。
それは、ぼくにとってあたかも魔法に似た不思議な力を持っています。
呪文は「ジャックちゃん、チムちゃん、トリチェリーちゃん、クロちゃん」
これは、何を隠そう。ぼくが幼少時から現在に至るまで、ぼくや家族と過し、お世話になって来たワンちゃん達はじめペットの名前なのです。
ただ今健在なのはジャックちゃんだけですが、、、。
この呪文を、毎朝起きがけを皮切りに、日に幾度か唱えます。
これを唱えると、どこかでぼくを誰かが見守ってくれている。今日一日元気で過せそう。きっと良い事が起きそう。そう思え、こころも軽くホンワカ温かくなる。
じつに摩訶不思議な秘密の効用?があります。
例えば、クロちゃん、
ぼくが子供時分家で飼っていた秋田犬とのミックス、名の如く真っ黒で、強かったけど、やさしい男の子でした。年の離れた男三人兄弟の末っ子のぼくの良き遊び相手でした。まるで仔犬のように可愛がられる一方だったぼくが逆に可愛がることが出来た存在で、一人の時も淋しくないようによく慰めてくれていたことを思い出します。
で、トリチェリーちゃん、あとの3人?はワンちゃんですが、この子は白の手乗り文鳥。ぼくが高1の頃、どこからか家に迷い込んで来て、外に放して返そうとするのですが、どうしても家から出て行かず、そのまま住み着くようになった女の子でした。
ぼくに良くなついて、鳥かごから出て来ては甘えて手の平で眠ったり、時には手の上で無精卵を産んだりして驚かせてくれました。ぼくの唾が好きで、よくおねだりされて困った事も良い思い出です。
思っていた以上に、長生きしてくれ、ぼくが大学を卒業し就職で東京に出て行った後も、ぼくが家から居なくなって淋しがっていた両親を慰めてくれていました。長生きの所為で毛も抜け、でも元気で、そして老衰の様に安らかに亡くなったと母から聞かされて、涙を流した事を今でも良く覚えています。
チムちゃんは、下の娘が幼稚園に入ったので、二人の娘達の情操教育の為にとの口実で、でもほんとうは、ぼくがどうしても飼いたくて飼ったシェルティ(=ミニコリー)です。牧羊犬特有の忠実で優しい気質の男の子でした。
彼が3歳半の時、初の海外赴任となったLondonに連れて行き、英語のエの字も分からず、途方にくれて、落込んでいた二人の娘(当時9歳と12歳)を慰めてくれたものでした。彼が果たしてくれた癒し効果は絶大で、今も二人の娘は、英語で学ぶ授業が皆目分からず、失意で帰って来て、チムちゃんに迎えられると、途端に元気になって、こうしちゃいられないと前向きの気持ちにさせられたものだったと懐かしそうに話します。
親の都合で勝手に言語の異なる国に連れて行ってしまった訳で、申訳ないとの気持ちもあり、だけど自力で言葉の壁等を乗り越えて欲しいとの期待と交錯して、複雑な念に駆られる時が良くありましたが、その様な時にチムちゃんが果たしてくれた癒しと激励の効果にはほんとうに助けられた思いでいっぱいです。
7年余の勤務を終えたぼくの帰任に伴い、チムちゃんを日本に連れ帰りましたが、娘二人は、この間英語もさほど進歩しなかった親と異なり、ネィティブの如く、長足の進歩を遂げていて、もうチムちゃんの助けも不要となる位自立していて、思いがけず彼らはチムちゃんや両親と離れてLondonに残ると言い出す等、時の経つ早さと子供達の変化の大きさに目を見張るものを感じました。
こちらは体力も記憶力も坂を転げる様に落ちて行くのに、反して子供はどんどん成長していくものだなあとつくづく思い知らされた気がしました。チムちゃんは既に10歳になっていましたが、日本に連れ帰り約3年余過ぎ、家族全員にこよなく愛されたチムちゃんでしたが、忘れもせぬ平成12年(2000年)9月27日夕刻に急に食欲を無くし、歩けなくなり、こちらも一体なにが起きたか分からぬ状況で、夜間の動物救急病院へ担ぎ込み、点滴を打って貰い、一旦帰宅。
翌日捗々しい回復を見せぬチムちゃんを掛かりつけの小川動物病院へ連れて行きました。診立ては思いもかけぬ言葉で、あれだけ若く見えていたのに、なんと老衰との事で、そのまま入院し、そしてその夜ぼくと家内が見守る中眠る様に息を引き取りました。
全く苦しみもせず、痛がりもせず、手も掛からず、ほんとうに静かに迎えた最後でした。チムちゃん13歳半の生涯でした。あまりに潔いと言うか、なんら苦しまず逝った為涙も忘れるほどのみごとな大往生ぶりに、チムちゃん天晴れ!と思わず洩らすほどでした。
ただそれからが大変で、ぼくのこころになにか大きい穴が開いた様で、なにもヤル気が起こらず、だれかがワンちゃんと一緒に居るのを見ると無性に淋しくなり、これがいわゆるペットロス症候群と言うのでしょうか、とんでもないブラックホールへ落込んだ状態となってしまいました。
自分でも、こんな状態では立派に亡くなったチムちゃんに申訳ない、あの子もきっと喜ばないと思うのですが、どうしても淋しくて、悲しくて溜らない。チムちゃんのことを思うと、涙が溢れてくる。そしてまた落込む。この繰り返し。
そんな時、ある人からペットロス症候群に陥った欧米の人々が捜し求め読む本があるとの話で「ペットたちは死後も生きている=原題Animals in the Spirit World(ハロルド・シャープ著)」を紹介され、早速購入して貪る様に読みました。
そこに書かれてあったのは、
<動物達の生命は不死であるー彼らの死とは、肉体という「抜け殻」からの旅立ちにすぎない。
亡くなったペットたちは、姿は見えなくても飼い主のもとをつねに訪れている。
ペットと長年連れ添った人々は、死後において愛するペットと再会出来る。
病気や事故で死んだ動物たちも、「新しい世界」ではみんな健康に、幸せに暮らしている。
「愛は死によって破壊されない」「ペットたちはあなたが地上界で幸せにしてあげられるより以上に幸せなのである」>。
この本に出会った方が、皆さん、仰るように、何回も読み返すうちに、「チムちゃんもむこうの世界で楽しく生活している」と分かって来て、抜け道の見えない悲しみの世界からふっと抜け出すことが出来ました。
奇しくもこの考えは、昨年NHK「紅白」で歌われ、日本中が涙したと言われるいのちの詩「千の風になって」に通じるもので、喪失の悲しみを癒し、生きる勇気と希望を与えてくれる“死者からのメッセージ”と本の帯にも記されていますが、人とペットの違いはあるものの、まさしく同様のメッセージが綴られた本でした。
時が癒してくれるとの言葉もありますが、ぼくには愛する犬は消滅したのではない、いつか天国の玄関を通過した瞬間に、クロちゃんも、トリチェリーちゃんも、チムちゃんも一目散に駆け寄って来てくれるとの思いを持てること、持つこと、この確信がぼくに元気を蘇らしてくれたものと思えます。
そうした思いに至れたことで、ようやく、もう一度大好きなワンちゃんを飼おうかと思えるようになりました。
またこれは人により考えが分かれるところでしょうが、ぼくはチムちゃんと全く性格の違う犬種を飼おうと考えました。
で、こんどは狩猟犬、チョイ悪どころでない、とびっきりの悪ガキタイプのJack Russell Terrier種がこんどの家族です。
それがジャック。
本名はHeritage JP Day Dreamと言い、お昼間だけ夢を見ているのではなく、朝から晩まで夢と言うか、我が世を謳歌・闊歩するかの超ワンパク坊やで、亡きチムちゃんの 悲しみを遥か彼方に吹き飛ばしてくれるほどのあっけらかんと底抜けに明るいやんちゃぶりに、なにやらホッとするやら、呆れるやらの日々を送っています。
彼との日々の生活の一端を紐解けば、、、、
朝測ったかの様に6時に起こしてくれます。前夜いくら遅く帰ったとしてもお構いなし。まして美味しいワインをしこたま飲んで帰り、二日酔いでもっと寝かせて欲しいと思っていても、そんな時ほど定刻の朝6時より15分ほど逆に早く起こしてくれるいとヤサシイ相棒。
他の誰が起こしてもまず起きないであろうこのぼくも、ジャックが起こすと、泣く子と地頭にはの喩えではありませんが、飛び起きる習性が付いています。
で、朝のお散歩約40分。超健康ワンちゃんの健康ウンチを確認し、礼儀正しく処理をし、家に戻り、お気に入りの無添加・無着色の栄養バランスの取れたDogFoodに、食欲増進と健康に良いとの触れ込みのニンニクスプレーを掛けて、
ジャック王子に与え、一連の朝の儀式が終了。
それから、やおらそそくさと自分の朝食を頂く。これが単身+ワンのぼくの巴里での一日の始まり。
生計維持の為会社に行かなければならず、渋々出掛けますが、その時のぼくがまたいわゆる愁嘆場状態。「ごめんネ。ジャック。じゃー行って来るからね。一人でお利口にお留守番していてネ。」等々話しかけて、これまた大好物の無添加・無着色・低カロリーのジャーキーをあげて、後ろ髪引かれる思いで、出社の途につきます。
呪文を唱えると書きましたが、彼らに元気を貰い、精力的に仕事をこなし、いそいそと帰宅の途につきます。家に戻ると、我がジャックがお出迎え。ハグなんて生易しいものでない、激しい熱い抱擁!とともに、“今帰ったヨ”のご挨拶の儀式。会社でなにがあろうとも、きれいサッパリ忘れさせてくれる効用を持っています。夜もぼくが寝つくと、いつの間にかベッドに飛び上がり、そのまま同衾状態で、定刻の朝6時までオヤスミ。
で、これの繰り返し。家内が老いた親の介護の為巴里に一緒に来ていませんが、その寂しさを癒してくれ、忘れさせてくれる偉大なるパワーをこの腕白ジャック王子は持っていると言えます。
ぼくがペットについて思うことは、彼らの存在は、単なる癒しのとか、可愛い愛玩動物のとかなんぞの、通り一遍の言葉では到底言い表せない、文字通りかけがえのない家族のなかの家族の一員だと言うことです。
ですから、日に幾度か「ジャックちゃん、チムちゃん、トリチェリーちゃん、クロちゃん」と、ぼくだけのこの呪文を唱えて、元気を、勇気を、授けて貰っている自分がここに居ます。
「ジャックちゃん、チムちゃん、トリチェリーちゃん、クロちゃん」
ほんとうに大好きだよ。いつもありがとう。
いつもほんとうにありがとう。(了)
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