2014年06月22日

◆泥棒に鍵の在り処を教授する論議

宝珠山  昇


報道(読売新聞 2014年6月21日 第14版第2面)によれば、自公両党の「安全保障法制整備に関する与党協議会」は、機雷掃海や米艦防護を国連の集団安全保障の措置としても認めるかどうかで、対立している、という。

自民党の石破幹事長は、「集団的自衛権では機雷掃海ができたのに、集団安全保障となった途端にやめる、それはあり得ない。検討中の新たな“自衛権発動の3要件”を満たす場合は、集団安全保障でも同じ活動を認める必要がある。」と訴えた。

これに対し、公明党の北側副代表は、「これまで自衛権の議論をしてきたのに、いきなり言われても党内をまとめられない。集団安全保障の議論には応じられない。」と反発した、という。

言うまでもなく、国権の最高機関の一員である国会議員は、国の独立、生存、安全、繁栄を増進するための諸施策を論議、制定する尊い責務を負っているものである。

安保法制与党協議会は、この任務を遂行する行動の一環であり、近年の安全保障環境の激化に対応し得る安全保障法制のあり方を論議する場であると理解する。

別言すれば、敗戦後抑制してきた集団的自衛権を含む自衛権行使のあり方、限界を改革、改善しようとするものである。

自衛権行使のあり方、限界と密接に関連する戦場環境は、今や宇宙にまで広がり、科学技術などの発達に伴う戦略、戦術、装備などの日進月歩で、何人にも適格に予測することはできないものとなっている。

仮に予測できたとしても、これらへの対応方針などの詳細を公開したり、公開で論議することは、自らの手の内を明らかにすることとなり、「ならず者」を利するだけである。自衛権行使のあり方、限界の基準などは“あいまい”である方がよい。

“あいまい”なものの、その時々の判断は、その時の国会議員や行政府を信頼して任せるほかにないものと理解する。

日本がいま急がなければならないことは、敗戦後遺症で軽視され続けてきているもの、その身命を国のために捧げる奉公精神を身に着けた多数の若い国民とこれを支える知力(法制を含む)、装備、補給、施設を整え、これらを融合する訓練を十分に実施できる環境、防衛体勢を醸成することである。これこそが、いま国権の最高機関に身を置く人々の重大な責務である。

先の北側副代表の公言はこれらの自覚が不足または欠如していることを公にしたものと言わざるを得ない。猛省され、国会議員として、また、国政政党の代表としての責務を全うされることを期待してやまない。 
                      (2014年6月21日 記)

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