2014年06月27日

◆「核」が日中開戦を抑止する(44)

平井 修一


伊藤岳氏(慶應義塾大学)の論考『核の脅威への我が国の対応―「核のある世界」と「核のない世界」の狭間の抑止力』から。この論考は防衛省のアーカイブにあった。
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日本が中国から受ける脅威について考えてみよう。

急速な経済発展を背景に進む中国軍の核戦力を含む軍拡と近代化は、日本の安全保障とって大きな潜在的脅威となる。大規模な侵攻の蓋然性は低下しているとはいえ、中国の核戦力の伸張が米中や東アジアの勢力均衡を崩し、東アジアの安全保障環境を不安定化させる可能性や、米国の「核の傘」の信頼性低下を招く可能性は否定できない。

通常戦力のバランスも中国に傾きつつある中、日本が中国から受ける脅威に対処するため、また東アジアの安全保障環境を不安定化させないためには、米国の「核の傘」を含む拡大抑止力の役割は不可欠といえる。

以上を踏まえると、日本の安全保障において核兵器の「代替不可能な役割」(平井:核に対抗するには核しかない)は、中国の台頭に対する安定化措置という役割に限定できる。オバマ大統領もプラハ演説で、核が存在する限り「安全で効果的な核抑止力を維持する」と明言しており、この役割は確保される可能性が高い。

注意すべきは、「核兵器の代替不可能な役割」が上記の点(平井:中朝への抑止力)に限定できるといっても、それは日本の安全保障に必要な抑止力の縮小を意味しない点にある。核兵器の役割を「代替不可能な役割」に限定するにしても、現在「核の傘」が担う(/に期待されている)それ以外の抑止力は別の手段で補完・代替しなければならない。

・抑止力の再編:【多元化】【可視化】【安定化】

では、日本はどのような具体的な取組を通じて抑止力を再編すればよいのか。必要な取組は以下の3つに集約できる。

1つ目は【抑止力の多元化】である。抑止力の多元化とは、核兵器のみに頼らない、通常兵器などの役割を有機的に取り込んだ抑止力を指す。具体的には、「核の傘」「通常戦力」「拒否的抑止力」の3つを有機的に組み合わせ、総合的な抑止力を構築することを意味する。

この中で核兵器の役割は上記の役割(平井:対中朝抑止力)に限定し、特に対北朝鮮抑止については、米軍の駐留継続を前提に自衛隊の装備更新による通常戦力の維持・強化や、ミサイル防衛の整備を通した拒否的抑止力の強化などを通し、「核の傘」のみに頼らない形で再構築する。

次に必要なのは【抑止力の可視化】である。仮に米国の核兵器が大幅に削減された場合、核戦力が低下した米国が、引き続き日本の安全保障にコミットするのかといった疑念が生じる可能性が高い。このような疑念が顕在化すると、日本国内で「米国に見捨てられる」不安が高まり、外交・安全保障政策の運営に悪影響を及ぼす可能性が高い。

また、諸外国が日米同盟の信頼性が疑わしいと考えれば、東アジア情勢の不安定化につながる可能性もある。

このような不安や悪影響を生じさせないためには、米軍の東アジア地域への駐留継続と通常戦力の強化、米国による最小限の第二撃能力(平井:核による報復攻撃能力)の堅持、核の使用条件を含む抑止戦略の日米間での共有と明確化を進め、日米同盟単位の抑止力の【可視化】、信頼性向上を進めることが不可欠になる。

【多元化】と【可視化】に加えて、【安定化】に向けた措置も抑止力の再編には不可欠となる。

抑止力の再編、特に【抑止力の可視化】は諸外国の過剰反応や軍拡といった意図せざる結果を招く可能性と表裏一体である(安全保障のジレンマ)。この可能性を低減するために、【安定化】に向けた措置が不可欠になる。

具体的には、安全保障のジレンマ防止のための東アジア域内での信頼醸成措置や対話推進の取組を、抑止力の再編と同時に推進することが求められる。【多元化】が抑止力の再編そのものに向けた取組とするならば、【可視化】と【安定化】は再編から生じる不安に対処する取組といえる。

・おわりに:「核のある世界」と「核のない世界」の狭間で

核兵器の「代替不可能な役割」は確保するという前提の下、以上の取組を通じて安全保障に不可欠な抑止力を堅持しつつ核兵器の役割を低減し、核兵器削減の素地を醸成することが、核兵器削減・廃絶の機運が高まる中で日本に求められる。

このような抑止力の再編は抑止力の堅持という【現実主義】の要請に応えつつ、「核のない世界」という【理想主義】の目標に接近するためには不可欠である。このような取組は「核のある世界」という現実から「核のない世界」という理想への道筋を国際社会に示すという意味でも重要となる。

世界唯一の被爆国としての責務と、「核の傘」への依存という現実の狭間で難しい舵取りを迫られてきた日本にこそ、「核のある世界」という現実から「核のない世界」という理想に向かう道筋を示すことが求められている。(この項おわり)
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この論考の最後は甘すぎる。山本夏彦翁曰く、「一旦できたら、できない昔には帰れない」。現実に核は世界中に1万発以上あり、これがない時代には戻れない。ケータイがない時代に戻れないのと同じだ。

「核のない世界」はあり得ないということ。「核のない世界」は言葉としては美しいが、それは少しも理想ではなく、恐ろしいほどの危険を招くことになる。中共のような共産主義者やアルカイダなどの原理主義者が核を密造し、核を独占したら、彼らが世界を征服することになる。欧米列強が不核なら、この危険を誰も抑止できない。

リアリズムで世界を見れば、軍事力のバランスがとれていることが相互の抑止力になる。バランスを失ったり、軍事力の空白が生じたりすると、南シナ海での中共のように力づくで押し出してくる。米軍が撤退したイラクは今、草刈り場になっている。

中共の核には、ほとんど当てにはできない米国の核で対抗するのではなく、日本の核でバランスをとらなければならない。理想や平和をいくら唱えても抑止力にはならない。日中激突に備えて軍事力を高め、核武装することが唯一の平和への道である。善意を信じてはいけない、悪意を見抜くのだ。そう、「世界は腹黒い」のだから。(2014/6/26)

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傘U
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