2014年07月12日

◆「核」が日中開戦を抑止する(53)

平井 修一


鎖国は徳川幕府が勝手に決めた政策で、215年後の開国も勝手に決めた。尊王攘夷派は「開国には勅許が必要だ、勅許、詔勅もなく開国したのは専横だ、朝敵だ、許せない」と幕府を攻めに攻めたが、この時、幕府がこう主張したら、幕末の混乱はずいぶん違ったものになっていたかもしれない。すなわち、

「そもそも鎖国したのは勅許によるものではないのだから、鎖国を止める、開国するのに勅許が必要だというのは理屈に合わない。幕府は、主に祭事・顕彰を執行される朝廷から行政、立法、司法の三権を完全に任されているのであり、外交判断はその範囲内である」

これで尊王攘夷派を論駁していたら幕府の求心力はそれなりに残存され、公武合体の穏やかな「貴族連合王国」になったかもしれない。(多分、米英仏によって植民地にされたろうが)

砲艦外交で日本を開国したアメリカは、91年後に日本を核を含む爆弾、砲弾で攻撃し、占領後にGHQは憲法を押しつけた。

この際は「自衛権は認めない」、しかし東西冷戦と朝鮮戦争が始まるとGHQは解釈変更で「自衛権はある」と180度転換、やがて政府は「個別的自衛権はあるが集団的自衛権はない」と解釈変更、そして安倍氏は「集団的自衛権もある」と解釈変更した。

そもそもあの憲法は改憲できない仕掛けになっているから、GHQも政府も最初から解釈変更でやってきたわけだ。それを今になってから突然、「解釈変更、解釈改憲はダメだ、やるのならちゃんと議会で議員の3分の2以上の同意を得て改憲しろ」というのは理屈に合わない。アカの屁理屈でしかない。

ウェッジ誌6/10の岡崎研究所 による論考「世界では当たり前 エコノミスト誌も支持する集団的自衛権行使」から――
・・・

5月17-23日号の英エコノミスト誌は、安倍総理が日本を平和主義から脱却させようとしていることは間違っていない、と報じています。

集団的自衛権の行使について、日本政府の主張を十分に理解した論文です。

歴史問題については、戦勝史観を決して譲らないエコノミスト誌ではありますが、問題を集団的自衛権にしぼれば、「日本以外の国であったらごく当たり前のもの」であると言っているとおり、そもそも、反対のしようもない問題です。また、中国の反対についても「中国の誤解はほとんど故意のものに思える」と言っています。

集団的自衛権の問題に関しては、日本は、中国だけは例外として、海外論調について何ら心配することはないと思います。(以下、エコノミスト誌の論調)

<同盟国を防衛できる日本にするという安倍氏の提案は、日本を正しい方向に向かわせるものであり、精力的外交を伴って実施される限り、地域の安全を高めてくれるはずだ。

日本は1945年の敗戦以来、模範的な世界市民であり、東アジアの平和と繁栄に貢献してきたが、そうした功績のいったんは、日本を占領した米国の起草による平和憲法にある。同憲法9条は、国際紛争の解決のための武力行使の永久放棄を謳っており、これによって周辺諸国は日本の軍国主義に二度と脅かされないことを確信でき、米国は太平洋で主導権を握ることになった。

また、(米国に)安全を保証され、軍備を放棄した日本は、経済的繁栄に向かってひた走ることができた。多くの日本人にとり、平和憲法は誇りの源であると共に、国民的宝でもある。(平井:アカにとってはそうだろうが、小生は小3のときからインチキ憲法だと思っていたがね)

しかし、状況は変わり、こうした取り決めは時代遅れなものになりつつある。核爆弾を開発した北朝鮮は今やそれを搭載するミサイルを開発しつつあり、日本への怒りを忘れようとしない中国は軍備を増強、日本が長年管轄してきた東シナ海の島々の領有権を主張している。

一方、日本国内では、アジア以外の紛争にも関わらざるを得ず、中国との対決を避けたがる米国の安全保障の確実性に対して不安が生じている。また、米国は米国で、米国の提供する安全保障に日本がただ乗りすることにうんざりしている。

現行の憲法解釈では、日本は北朝鮮が日本の頭越しにカリフォルニアに向けてミサイルを発射しても、それを撃ち落すことはできず、朝鮮半島有事の際も、現地に向かう米国の航空機に燃料補給さえできない。しかし、米国は、日米同盟において日本により大きな役割を果たしてもらいたいと思っている。

こうした事情を誰よりも良くわかっている安倍氏は、日本初の国家安全保障局の設置や国家安全保障戦略の策定等、慎重な日本の基準から言えば瞠目すべき措置を既にとっている。今回の提案は、憲法の改正ではなく、憲法が認める事項、とりわけ集団的自衛権の原則の再解釈を求めるものだ。

中国は、自国メディアは軍国主義的姿勢であふれているにも拘らず、日本の軍国主義を非難するが、こうした中国の誤解はほとんど故意のものに思える。平和維持活動を除いて日本が自国の領海外に部隊を配備することはあり得ない。

安倍氏がこうした比較的小さな変化でさえ、受け入れるよう国民を説得するのに苦労していることは、日本に戦争を望む気持ちがないことを示している。新解釈の主な効果は、兵站や情報の面で日米がより緊密に協力できるようにすることにある。

安倍氏の提案は、日本以外の国であったらごく当たり前のものだ。しかし、日本が戦時中引き起こした大惨事と現在の周辺諸国との不安定な関係を考えると、改革は外交と歩調をそろえて進めていく必要がある。改革が安全を掘り崩すのではなく、高めるものになるには、安倍氏は日本の意図は限定的かつ善意のものであり、軍国主義復活への一歩ではないことを再確認し、周辺諸国を安心させなければならない>

まあ、いい論考だけれど、「日本が戦時中引き起こした大惨事」?・・・なんのことだろう。ナチスによるホロコースト(語源は“焼きもの”らしい)と、米国による日本への原爆を含む無差別大空襲(焼殺)しか小生には思いつかないが。

酒井信彦氏の論考「米国の空襲は生きた人間の焼き殺し」は手厳しく米国を非難している。

<第二次世界大戦において、正真正銘の焼き殺し・ホロコーストは別にあった。それこそ、アメリカによる我が国に対する残虐極まりない「空襲」である。さらに日本では原爆の残忍性ばかり注目されるが、その反面、一般の空襲による被害については、驚くほど軽んじられていると思わざるを得ない。

アメリカは日本の都市に対して、いわゆる「絨毯爆撃」を行った。絨毯爆撃とは絨毯を敷き詰めるように、徹底的に爆弾の雨を降らすことを言う。しかしこの絨毯爆撃という言葉では、アメリカによる空襲の残虐さが、正確に表現されているとはとても言えない。

アメリカによる空襲の最大の特徴は、普通の爆弾ではなく焼夷弾を大量に使用することにあった。B29のような巨大爆撃機に焼夷弾を大量に積み込んで、木造で作られた日本の都市を焼け野原にした。

しかもその爆撃方法は、まず周辺地域を大きく円を描くように爆撃して火炎の巨大な輪を作り、人間をその中に閉じ込めておいてから、更に中心部分も爆撃すると言う、残虐極まりないやり方であった。

それによって、老若男女を問わない一般市民が、紅蓮の炎に包まれて苦しみ悶えながら、焼き殺されていったのである。これこそホロコーストそのものではないか。ウィキペディアの解説にある、「火災による大虐殺」に、まさにドンピシャリである。

このような空襲は、昭和20年3月10日の、一夜にして10万人の犠牲者を出した東京大空襲が有名であるが、東京だけでも大規模な空襲は外に何回もあり、大阪・名古屋の大都市のみならず、地方の都市でも凄まじい空襲を受けているのは言うまでもない。

世界各地にホロコーストを記念した博物館は多数あるようだが、とくにアメリカのワシントンには、「米国国立ホロコースト記念博物館」という、世界最大の施設がある。ユダヤ人虐殺の博物館であるが、ぜひとも東京大空襲をはじめとする、日本空襲による大虐殺の展示を実施すべきである。それこそホロコースト博物館の名称にもっともふさわしいのであるから。

日本人は、ケネディ・アメリカ大使を通じて、日本空襲の展示を行うことを、アメリカ政府に強く要求すべきである>

最後のフレーズはもちろん冗談で、イルカ大使に何を言ってもダメ、「失望」するだけというのは皆知っている。

日本人が大声で米国の非道を非難しないのは、非難したところで死者が生き返るわけではないし、現在の同盟関係を毀損することになるし、前を見た方が生産的だからだ。日本人はそっと涙を流しながら、耐えているのである。

しかし、我らが祖父母、両親、英霊への嘘八百の侮辱は絶対に許さない。

中共殲滅、支那解放の声は世界中で日一日と高まっている。1日早まれば1日の善だ。3日なら3善。そう「参戦」し、諸民族、諸国とともに中共に「惨戦」を強いて、中共に殺された8000万人の無念を晴らし、8000万党員を必ずや地球から抹殺する。目には目を。

失意に死んだマッカーシーの遺志を引き継ぎ、レッドパージを完遂してみせる。「アサヒの葬式は俺が出す」、その覚悟で撃ちてし止まん。のんびり死んでいる場合じゃない。(2014/7/10)
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