2007年04月27日

◆内務省の時代


渡部亮次郎

日本にも内務省があった。明治時代から大東亜戦争の敗戦直後まで設置されていた省。GHQ(は戦後に来た占領軍)に解体された。
内務官僚出身の著名人(五十音順)。日本史に重大な功績を残した人々だ。

相川勝六 安倍源基 有松英義 粟屋仙吉 生悦住求馬 石破二朗 大麻唯男 奥野誠亮 海原治 萱場軍蔵 唐沢俊樹 北村隆 菅太郎(第二次池田内閣経済企画政務次官) 後藤田正晴 後藤文夫 小林與三次
鈴木俊一 竹内藤男館林三喜男 床次竹二郎 中曽根康弘 灘尾弘吉(内務次官) 秦野章 原文兵衛(特高警察課長、警視総監、参議院議長) 平岡定太郎(福島県知事、樺太庁長官 三島由紀夫の祖父)

船田中  町村金五 松本学(内務省警保局長 / いわゆる「革新官僚」) 村田五郎(内閣情報局、大政翼賛会、群馬県知事) 安井英二(勅選議員、文部大臣、厚生大臣、近畿地方総監) 横溝光暉 吉國一郎 吉田茂 (内務省出身、総理とは別人) 加々美武夫

内務省は.多くの国家に設置されている、警察・土木・衛生・地方自治など国内の行政を担当する中央官庁である。一般的に、内務大臣もしくは内務長官によって指揮監督される。

日本では、1873(明治6)年の設置から1947(昭和22)年12月31日にGHQの指令によって解体されるまで設置されていた内政・民政の中心省であり、内務大臣は内閣総理大臣に次ぐ副総理の格式を持った役職とみなされていた。

戦後、GHQは特別高等警察や検閲、国家神道の廃止を指示、更に内務省のもとでの中央集権的な警察制度の全面的な変革を求めた。また、警察関係を中心に公職追放の対象となる官僚が続出した。

アメリカには内務官僚と呼べる制度が存在しないことから、日本の封建体制打破に、内務省解体は不可欠とアメリカ占領軍のトップたちは結論付け、執拗な抵抗を排除して解体を実現した。

1947年に公布された日本国憲法は第8章を地方自治として定め、それまで内務官僚が就任していた都道府県知事は公選となるなど、地方行政の大きな転換がなされた(ただし、公職追放との絡みもあり、1945(昭和20)年の段階から内務官僚以外からの知事の政治任命が進んでいた)。


かつて内務省が担っていた業務は多岐に渡るが、現在では主に地方行政部門は各都道府県、および自治省とその後身の総務省に、警察部門は国家公安委員会・警察庁に、土木部門は建設省を経て国土交通省に、
衛生・社会部門は戦時中に分離した厚生省(及びのち厚生省より独立した労働省)の後身である厚生労働省によって担われている。今日、特にこれらの省庁を指して"旧内務省系官庁"と呼ぶことが多い。

内閣を事実上運営しているのは事務次官会議である。各省庁の事務次官で構成され、原則として閣議の前日に招集され、国事の最重要事項を決定する。閣議はこれを追認するだけである。

この事務次官会議を主宰するのが内閣官房の事務次官であり、先の小泉内閣までは旧内務省系官庁の事務次官経験者で占められていたのは、未だに官僚たちに与える旧内務系官僚の影を感じさせる話だ。

敗戦直後の1945年10月、GHQの覚書を受けて国家神道を統括した外局の神祇院(神社局の後身)の業務は、宗教法人である神社本庁に引き継がれた。戦前の北海道庁、樺太庁、警視庁、各都道府県の特高警察は内務省の下部組織であった。

日本では、1873年、大久保利通を内務卿として設置された当初は、後の所管事項に加え、殖産興業や鉄道・通信なども所管し、大蔵・司法・文部3省の所管事項を除く内政の全般に及ぶ権限をもっていた。

その後、農林・運輸・逓信など各省が独立し、内務省の所管は大正期には地方行政、警察、土木、衛生、社会(労働)、神社(国家神道)などといった分野に限られるようになった。

戦前各省の総合出先機関的な性格が強かった道府県庁を直接の監督下においていたため、地方行政を通じて各省の所管事項にも直接または間接に関係し、内政の中心としての地位を保ち続けた。

満州事変、日中戦争など戦時色が濃厚になると、防空事務・国土計画を所管に加えたほか、国民精神総動員運動などの国民運動の中心ともなった。流行歌の検閲を担当。ストライク、ボールの呼称まで支配した。

1938(昭和13)年には衛生・社会両局が厚生省として独立したが、当時の人事は内務省と一体のものとして運用されていた。内務省の次官、警保局長、警視総監は「内務省3役」と称された重職で、退任後は約半数が貴族院の勅選議員に選ばれた。

1947年末、日本の民主化には内務省の分権化が根本であるとするGHQはその廃止を指令、内務省は74年余に及ぶ歴史に幕を閉じることとなった。

「内務」という内政全般を想起させる名称や、戦後GHQによって解体させられたという経緯から、「強大な権力を有して内政全般を取り仕切っていた」というイメージが先行しがちであるが、それは誤りだとの主張もある。

実際には明治初頭の行政事務が未分化な時代を除き、他の省庁と同様に自らの所管事務(地方、警察、土木、保健などの内政事務)について権限を有していたのみで、他の省庁の所管事務に対して安易に口出しすることができたわけではない、と。

軍や司法省などとも相互に人材を出向させ、緊密な意思疎通をしていた。また、警保局による思想統制・弾圧などの悪政ばかりが印象深いが、地方局による都道府県の勧業政策や都市計画局・国土局による近代的都市計画制度の導入などの善政を忘れてはならないとの主張がある。

また、内務省の存在と警察の権限との間には、常に関連性があるというわけではない、とも。警察が持つ権限の強さは警察権の執行に関する諸法令の内容によって決まっているからだという主張。

日本のように諸法令(治安維持法、治安警察法、出版法、新聞紙法など)の立案や改正の主体となった国家もあるが、米国のように内務省が警察業務を所管していない国家も存在する。

一方でロシアのように内務省が国内軍(日本の警察における機動隊とは異なり、軍隊同様の組織、武器を有する)を管轄している場合もある。2007・04・22       参考資料:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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