2014年07月29日

◆南シナ海における中越対立

阿曽村 邦昭

                    
今日もこの前に引き続き、日本でも大きく報道されている南シナ海における中越の対立問題を取り扱おうと思います。

この問題は、もちろん、南シナ海の南紗、西紗諸島の領有権をめぐる中越の対立にかかわるの問題でありますが、中国側は、前々回、既に述べましたように、国民党政府が描いた緯度も経度もない9点ライン海図(その形状からしてU字ラインとも呼ばれ、べトナム側では「牛タンライン」と呼んでいる)を「法的根拠」としておりまして、この海図によれば南シナ海の98%もが中国の領海になってしまうので、この海域における航行の自由に大きく依存する我が国としても到底座視しえない問題なのであります。

この中越対立は日本のマスコミでも大きく取り上げられてまいりましたが、わたくしの承知する限り、もっとっも詳細なのは、『文芸春秋』7月号に掲載された、ジャーナリスト森健さんおよびノンフィクションライター森功さんの「「南シナ海事変」勃発ー中華帝国の侵略を食い止めろ―」と題する「現地ルポ」であります。

この記事の中で森健さんは、ベトナム共産党理論評議会のブ・バン・ヒエン副議長の発言として、以下の発言を引用しておりますが、これは正しく引用されたものであると仮定しても、きわめて不正確で、ベトナム側の法的立場をかえって損ねるものではないかと思うのです。

まず、この引用文をご紹介しましょう。

第1点は、1051年9月のサンフランシスコ平和条約にかかわるものです。この条約では、西紗諸島、南紗諸島の放棄が規定されております(第2条)。しかし、「放棄」されたこれらの領土がどこの国に帰属するのかということは何も規定されておりません。

ところが、『文芸春秋』7月号の前述の記事の中でベトナム共産党のブ・バン・ヒエン理論評議会副議長が述べたとされる発言によれば、「同条約(講演者注:サンフランシスコ平和条約)会議の国境問題の専門部会では、ベトナム、中国を含む51カ国が参加しており、両国を含む46カ国が西紗、南紗諸島はベトナムの領土だと認定していた。」というくだりがあります。

第2点は、「これだけではありません。そこから3年後の1954年ジュネーブ協定(第一次インドシナ戦争の休戦協定)でベトナムは南北に分断されたのですが、その際も西紗、南紗諸島は南ベトナム(のちのベトナム共和国)に帰属されると明記された。この協定には中国も署名しています。(後略)」です。

まず、第1点について言えば、サンフランシスコ平和条約会議への参加に関して中国には代表権問題で中華人民共和国と台湾の蒋介石政権とが対立しており、その結果、両者のいずれもこの会議には公式には招待されておりません(なお、日本は台湾(中華民国)と1952年に個別の平和条約を結んでおりますが、この条約でもこれら2諸島の帰属には言及されておりません)。

したがって、中華人民共和国であれ、台湾であれ、vote(投票)というような公式記録に残るようなきわめて公的な意思表明をする機会が与えられるはずがないのであります。

ただ、最近、ベトナムの国連常駐代表(いわゆる国連大使)がバン・キ・ムン国連事務総長あてに発出した口上書の中には、サンフランシスコ平和条約案文の会議での審議中に中国の意を受けたソ連が中国からの13項目の要求を提示したが、反対多数で否決されたこと、そのあと、南越の代表が南シナ海における島の領有権について主張したところ、どの参加国も異議をさしはさまなかった旨、記述されております。

次に、1954年のジュネーブ協定ですが、この協定には南紗、西紗諸島の帰属に関する条項は見当たりません。

このジュネーブ協定は、本協定とそれを国際的に保障するための最終宣言とで構成されております。

まず本協定の署名者は、フランス軍司令官とベトナム人民軍(北越軍)司令官の2者であります。この本協定では、陸地部分であるベトナムの南北軍事境界線が明確に規定されておりますものの、南シナ海諸島の帰属に関しては何ら言及されておりません。

それでは、最終宣言ではどうなっているのかといえば、この最終宣言には会議参加者である米国も南越政府も署名を拒否しており、国際的に有効な文書とはなっていないのです。

この最終宣言文書は、中国をも含む会議参加諸国が本協定に規定された南北軍事境界線維持を通ずる和平に国際的な保証を与える目的で、停戦監視委員会の設置などがうたわれており、中国も署名はしたのでしょうが、米国と南越政府が署名を拒否したので、国際的に有効な文書にはなりませんでした。

ですから、どう見ても、このジュネーブ協定を根拠に南紗、西紗諸島へのベトナムの領有権を主張することには無理があります。

筆者の森健さんは、インタヴューの相手が仮にそういったにせよ、もう少しサンフランシスコ平和条約や1954年のジュネ―ブ協定について勉強してから記事を書けばもっと信頼できる記事になったでありましょう。せっかくの労作が惜しまれてなりません。

なお、ベトナム側の法的な根拠は、公式には、17世紀以来の「先占」(平たく言えば、だれもまだ手を付けていない土地に関しては、先に有効な支配を及ぼした国が主権を主張できるという慣行に基づいた理論)を根拠にしているようです。

代表的な事例をあげますと、2014年5月23日、ベトナム外務省で行われた記者会見で、ベトナム国家国境委員会のチャン・ズイ・ハイ副委員長は、こういっているのです。

引用しますと、「ベトナムは、南紗および西紗群島に関してその主権を強固に立証する完全な法的基盤と歴史的証拠(evidence)を有する。

何世紀にわたって(少なくとも、17世紀以降)、ベトナムは、これら2つの群島がいまだに無主の地であった時に、これら2群島に対しその主権を確立、行使してきた。」と申しているのです。

しかし、西紗諸島はともかく、南紗諸島はホー・チ・ミン市から東に800キロメートルも離れており、もっとも近い島でもベトナムの海岸から500キロメートルは離れております。

中国本土からはもっと離れています。地図を見ればすぐにお分かりかとおみますが、フィリピンやブルネイに近いのです。このような地理的な状況からして、いろいろな国が南紗諸島に関し、さまざまな権利主張をすることになります。ベトナム、中国、台湾が南紗諸島のすべての島々に対する領有権を主張いたしておりますが、マレーシア、フィリピンも一部の島々について領有権を主張しています。

ブルネイは、自国に近い海域を排他的経済水域として主張し、陸地に対する領有権は主張しておりません。

この2つの諸島に対する実効支配の歴史は複雑ですが、ごく簡単に申し上げますと、ベトナムがフランスの植民地であった1930年代にはこれら2つの諸島にフランスの実効支配が及んでおりました。日本がそれを奪い取り、サンフランシスコ平和条約で領有権を放棄したのです。

この後、西紗諸島に関しては、1954年の第1次インドシナ戦争の終結に伴いベトナム南部に成立したベトナム共和国(南越)政府がこの群島の西半分を占領し、中華人民共和国が1956年に東半分を占領いたしまして、18年間にらみ合いを続けていたのですが、ベトナム戦争末期の1974年1月に中国は南越軍を排除してに西半分をも手に入れたのです。

南紗諸島に関しては、1956年10月に南越政府がフォクトイ省の一部に編入いたしました。ベトナムの北ベトナム政府による統一後は、ベトナムの支配下にありましたが、1988年3月に中国海軍がベトナム海軍を攻撃して、南紗諸島を武力占領し、今日に至っております。

こうしてみますと、中国は相手が弱いとみると、必要であれば、軍事力を行使してでも領土を奪取することがよくわかります。

日本の態度はと申しますと、先般安倍総理がシンガポールで演説されましたように、「国際法に照らして正しい主張をし、力や威圧に頼らず、紛争はすべからく平和的解決を図れ」というものでありますが、その依拠する国際法の内容がいかなるものであるかは明言しておりません。

なお、日本外務省としては、北方領土、竹島、尖閣諸島のいずれに関しましても、「先占」理論を適用いたしております。

以上、若干専門的なことを申し上げましたが、『文芸春秋』のような代表的一般月刊誌に大々的に掲載されているような一応もっともらしい記事でも大きな間違いがあり得るということを銘記していただきたいと思います。
(元駐べトナム大使) 平成26年7月27日



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