2014年08月03日

◆恩師・立川外海先生の思い出

馬場 伯明


夏がくれば思い出す。でも、はるかな尾瀬や遠い空ではない。

昭和46(1971)年の夏、長崎大学医学部附属病院に、口加高校の1・2年の担任だった立川外海先生を、姉といっしょに見舞った。夏が来てあの場面を思い出せば今でも涙が滲んでくる。

先生は末期のガンだった。頬は窪み親指と中指の輪で足りるほどの二の腕。鎖骨は浮き寝間着の隙間から膨れた腹と肋骨が見えた。皮膚は黄色くなり仰臥し目は閉じられていた。私はベッドの傍らで大きな声を出した。

「先生、馬場です。ご無沙汰しています」「おう、馬場・・・ハクメイ(伯明)か、おまい、今どうしとっとね」「川崎製鉄に勤務し倉敷市にいます」「そ・・、そうか・・、立派になったな」

「はい、ばってん(しかし)、しっかりしてください、先生!」「わしゃ、もう、だめばい」「そがん(そんな)ことはなかですよ。姉ちゃん、そがんよね(そうだよね)」「そがんですよ、しっかりしてください」

悄然として2人は病室を退出した。先生は翌年1月に亡くなられた。享年56。私は葬儀には参列できなかった。あの日から43年経った。高校時代の恩師・立川外海先生の思い出をいくつか記したい。

 1.中学校と違い英語の授業は難しかった。1年生の教科書でロンドンの風景描写場面があった。先生の口癖は「みなんぐしゃ(南串中学校出身者)発音の悪か。なっとらんばい」である。

南串中出身の多くは正しい発音ができなかった。London(lʌndən)“ロンドン”は“ランダン?”、Tower of London(tauə ɑv〈əv〉lʌndən)“タワーオブ ロンドン”は“タワランダン?”、Tower bridge(tauə bridʒ) “タワー ブリッジ”は“タワブリッ?”と聞こえた。

実際に見てきたような話しぶりなので洋行帰りと思っていた。後年、観光旅行や出張でロンドン塔やタワーブリッジを見るたびに、立川先生の授業風景を思い出した。

 2.2年生の体育祭では張子の応援ダルマを作るなどクラスがまとまっていた。体育祭のあと加津佐町の「海の家」で打ち上げ会を先生抜きで断行し盛況・・夜が更けていく。学校の宿直や先生宅に女生徒の家などから問い合わせが殺到し大騒ぎとなった。

翌週、全員が茶道室に正座させられ川島亘先生による「教頭訓戒」処分、さらに、学級委員長の私と女性のH副委員長の2人は本城勝美先生による「校長訓戒」の追加処分を受けた。

先生は生活指導担当の久間利治先生から生徒の管理不行き届きで「厳重注意」を受けられたという。ところが、謝った私を立川先生は意外にも笑ってやり過ごされた。

 3.本城校長の重点目標は学力向上であった。立川先生も生徒の成績向上に全霊を傾け気合が入っていた。長崎県中央地区の合同模擬試験は島原・諫早・大村高校の格上高との他流試合である。

数学や物理でS君やM君、世界史でN君、英語でK君やHさんらが、高得点で上位に入ったときの喜び方は無邪気な子供のようだった。立川先生のためにもしっかり勉強しなければと思った。

 4.2年生のとき諏訪の池に学級遠足を計画したが、途中で雨になり急きょ予定を変更し(門前地区の)私の家で雨宿り。50人近くの男女生徒が屋内に溢れた。弁当を広げ、雑談・トランプ・将棋などで遊んだ。

この日父は不在。駄菓子とお茶だけの母のもてなしだったが、先生は大いに恐縮し猫背気味の背中をさらに丸め「生徒がお世話になります」と母へ挨拶。立川先生は英語の授業では猛虎、学校の外では猫同然だった。

 5.4月初めの国語の授業中、S君と私が学帽の加工について私語をしていた。「ツバ(庇)をもう少し短く」「ロウ(蝋)で固めた方がよか」など。ついに若い本多秀雄先生の雷が落ちた。「出ていけ、今年1年間2人は俺の授業は受講禁止だ!」と。仕方ないので図書館へ行った。

放課後、呼ばれた職員室で先生は顔を真っ赤にして「さ、本多先生に謝れ」と言う。一応頭を下げて帰った。後日授業は受講可となった。立川先生が本多先生を必死になだめたということを後で知った。

 6.2年生の終わり。先生に島原高校への転勤辞令が出た。3年生までそのまま担任し指導をしてほしかった。鬼の指導で学校の成績水準が向上し、島原高校など中央地区の上位進学校を急追していた(らしい)。

大学受験を先生とともに迎えたかった。「海の家」での送別会で、委員長の私は「なして(なぜ)最後まで面倒ば(を)見んと(見ないの)ですか」と厳しく追及し、駄々をこねた。

海の家の玄関から記念品を抱え背中を丸め去って行く先生の後ろ姿は淋しげに見えた。だが、じつは、立川先生は(口加高校での)受験指導の腕を買われ、抜擢され上位進学校の島原高校に栄転されたのであった。

翌春、私たちは厳しい受験戦争を立派に戦い抜き、驚異的な入試成績で立川先生と学校内外に口加健児の心意気を示した。その快挙に学校も鼻高々だった。(・・・私を含む数人は浪人となったが)。

《口加高、開校以来の好成績!!北大・東北大・東京外語大・神戸大・広島大・九大・熊本大・長崎大など国公立大学へ59人(内医学部2人)。早稲田大・中央大など私立大に30人、短大等へ27人、合計116人の合格。ほとんどが現役で驚異の合格率95%。「片田舎の普通科わずか3学級しかない学校が」と全県下の人々を驚かせている。(長崎新聞等が報道)》

さて、立川先生は黄泉の国でどう過ごされているのだろうか。英語の教科書を手に授業中なのか、それとも、早世したクラス仲間のTさんとJさんの「花」を両手に楽しく散歩かな。その後ろからK君、N君、Mさんらが追いかけているかもしれない。

立川先生、そちらで待っていてください。私たちも、もうすぐ、同行しますから・・・。 合掌
(2014/8/1千葉市在住)


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