2014年08月14日

◆他人に教える難しさ

渡部 亮次郎


日本に生まれれば自然に覚えるのは日本語である。しかも田舎に生まれれ ば田舎弁を覚える。私の英語はアメリカ訛りで日本語は秋田訛りだ。アメ リカ語は50を過ぎてから強制的に覚えたものだから、日に日に忘れてゆく。

これについては14歳までに覚えた言語は死ぬまで忘れない、という研究が あるそうで、私の場合は18歳まで秋田で過ごしたから、直ったようでも秋 田訛りはどこかに死ぬまで残るだろう。
 
後輩の1人の高級官僚。財務省にトップで入ってすぐケンブリッジに留 学。3年勉強してIMF(在ワシントンDC)に赴任を命じられた。本場で英語 を3年も勉強して行ったのにアメリカの英語が3日ぐらいは全く理解できな かった。

アメリカ語はアメリカ語であって厳密には英語とはいえないから当然だっ た。しかも国力の差からして今後、世界の言語を左右するのは英語ではな い、アメリカ語なのである。そういえばニュージーランドの「英語」は3 日ぐらい分からなかった。

日本は明治政府になった時、政府が「標準語」を制定した。作家井上ひさ しの著作によれば、その時「東京山の手の言葉」が標準語と決まったが、 わずかの差で京都弁が標準語になるところだったそうだ。

ところでアメリカ語には標準語が無い。移民の国だから当然であろう。し かも本場イギリスに至っては階級によって訛りが違うというのだから厄介だ。

日本で今の英語教育は「話せる英語」を政府から強いられているように思 うが、そういう政府の役人自体、何を以て英語となすか、分ってはいない。

ケネディー大統領時代に発足したのが日米教育文化交流会議=CULCONが日 米文化交流の原点なのだが、日本では主導権を外務省に握られ、アメリカ のパートナーである教育省は共和党政権になると常に廃止の憂き目に遭う から力が無い。

私も何回かワシントンでのCULCONに出かけたが会議はしばしば地下室で開 かれる始末だった。政府が異文化交流に関心を示さずカネを出し渋るから である。

最近は開催されているかどうか、ニュースにすらならない。このことから しても日本における英語教育の責任は教師一人ひとりの肩に架かっている と言わざるを得ない。

英語教師にはそれだけ自由があり、楽しいということでもある。ただ英語 教師に願いたいのは、生徒に対して、君たちになぜ、今、英語を習わせる のかを最初に説明してやってほしい。「今のあなたの頭脳は柔軟で英語を 覚えやすいから」と。(わたなべ りょうじろう 1936年1月生まれ NHK 政治記者約20年 外相・厚相秘書官約5年 社団法人日米文化振興会理事 長17年。 最後は日本健康医療専門学校校長7年。 78歳。

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