2014年08月18日

◆私の情報論

前田 正晶


私は在職中の1955年(昭和30年)から実質的に1993年末まで営業を担当し、その中で主要な部分を占め多くの時間を費やしてきたのが情報収集だった。情報とは"information"という言葉出てくるように、何となく諜報機関を思わせるものがあります。

1932年頃だったか、担当した我が国最大の印刷会社の購買担当者に「あなた方流通機構の方々は我々に市況報告をしたがる傾向がある。これは認識不足で、市況を作り出しているのは我々需要家側である。

私が知りたいことは競争相手の動きであり、メーカー側の経営方針であり、世界の変化の状況である」と指摘され、初めて情報には"intelligence" の側面があると知りました。

そこで不見識かも知れませんが、何となく開始したのが業界での交際範囲を広げて方々に顔を売り、情報網を構築することでした。その際に当時の上司からは「話し合っている相手が何気なく語ったことが、こちらにとっては飛び上がるほどの重大な情報であることが間々ある。それと知ったならば、直ちに話し合いを止めて帰社し私に報告せよ。その重大性の判断は私がするが」と指導されました。


また、業界の言わば(私が嫌うカタカナ語ですが)ベテランからは「何か聞き出そうと思ったらメモを取るような愚かな真似をしないこと。全て記憶力で勝負せよ。要するに聞き上手になれ」とも教えられました。何れも重要な情報収集のテクニックだと思うのです。とは申せ、私はその頃から熱心に情報収集活動をしていた訳ではなく、他人様から話を聞く(聞ける?)ことを楽しんでいた側面もありました。


その間に解ってきたことは「情報収集活動は何処までいっても所謂「ギブ・アンド・テーク」(give-and-take=持ちつ持たれつ?)である点でした。何かを得るためには時には「肉を喜んで提供し、骨を奪う」くらいの覚悟が必要だったということでした。

次ぎに重んじたことはアメリカの会社で痛感した「伝聞をそのまま伝えるのではなく、自分で十分に消化・咀嚼して、自分の意見を加えて報告するというか提供すること」でした。単純な例を挙げれば「業界新聞の特ダネかも知れないことを伝えるようなやり方は情報提供でも何でもない」とでもなるでしょうか。


上記の「自分で消化・咀嚼して」は1995年からお手伝いした紙パ業界の専門出版社の社長と意見を交換した時に主張して「私は常に当社の記者たちにその点を心掛けよ。記事はそうしてから書けと指導している」と賛成されました。これは偉そうに言うことではなく、単なる基本だと思っております。


もう一つ忘れてはならない重要なことは「自分の独自の情報網を築き上げて、これに関連することは何処の誰にその場で電話しても聞き出せる次元にまで持っていっておくこと」でした。

これに関しては、日本の会社からアメリカの会社に変わって原料の分野に出た時には、如何に速く情報網を築くかに注力しました。結果的には各分野で作った情報網は何処に行っても役に立ったということでした。

最後に書き物にしにくい点があります。それは如何にして「良き聞き手になるか」でした。ここには勿論「ギブ・アンド・テーク」の技法もありますが、意外だったのはテレビ番組で(見たくもないグループの)エクザイル(EXILE)の一人が、語りかけている相手が微動だにせず熱心に聞いていた時に「話し辛い」と悲鳴を上げたことでした。

実は、私は生まれつき(?)ジッとしていられないので、話し合っている間に同じ姿勢を2分も維持できないのです。それかあらぬか、屡々「何故貴方にこんな事まで語ってしまうのだろうか。不思議だ」と言われたほど「そこまで他社の私に語って良いのですか」と言いたくなったほど社外秘かも知れないと思う事柄を聞かせて貰ったことがありました。



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