2014年08月25日

◆ブラジリアの不倫

渡部 亮次郎


南米の果てしない原野に男女がぽつんと置かれたら、どうなるか。ブラジルの人工の首都ブラジリアはそんな都だ。首都なのに人口が250万。さっぱり増えない。

役人(男女)の殆どはサンパウロやリオデジャネイロ、マナウスなどの他の大都市からの単身赴任。となるとタイトルが現実となる、と聞かされた。

メモを引き出してみると、福田、大平の両内閣で外務大臣を務め、続く鈴木善幸内閣で3度目の外務大臣を務めていた園田直がブラジリアを訪れたのだ。昭和56(1981)年7月。

カナダのオタワで開かれたサミットから帰ってわずか5日後の29日、南米各国歴訪の旅に出発した。成田を出て懐かしやヴァンクーヴァーで乗り換えてメキシコ。大平正芳前総理(故人)を記念する大平公園命名式に出席。

ブラジルには8月4日にまずサンパウロ到着。なんと日本大使は嘗てサウジアラビアのリヤドで我々随員に食事の差別をしてくれたあのO氏では無いか。

翌日O大使も共にサンパウロを出てブラジリアへ。「ここは人工都市だから娼婦もいませんよ」という説明をしてくれたが、宿舎から外出した途端、おねえさんから声がかかったのはどういうわけだ。大使は取材が苦手なんだ。

日本の首都移転論は主として東京の過密が理由だが、広いブラジルでは何が原因だったのか。

ブラジルは、ポルトガルの植民地から独立した頃から(ブラジリア建設以降、現代に至るまでも含め)旧首都であるリオデジャネイロやブラジル最大の都市であるサンパウロといった大都市が存在する大西洋沿岸部に人口や産業が集中している。

そのため、内陸の高原部との間で所得などの面で大幅な格差があり、既に19世紀頃からその解消と、その方策としての内陸部遷都が叫ばれていた。

20世紀に入ってからも、何度か内陸遷都が検討されながらも度重なる政変や第2次世界大戦の勃発などで具体的な形にならないままでいた。

1956 (昭和31)年に大統領に当選したジュセリーノ・クビチェック(ジュセリノ・クビシェッキ)は、新首都建設で内陸部の開発とそれによる国土の均衡的発展を企図し、正式に新都市の建設とリオデジャネイロからの遷都を発表した。

その結果、連邦直轄のブラジルの首都ブラジリア(Brasilia)が中部の標高約1100mの高原地帯に建設されることになった、完全な計画都市である。

工事はクビチェックの任期である5年以内に間に合うよう、急ピッチで進められわずか41ヶ月間で完成。1960(昭和35)年4月21日に供用を開始した。

高原の荒涼とした未開の大地に建設された計画都市。ブラジル人建築家ルシオ・コスタの設計により建設された計画都市地域は、人造湖であるパラノア湖のほとりに飛行機が羽根を広げた形をしており、飛行機の機首の部分に国会議事堂や行政庁舎、最高裁判所が並び、羽根の部分には高層住宅や各国の大使館がある。


国会議事堂や大聖堂などの主要建造物は、いずれもモダニズムの流れを受けた未来的なデザインで作られている。これらの公共建築の主任建築家は、ニューヨーク市の国際連合本部ビルの設計も担当したブラジル人建築家オスカー・ニーマイヤーである。

1987年には、世界遺産に登録された。歴史的な街並みを持つ都市が世界遺産に登録されることは多いが、建設されて40年未満という若い都市が登録されたのは異例のことである。

この新首都の建設によって内陸部の開発が進んだが、その一方で、莫大な建設費はブラジルの国家財政に大きな負担となって残り、1970年代から1980年代にかけてブラジルを襲った経済不振と高インフレの大きな原因の一つとなったとのマイナス評価もある。

事実、大統領は園田外相に「お国には自民党という政党があるからこそ驚異的な経済発展が出来たと聞いている。一つ自民党を輸出しえ呉れませんかね」と冗談交じりに言ったほど経済苦に悩んでいた。

新首都を国土の中央に建設した結果、開発の進行によって内陸部の経済振興は進み、ブラジル全体としてみれば、国土の中央部にブラジリア国際空港(ジュセリノ・クビシェッキ国際空港)を建設したことにより、航空路線の航路は東西南北の各地域を結ぶハブを得た。

商業運輸の面でもこの地域の国道が整備されたことで、中西部のマットグロッソ州方面から北東部のバイーア州など大西洋側の地域へ、あるいはサンパウロ州から中西部、北東部へと抜ける物流や長距離バス路線が再整備されており、連邦直轄区の建設自体には今日、一定の意義が認められる。

しかしながら、道路は整備されているものの、河川が無い内陸部に建設されたため水運手段が無く、航空路線も国内線は充実しているが国際線定期便の就航はほとんどない。

また、サンパウロやリオデジャネイロ、マナウスなどの他の大都市とは距離がかなり離れている。このような状況から大企業の本社機能の移転などが行われるには至っていない。

さらに、ブラジリアは整然とした計画都市だが、市内の移動は自動車による移動を前提にしているために、実際の市民生活を送るには不便である。

しかも、国家プロジェクトとして緻密な計画が練られて開発されたブラジリア市とは対照的に、周囲の衛星都市は無秩序に発展し、ブラジリアが位置する連邦直轄区内は州境の幹線脇を中心に土地の不法占拠など半ばスラム化しているところもある。

しかも、そうした衛星都市を都市圏とすることで成り立つブラジリア市もその影響をまのがれておらず、一口に成功したとは言い難い状況である。

(莫大な建設費を一挙に投じて、巨大建築が立ち並ぶ理想都市を建設したブラジリアのアンチテーゼとして、低コスト、ヒューマンスケール、小さなプロジェクトの積み上げという街づくりを掲げ、成功したのがパラナ州のクリチバ市であった)。

市内は自動車道と歩道が完全に区別されており、自動車道も極力立体交差になるよう設計されている。住宅区画と商業区画、官庁街など各区画は厳然と分かたれており、市民生活においても移動が不便であるため、総人口250万人弱に対して自家用車の総数は100万台弱と、ブラジルの都市としては自動車の保有率が高い。


市内の主な公共交通手段はバスとタクシーである。近年になって、一部で地下鉄も開業している。

サンパウロやリオ・デ・ジャネイロ、マナウスなどの他の大都市とは距離が離れており、旅客機と長距離バスが都市間の主な交通手段である。鉄道駅も存在するものの、こちらは貨物が主であり、一般に旅客には用いていない。

空港はブラジリア国際空港があり、国際便と国内便が就航している。国際便については、ブラジリア自体に大きな産業がないため、首都の空港であるにも拘らず就航がほとんどない。

国内便については、ブラジル国内の旅客便は南部の都市、中部の都市、北部の都市にまたがって移動する場合、必ずしも直行便があるわけではないので、ブラジリア国際空港が各都市を結ぶ乗り換えのハブ的役割を果たしている。

人工の都市だから街としての匂いも歴史の匂いも無い。ざわめきが皆無の街。果たしてこれを街といえるだろうか。役人の単身赴任が増えれば、単身同士、男女の仲に発展するのは当然であろう。

O大使が存在を否定した街のお姐さんもさぞかし増えたことだろう。それでこそ街が生きている証拠であり、ブラジリアは孤独に耐えながら首都としての歴史を積み重ねてゆくことだろう。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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