2014年08月26日

◆果たして異常気象だけのことか

前田 正晶


最早この観測史上希な降雨を普通と捉えていても良い時かも:

西日本、就中広島市の大豪雨とその甚大な被害状況を、数人の知り合いと語り合った際に「最早この一連の現象を地球温暖化であるとか一時的な現象とか、気圧がどう動いたからこうなったというような捉え方で語る時期は過ぎてしまったのではないか。

このような言わば亜熱帯的な気候に我が国が組み込まれてしまったと考える方が自然ではないのか」との異見を唱える者が多かった。私には反論ないしは否定する材料の持ち合わせはなかった。

テレビにこういう痛ましい事故があると必ず登場する専門家のほとんどが「最初から予見できていた事故であり、危機が迫った際の行政なり地方自治体の対応に改善の余地があったのではないか」などと指摘する。何も解らない私にはご尤も至極と聞こえる。

しかし、所謂「ハザードマップ」(災害予測地図)の作成作業と地元の合意を得るのか如何に大変かという説明を聞くと、私益(私損)と地域全体の安全の何れかを優先するかとの判断が、当該地域の住民にとってはとてつもなく重要な案件だと解る。地方自治体の押し切れないとの釈明にも一理ないしは半理くらいはあるようだ。

そのことはさて措き、気象条件がここまで従来の美しき四季の変化を楽しむことが出来た我が国独特の形から、集中の超豪雨が毎年のように襲ってくるように変わったのであれば、最早これまでの常識であった対応策を捨てて亜熱帯式な気象に対応する態勢に換えておかねばならないのではないか。

そこには当然公的資金の投入も必須となるだろう。財源の問題も出るだろう。だが、予防は最善の治療なりという言い慣わしがあると思っていれば良いのではないか。

私の1970年8月のマニラでの経験では、取引先のマネージャーの家に夕食に招待さレている間に、あの地方独特のスコールというのかどうか知らないが、大豪雨があって帰りの道路が冠水し、2〜3時間拘束されたことがあり、東南アジアでの豪雨の恐ろしさを経験した。

我が国起きている豪雨による大規模損害と犠牲者の報道を見れば、我が国は徐々に東南アジアに近い気象条件に移っていっていると感じてしまう。

最早二酸化炭素発生がどうしたの化石燃料を動力源とする自動車をHybrid に変えたくらいで追いつく時期は過ぎたのではないかと思わされてします。

しかも、我が国が幾ら正統な努力を積み重ねても、我が国の周辺には未だに環境対応と保護が揺籃期にある国が多くはないか。さらに夢のような考え方だが、森林の徹底した管理と土壌の改良にも "Better late thannever" の精神で着手して貰いたいと思う。

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