2014年08月28日

◆私の[身辺雑記](137)

平井 修一


■8月24日(日)。朝は室温26.5度、快晴、風があり涼しかったが、9時には30度近くまで上がった。今日も暑そうだ。ミンミンゼミが鳴き始めた。晩夏のようだ。

3年振りくらいに先輩からメールが来た。

<残暑お見舞い申し上げます。いかがお過ごしですか。お元気ですか。

今年こそは、あのK(近ツ)の顔触れをそろえて、旧交を温めようとおもっております。

それにつけても、月日ばかり先へ流れています。思い立ったところで、メールさせていただきました。

当方、元気に過ごしております。家事労働に遊びに。

9月25日−10月2日(土、日除く)あたりで、お声をかけようかと考えておりますが、ご都合はいかがでしょう?>

先輩はいい記者・編集者だった。父君は日経の記者だった。DNAが影響しているのだろう。

さて、何と返信すべきか。

「母を看取ってからのここ2年半、車にも電車にも乗ったことがなく、すっかり引き篭ってネトウヨしています。外出する気はありません。わが家で1泊2日の宴会を提案します。

料理には自信があります。しょっちゅう10人前後の宴会をしていますから慣れたものです。来客用寝室は8畳間と15畳間があります。パジャマを持って来てください。

皆さんには大変お世話になりましたので、もちろんロハです。恩返し、謝恩です。近所には銭湯もありますから、ちょっとした温泉旅行をぜひ楽しんでください」

これでいいだろう。

閑話休題。ハマスは、エジプト国民が追放したムスリム同胞団のガザ支部である。そういう認識がないと事の真相が分からないことになる。世界日報8/22「ガザ攻撃で冷静だったエジプト国民」は大いに真理をついている。

               ・・・

イスラエルとパレスチナのガザを実効支配するイスラム根本主義過激派組織ハマスとの激しい戦闘を目前に、今回のエジプト国民は実に冷静だった。「イスラエル反対」を叫んだ中南米や一部欧州諸国の国民とは対照的に、「イスラエル反対・ハマス支持」を叫んだエジプト国民はほとんどいなかった。いつもなら、どこの国以上に激しく行動する国民なのだが。

それは、ハマスの母体である、ムスリム同胞団とハマス自体の正体と行動の動機、その無責任さ、身勝手さ、住民を自分らのためにのみ利用して人間の盾とし、決して個々の命に配慮することの無い冷酷非情な性質を、2011年から14年にかけてのアラブの春騒動で、身に染みて感じていたからだ。

同胞団やハマスを含むイスラム過激派の最終目的は「イスラム法施行によるイスラム独裁国家」であって「民主国家」ではない。ボコ・ハラムやイスラム国と本質的にはなんら変わらない性質を持つ過激派団体だ。

そこを見抜けない一部国際社会や人権団体は、「女性や子供が多数死んだ」と騒ぐが、それも皆、同情を買って有利に戦いを推し進める過激派の戦略なのだ。

国際社会は、ハマスやイスラム国、アルカイダ系諸組織の実態を良く見抜いて、民主主義を拡大するための戦いを一致団結して推し進める必要がある。

ハマスのさらに重要目標は、対イスラエル戦闘姿勢を誇示することにより、アッバス・パレスチナ自治政府議長を支えるファタハをヨルダン西岸から追い出し、全パレスチナを制覇することにある。エジプト国民はそのことを見抜いている。(以上)

              ・・・

自由、民主、人権、法治を原理とする欧米流。それとは全く相いれない中露やイスラム原理主義という独裁流。欧米流はベストではないが、独裁流よりは遥かにベターだ。それを独裁流主義者に分からせることはなかなかできないし、「アラブの冬」の混沌を見ると、独裁流でないと国家を維持できない風土民族が多い。難しいところだ。DNAがまったく異なる。

ストーク氏の「連合国戦勝史観の虚妄」読了。第7章の「日本はアジアの希望の光」には泣かされた。

今夜は調布の花火大会。長女の家のすぐそばなのでカミサン、N達はそこで宴会。6時半からドンドンというすごい音が響いている。屋上から見たら三尺玉、四尺玉は丸々見えた。色、形が実に様々で、花火も技術革新が著しい。

夕刻は29度、今日はどうにかクーラーなしで過ごせた。コオロギが鳴き始めた。さよなら夏子、ようこそ秋子、か。

■8月25日(月)。朝は室温28度、曇、風があり涼しくてホッとしたが、犬の様子を見てハーフ散歩。

小生はスポーツに興味がないが、応援する選手やチームがあることはとてもいいことだろう。毎年、春になるとプロ野球が開幕するが、早朝のコンビニからスポーツ紙を持ったオッサンが歩きながら両手に広げて読み始めるなんていう姿を見ると微笑ましく思う。

夕べ見た試合で贔屓のチームが勝てば新聞でその喜びを再度味わい、敗けても大好きな選手の活躍を喜ぶのだろう。昔「巨人が敗けても報知新聞なら、もしかしたら勝っているかもしれない」という笑い話があった。こんな風に書いてあるのじゃないか。

「ON砲連続満塁弾、江夏粉砕!」の見出しで、ONの活躍を詳報。そして最後に「試合は阪神が11対10で逆転勝ちした」。巨人が敗けたなんて絶対書かないのだろう。ファン心理というのは面白い。

日本には日本ファンと反日ファンがいる。反日ファンは戦前はほとんどいなかったが、戦後にGHQの洗脳で急増した。長命ファンは多いが、「もういいや」というタナトス(終末)ファンも少なからずいる。人はいろいろだ。

「スイスへの『自殺旅行者』が急増 死へのほう助求める」WSJ8/21から。

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医療倫理ジャーナル(Journal of Medical Ethics)」に20日掲載された暫定的な研究論文によると、自殺ほう助を求めてスイスに行く人の数が2008年から12年の間に3分の1以上増加した。

研究者たちによれば、スイスで最も人口の多いチューリヒ州では、2012年のいわゆる「自殺旅行者」は172人に達し、08年の123人から39.8%増加した。同州への自殺旅行者の最も多かった国はドイツと英国だったという。

スイスの法律は、利己的な理由でない限り、ほう助自殺を容認している。

マウスバッハ博士は「スイスが他のどこでも実施されていない(自殺ほう助の)仕事をしているのは、他の国の規制がその機会を提供していないからだ」と述べた。

マウスバッハ博士は、この統計は厄介な倫理的・法的な疑問を提起すると述べた。それには患者たちがなぜ自分の生命を終わらせるのにスイスのような遠方まで旅行する必要があるのか、また患者の本国の法律がこの問題に対処していないときに、スイスがそれを行うことが適切なのかという問題も含まれるという。

同博士はまた、スイス政府にとって、例えば現在1人当たり約3000ドル(約31万円)かかっているコストを支払うべきか、どのように支払うかという実際的な問題もあると指摘した。

スイス非営利団体のディグニタス(Dignitas)は、患者の死ぬ権利を支援する最も有名な団体の一つで、今回の研究で取り上げられた自殺旅行のほとんど全てのケースに関わっている。

ディグニタスの幹部の1人、ジルバン・ルリー氏は電子メールで、「ディグニタスの目的は、人々を世界中からスイスに旅行させることではなく、むしろ各国が自分たちの司法システムを人生の終末をどう迎えるかという問題に対処したものにし、それによってその国の市民があるべき選択をすることが可能になり、『自殺旅行者』にならずに済むようにすることだ」と述べた。(以上)

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長命=善、夭逝・夭折・早死に・若死に・早世・短命=忌事ということになっており、「人生の意識的途中下車」である自殺・自裁・自死は社会的に(少なくとも日本では)許されない。嘱託殺人、同意殺人、自殺ほう助は罪に問われる。

生まれたのだから終点まで行くのが自然だ、モラルだというのだろうが、途中下車も一つの生き方だからもっと認めたらいいと思うが・・・還暦を迎えたら、あるいは臓器提供に同意したら「大往生丸」とか「ポックリドリンク」を配るとか。

「末期患者のための『院内バー』、仏病院が開設へ」という記事も面白かった。

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【8月2日 AFP】フランス人は古くから、一杯のワインがもたらす健康効果に揺るぎない確信を持ってきたことで知られる。そのフランスで現在、末期患者の生活の質の向上を目的とした「バー」を病院内に開設する計画が進行中だ。

仏中部にあるクレルモンフェラン大学病院(Clermont-FerrandUniversity Hospital)は今年9月、苦痛緩和ケアセンター内でバーの運営を開始する予定。患者は友人や家族を招いて、一緒にワインやシャンパン、ビール、ウイスキーなどを楽しむことができるようになる。

同センターのグアステラ所長はAFPに対し、国内初となるこの施設は、「困難な日々を過ごす患者たちを元気づけるものになる」だろうと語り、「生活の質を向上させ、与え、受け取ることの喜びを感じてもらうことによって、患者たちに人間らしさを取り戻してもらうことが目的」だと説明した。

所長はまた、近親者との死別に直面する家族にとっても、「明るく過ごせる時を持つ」ことが可能になるとして、「ささいなことだが、大きな違いを生み出せるだろう」と語った。

病院の職員らは開設に向け、バーに来る患者への対応の仕方について、社会人類学者から特別な訓練を受ける。

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これも結構なことだ。病院で送別会というのか壮行会をできる。「じゃあ逝くよ」「逝ってらっしゃい、私も後で逝くから待っててね、カンパーイッ」

神道は死を穢れと見ているようだが、仏教の葬儀では近年、死は穢れではないのだから「お浄め」の塩は出しませんという葬儀会社が増えてきた。

人はいろいろ、人生いろいろ。父は病死、母は老衰、祥月命日は3/9と3/10。父が母を呼んだのだ、「お前百まで、わしゃ九十九まで」と。命というのは不思議である。「天から預かった命なのだから寿命が尽きるまで大切に扱いなさい、授かったのではなく預かったのです、預かり物は大切に」ということなのか。

集団的子育てで7人で夕食。マダラの煮付け、刺身など。

■8月26日(火)。朝は久し振りに室温27度、曇、風があり涼しくていいが、犬は夏バテ気味なのでハーフ散歩。終日、小雨が降ったり止んだり。
(2014/8/26)

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