2014年08月31日

◆日本人の鑑 ―儒者 佐藤一斎

加瀬 英明


正しい日本語を話せないし、正しい挨拶ができない子どもや若者が多い。家庭における躾けが不在となり、学校教育が乱れてしまった成れの果てである。

4月に千葉市の郊外に愚妻を連れて、親しい刀匠の仕事場をたずねて、半日遊んだ。

あらためて刀身の匂いぐちに、魅せられた。刀身の地膚の境に、焼刃の色がほのぼのとうすくなって、煙か、虹のようにみえることから、「匂いくち」と呼ぶが、日本刀を美術品としているゆえんである。

日本刀が国宝の件数のなかで、ずば抜けて多い。

刀身を手に取って鑑賞するのに当たっては、その前に正座してから、丁寧にお辞儀する。茶道で茶碗を手に取る時と同じ作法だ。日本刀は鋭利であり、茶碗は脆いから、手にする前に心を静めなければならない。

人に接する時にも、一旦、心のなかで端座して、相手に対して一礼しなければならない。

それなのに、どうして今日の日本では、老いも、若きも幼い子まで、そろって宅配便になったように急ぐのだろうか? 躾けが悪い飼い犬のようだ。作法は心を安じることから、はじまる。

私は幕末の儒者だった、佐藤一斎を日本人の鑑(かがみ)として敬まっている。幕府の聖堂と称された昌平黌(しょうへいこう)の学長をつとめ、門弟が3千人を数えるといわれる。

一斎は『言志四録』を遺しているが、「肝気有る(怒りっぽい)者は多く不急(せっかち)なり。亦(また)物を容るることも能(あた)わず。毎(つね)に人和(にんわ)を失う」と、戒めている。

躾けの悪い人は、落ち着きがない。急ぐと、自分の心を傷つけるから、病んでいる。

いまの日本人はよい景色を見ると、心が癒されるとか、音楽、本、絵であれ、映画であれ、「癒された」と乱発するが、病んでいる証拠だ。つい、このあいだまでは、「心が休まる」か、「感動した」といったものだ。

躾けを欠いているために、国民の多くが神経を患っている。

 匂うというのは、香りではない。万葉集の「朝日に匂ふ山櫻花」の句はよく知られているが、「輝く」という意味である。

『源氏物語』には麗しい女人が登場するたびに、「匂ふ」と形容している。光源氏をはじめとする男たちの胸の昂まりが、読むたびに伝わってくる。

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