2014年09月01日

◆「核」が日中開戦を抑止する(70)

平井 修一


国際コラムニスト・加藤嘉一氏の論考「 中国がシンガポールから学ぶべき内的措置 愛国主義とナショナリズムの“分離”」(ダイヤモンドオンライン8/2)から転載する。

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「中華民族の偉大なる復興」(=中国夢)という文脈を考えてみよう。

本稿では“中華民族”という「もともと存在していないところに発明された国民」がナショナリズムの仕業であると定義する。

“復興”(rejuvenation)とは何を意味するのだろうか?“復興”というからには、「過去のある特定の時期に戻る」という意味が含まれているのだろう。では、どの時期に戻るのか?

少なくとも“中華民族”が西側列強によって植民地化(あるいは半植民地化)される前の時期(例えば、アヘン戦争あたり)まで遡らなければならない、と中共指導部が被統治者、即ち「発明された国民」に対して主権的に説き続けるのは間違いないだろう。これによって、「国民」が“非自覚的”に覚醒されるプロセスこそが、昨今における中国のナショナリズムだ
と言える。

そんなナショナリズムの根幹をなすのが(少なくとも共産党指導部が根幹に据え、高度に重視しているものが)「世紀の屈辱」(Century ofHumiliation)という産物である。

日本を含めた西側列強に攻められた屈辱の歴史こそが、共産党指導部が自ら作り上げた「国民」(=中華民族)を覚醒するために利用してきた「政治的原理」であり、我々がしばしば目撃する中国人民の“反日感情”を呼び起こすナショナリズムなのである。

日本や欧米に対するナショナリズムが行き過ぎてしまい、そんな外国に対して“弱腰”だと「国民」に認定された政府が、そんな「国民」によって批判や不満の標的と化し、政治体制が下克上的に転覆されてしまう、というのはナショナリズムを起因とした体制崩壊のシナリオであろうが、中国の歴史を振り返れば、決して現実味が無いわけではない。

私自身は中国の現状を“ナショナリズムによる統治”は臨界点に差し掛かっていると捉えている。と同時に、ナショナリズムに取って替わる何かが必要不可欠になってきている、と北京の空気を吸いながら感じている。

来年(2015年)で50歳を迎えるシンガポール共和国は国家建設という意味では一つの成功例であり、モデルケースと言えるだろう。世界中から注目され、多くの人材やマネーを呼び込んでいる。

その根幹を形成するのが“愛国主義”だと私は考える。

インフラが整っており、治安や通貨は安定していて、国民の所得や生活水準も高い。当然、シンガポールシチズンという身分は何処へいくにも便利だ。物価の上昇や格差の拡大は将来に向けた不安要素ではあるが、シンガポールシチズンにその身分を放棄させ、他国へ帰化しようという動機をもたらすまでには至っていないようだ。

制度設計を基にした国家建設が成功しているからこそ、発明された「国民」は「祖国」を愛し、同胞の存在を慈しみ、シンガポールシチズンであることを誇りに思うのだろう。

そして、世界中からシンガポールシチズンになりたいという「他国民」が続々と集まってくる。その代表格が中国人、というのが現状だ。

シンガポール政府は公用語を4つ(英語、北京語、マレー語、タミル語)設けているが、(これは)自国内で生活する民族の多様性を尊重し、狭隘かつ排外的な“ナショナリズム”を抑制し、“愛国主義”をクローズアップする、という意味で極めて重要な政策だと考える。

実は、私は少し前に訪れたスイス連邦でも同様の“仕掛け”を感じた。スイス連邦政府は公用語を同じく4つ(ドイツ語、フランス語、イタリア語、ロマンシュ語)設けているが、私が交流したある地方政府の首長が語ってくれた以下のコメントが脳裏に焼き付いて離れない。

「連邦政府が公用語を4つ設けているのには理由がある。我が国は欧州連合(EU)に加盟していない。ある意味孤立している。国家建設としてそれなりに成功しているだけあって、EU諸国からは“無責任”だと揶揄され、嫌われやすい。こんな状況下で心配なのがスイス国民の間でアンチヨーロッパのナショナリズムが蔓延ることだ。

そうなれば、我が国はますます孤立してしまい、下手をすれば、ヨーロッパ全体を敵に回した形での戦争にまで発展してしまうかもしれない。だからこそ、公用語を4つ設け、スイス連邦内で暮らす多様な民族にそれぞれの言語に基づいた自治を与えている。ナショナリズムを抑制させるという目的があるのだ」

国家建設を成功させることで“愛国主義”は促しつつ、国家内部における民族の多様性を制度的に尊重することで“ナショナリズム”を抑制する。

愛国主義とナショナリズムの分離――。

これこそがシンガポール共和国とスイス連邦という2つの主権国家が共有している制度としての「内的措置」であり、国家建設の教訓である。と同時に、中共がこれから制度設計を通じて追求しなければならない一つの境地だと、私は現段階において考える。

国家として日増しに肥大化し、国際社会における影響や責任も増大する一方で、国内における政治、経済、社会レベルにおける改革は遅れている。貧富の格差、民族問題、環境汚染、社会保障、教育、医療、戸籍などの不公正性、言論弾圧、政府の腐敗、対外関係……、問題は山積みである。

そして、真の問題は、これらの問題が体制崩壊につながると懸念する「国民」たちが「祖国」を放棄し、続々と他国へと帰化している現状である。

労働者、留学生、富裕層……、移民できる人間から移民していく趨勢に歯止めがかかる兆しは一向に見られない。共産党幹部自らが妻子や資産を海外に移している現状からも、統治者、被統治者を含めて、「発明された国民」たちが、「想像の共同体」をどれだけ信用していないかが伺える。

そんな中華人民共和国が未来へ向かっていく上で、シンガポール共和国やスイス連邦の経験は示唆に富んでいる。

国家建設を成功させることで“愛国主義”は促しつつ、国家内部における民族の多様性を制度的に尊重することで“ナショナリズム”を抑制する。

その前提として制度的に機能しなければならないのが、「愛国主義とナショナリズムの分離」という内的措置であることは言うまでもない。(以上)

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まあ、「民族的にバラバラでも、自分たちが共生する国(場)はいい所、大切にすべきだと思われるようにしないと、中共はダメになる」ということで、自浄努力を提案しているわけだ。

一見至極まっとうな論だが、中共は蛙の面。上から下まで国家(における)の幸福なんて誰も考えていない。ひたすら私欲、私利、利己なのだ。漢民族に善意、誠意を期待してはいけない。悪意と憎悪だけである。信じたら騙される。そういうリアリズムで見ればこの論は甘い。論者が善人だからだ。人間を信じているのだろう。(2014/8/28)
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