2014年09月20日

◆私の「身辺雑記」(144)

平井 修一



■9月15日(月)。朝は室温23度、晴、敬老の日。小生は敬老の対象なのかどうか。ウィで調べてみた。

<敬老の日は、国民の祝日に関する法律(祝日法、昭和23年7月20日法律第178号)第2条によれば、「多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う」ことを趣旨としている。

2002年(平成14年)までは毎年9月15日を敬老の日としていたが、2001年(平成13年)の祝日法改正、いわゆるハッピーマンデー制度の実施によって、2003年(平成15年)からは9月第3月曜日となった。(当時、提唱者が存命であったため、提唱者から日付の変更について遺憾の意が表明された)

なお、敬老の日を第3月曜日に移すにあたって、高齢者団体から反発が相次いだため、2001年(平成13年)に老人福祉法第5条を改正して9月15日を「老人の日」、同日より1週間を「老人週間」とした。

*敬老の日の始まり

兵庫県多可郡野間谷村の門脇政夫村長(のち兵庫県議会議員)と山本明助役が1947年(昭和22年)に提唱した「としよりの日」が始まりである。「老人を大切にし、年寄りの知恵を借りて村作りをしよう」と、農閑期に当り気候も良い9月中旬の15日を「としよりの日」と定め、従来から敬老会を開いていた。

これが1950年(昭和25年)からは兵庫県全体で行われるようになり、後に全国に広がった。

その後「としより」という表現は良くないということで1964年(昭和39年)に「老人の日」と改称され、翌年に野間谷村からの政府への繰り返しの働きかけもあり、国民の祝日「敬老の日」に制定された

(「こどもの日」「成人の日」があるのに「敬老の日」がないのはおかしいと声を上げ続けたという)

このため、「母の日」のように日本国外から輸入されたような記念日と違い、日本以外の国にはない。ただし、五節句のひとつである9月9日の「重陽」と主旨が類似している>

ふーん。小生は起業して雇用を創出し、できる限り納税かつ散財したから「多年にわたり社会につくしてきた」人の末席にはあるかもしれないが、それは結局は自分と家族の為であり、敬愛されるほどのことではないと思うのだが。

ところで「重陽」ってなんだ。

<重陽(ちょうよう)は、五節句の一つで、9月9日のこと。旧暦では菊が咲く季節であることから菊の節句とも呼ばれる。邪気を払い長寿を願って、菊の花を飾ったり、菊の花びらを浮かべた酒を酌み交わして祝ったりしていた>

「敬老」は儒教由来だそうだが、そもそも老人、年寄、高齢者、古老、長老、シニア、シルバーの定義は曖昧だ。人口調査では65歳以上を「高齢者」としているが、高年齢者雇用安定法では高年齢者は55歳以上だという。

高齢者と高年齢者の違いを言える人はまずいない。

戦前は民法で「隠居」というのがあった。一般的には還暦の60歳以上で、戸主が生前に家督(家の経営権・義務)を相続人へ譲ると隠居になった。

しかしGHQ憲法の施行(1947年5月3日)による戸主制の廃止で隠居の制度も廃止された。GHQは日本のセイフティネットである「家」を解体したのだ。家や家族優先から個人優先になった。

隠居すれば老人だが、「家破壊」までは産めよ殖やせよの時代が長かったから、老人は孫の世話その他の家事をこなしていた。農村なら戸主とその伴侶は育児・家事を老人に任せて野良仕事に専念できた。老人は孫を教育もしたから、家訓、伝統は代々引き継がれた。だから老人は長老として家でも地域でも敬われた。

今の老人は敬われ、愛されているのか。多くの場合「お荷物」で、産業が振るわない地では戸主、跡取りもいない。生活保護などに頼る独居老人ばかりではないか。「敬老」は死語になりつつある。もはや死語なのかもしれない。

夕べから子・孫来泊。昨日は手抜きしたが、今夜はカミサンが手羽元とジャガ煮、小生がレバニラ炒めを作って8人で楽しむ。

食後は最近カミサンが買った「カラオケマイク」で童謡をみんなで歌っていた。

■9月16日(火)。朝は室温23度、まあ晴、とても涼しい、というか肌寒い。肌シャツの上にTシャツを着て散歩。犬は時速5キロに戻ったが、大事をとってハーフコース。彼岸花は40本ほどが開花。李香蘭は亡くなった。

43年前の1971年9月16日、20歳の小生は三里塚の天浪砦を突き崩すクレーンのアーム上で機動隊と蹴っ飛ばし合いをし、一人を落とした後に小生は落ちた。10年裁判の始まりになった。

一審判決書では「政府・空港公団の対応もまずかった、強引過ぎた」とあった。以来、為政者は「地元の理解を求める」姿勢になった。今や「羹に懲りて膾を吹く」・・・それが国造りや安保の面でいいことかどうか、小生には分からない。歴史は小生をどう裁くのだろうか。

元航空自衛隊空将・佐藤守氏の論考(ブロゴス9/15)に気になる記述があった。(名誉空将とか名誉社員という名称があってもいいのじゃないか)

<一九五〇年六月の朝鮮戦争でも毛沢東は金日成を支援すると称して「義勇軍」を送り込んだが、そのほとんどは投降した蒋介石の敗残兵であり、“人海戦術”と称して米軍に始末をさせた。

一九七九年二月に「懲罰を加える」と称してベトナムに侵攻したトウ小平も、対立する政敵と軍を最前線に送りこんでベトナム軍に始末させている。

現在の軍首脳部はほとんどが胡錦濤前主席の息がかかっているから、習近平は“尖閣”で自衛隊や米軍に始末させかねない。そう仮定すれば、尖閣紛争は第二の盧溝橋事件に発展しかねない危険性がある>

日米同盟軍の武力を使って中共軍内の反習近平派の粛清を図る・・・あり得ない話ではないが、どうなのだろう。

佐藤閣下は9/14のブログで「朝日ならぬ“夕日”新聞」とこう書いている。

<明らかに意図的な虚報を流し続けていた朝日新聞が、とうとう窮地に追い込まれた。この会社を≪報道機関≫だと勘違いしてきた読者初め、メディア界も反省すべきだろう。『朝日』ともあろうものが、何でこんな虚報を流し続けたのかと世論は喧しいが、「報道機関」の衣をまとった「諜報機関」だったのである。

戦前、戦中そして戦後と、この会社の記事は一貫して反米、反日であった。縮刷版を見直してみるがよい。

戦後急変したのではなく、一貫して「反米・反日」だったことがよくわかる。戦時中は尾崎秀実とゾルゲ事件で明らかになったように、コミンテルンの指示通りに動いていたことは明らかである。

戦後は、反米反自民であった。その典型的な現象が、今沖縄の反基地闘争に集約されている。沖縄の“言論機関”を指導してきたのは、朝日をはじめとする左翼報道機関であった。

今はさらに複雑化して、シナの豊富な資金によって動かされている。現役時代、(沖縄の)地元新聞社屋で行われていた「蘭の花展」を鑑賞に行った時、「目指せ16万部」というスローガンが壁一面に張り出されていて、同居している朝日新聞記者がそこの記者を“指導”しているのを目撃した。その後しばらくして、この新聞の社説が朝日社説の“盗用”だと騒ぎになったことがある。

今の朝日の社長は「木村伊量」というらしいが、珍しい名前だから調べてみると、以前編集局長に「朴伊量」という名前があった。別人かな〜?

週刊文春に彼は“瞬間湯沸かし器”だと書かれているから「火病」じゃない
か?>

木村伊量は半島系の帰化人なのか、通名なのか。嘘八百の慰安婦記事を書き火をつけた元朝日記者・植村隆の伴侶も半島人のようだ。植村の息子は米国留学中、娘も今秋から留学するらしい。日本から逃げ出すつもりか。禁足令を。

■9月17日(水)。朝は室温24度、晴、涼しい。

戦前の支那の様子は今の中近東と似ているのではないか。軍閥、匪賊が割拠してグチャグチャ。戦争大嫌い、ゴルフ大好きのオバマは、ずるずると泥沼にはまっていく感じがする。

戦争大好き、民主主義大嫌いのプーチンを引きづり込んで一気呵成にイスラム国を掃討して治安を回復すべきだと思うが。現代版の国共合作、米露合作、抗イスラム国戦線だ。日本はしっかり応援すべし。

宗派、民族が異なると、きっちりした国家を維持するのは難しい。高度な自治を認める連邦制などがいいかもしれない。チェチェンは「お前らの好きにしていいから、とにかく暴れるな」ということでプーチンが抑え込んだ。

柔道大好き、寝技も得意、暗殺へっちゃらという、この強面マッチョでなければイラクやシリアは治まらないのではないか。

女も治めるのは難しい。

小生の料理の最大の基本は、週刊ホテル・レストラン創業者の太田土之助氏の信念「熱いものは熱く、冷たいものは冷たく」だ。ぬるいものを出すなということ。夕食を作って熱々を配膳するとぐったりする。

カミサンが「アンタ、疲れているみたいね」と言うから、30分後に、こう話した。

              ・・・

ホテルのレストランの厨房は、和洋中華、仕入れ部門のざっくりした分け方のほかに、西洋料理だけでもサラダ・前菜部門、スープ部門、揚げ物部門、炒めもの部門、お酒部門、パン・ケーキ部門などがある。

あらゆる部門を総動員し、客の注文にさっと応える。現場は戦争だ。一糸乱れずに調理する。ステーキを焼いても不慣れで添え物を作るのが遅れた新米は蹴っ飛ばされる。「ちゃんと作りなさいね」なんて言う余裕はない。そこは戦場なのだ。

新人は殴られ蹴っ飛ばされて育つ。そしてチームの戦力になる。ほとんど軍隊だ。こうして一人前に育つ。強烈な徒弟制度、一心同体のチームワーク。

総大将はシェフだ、司令官は各部門の料理長だ。シェフや料理長が引き抜かれると部下はほとんど全員ついていく。

家庭料理では一人であらゆることを同時にする。焼く、茹でる、煮る、炒める、配膳する・・・小さな戦闘だけれども1人でやるから消耗も激しい。

              ・・・

以上はごく一般的な話なのだが、カミサンは急に「私は一人でずっとやってきたのよ!」と怒り出した。彼女は過去にフラッシュバック?する癖がある。訳が分からん。女は不可解だ。

女は恋の対象であり、会社仕事を共有するのは難しいのかなあ、女は育児、家事が一番向くのかなあ、男同士で結婚したいという気持ちも分かるなあ、なんて思う。

スラブ民族は「女と馬は殴って調教する」とか。プーチンは逆らう国民を鞭打っている。それでも(それだからこそ?)支持率は驚異の85%。イスラム国もバシバシ打ってくれ。

■9月18日(木)。朝は室温23度、晴、涼しい。前日に続きN母子来泊。

張学良をボスとする軍閥の乱暴狼藉を駆逐する満州事変の発端となった義挙、柳条湖事件(1931年9月18日)から83年。中共は「今日の日本の右傾化傾向を直視し、世界中が警戒すべきだ」と叫んでいるが、世界中が今警戒しているのは中露とイスラム国だ。ならず者トリオ。そのうち駆逐する。

■9月19日(金)。朝は室温23度、晴、涼しい。犬の体調優れず1/3散歩。気力はあるが体力がついていかない。老いるとはそういうことか。最後まで記事を書けるといいが・・・(2014/9/19)


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