2014年09月20日

◆そんな難しいルールは非現実的だ

前田 正晶


ルールを難しくして束縛しない方が:

アメリカ人のJokeと、我が国学校教育の英語との関連性を考えてみよう。

その冗談話は「未だベースボール(野球)がなかった頃と仮定してのことでした。頭が良い人がいて、スポーツ界を支配する偉い人に現在実存する野球と同じような細々としたルールを解説して『投手がこう18.4メートル離れたところからこういう風に作った球を投げて、打者が木のバットを振って打って、云々』と説明して『こんなに面白い競技はないと確信するので、何とか具体化を』と訴えたそうです。聞き終えた偉いさんは『そんなに複雑なルールでは堅苦しくて面白くなる訳がない』と一蹴したそうだ」というもの。

野球のルールは詳細を知れば知るほど、その複雑さと解釈の難しさに驚かされます。その点はあっても、ルールの詳細を知らないで見ておられる熱心な野球のファンは沢山おられるでしょう。また、ルールの難しさの点は、毎週日曜日の朝のTBSの「喝」の時間に登場する張本勲が屡々したり顔で解説します。

私は所謂三角ベースのような遊びが先にあって、それが今日のBaseballに発展し、その過程で小難しいルールが出来たのかどうかなど知りません。だが、現実に野球部などで経験した方を除けば、精通して野球を見ておられる方どれほどおられるかは疑問でしょう。

私はこの古き良き時代の冗談を思い出す度に、我が国の英語教育と結びつけたくなります。私は中学の頃だったと記憶しますが「英語にはそれなりの文法もあり、話したり、書いたりする時の規則はあるが、実際には例外ばかりでその辺りの不規則さが煩わしい」と教えられた記憶があります。

その時は単に「へー、そういうものなのかな」程度に聞き流していました。現実には「規則動詞」よりも「不規則動詞」の方が多いとか、「定冠詞」と「不定冠詞」の使い方の規則などは、アメリカ人も辟易とさせられています。

予備校のCMに「英語とは言葉であって、誰がやっても出来る」というのがあった気がします。その通りで、確かに意志を伝える道具としての言葉なのです。だが、我が国における英語はそれを「文法」、「単語」、「英文解釈」、「英作文」、「書き取り」、「英会話」等のようにそれぞれの分野に分けて、その分野ごとに規則性を設けてそれに従って勉強するように科学的に仕上げてあります。私はそれが良いとか悪いとか言いません。それが我が国独特の科学性なのだから。

即ち、生き物であり、動いており、時の流れや時代の変化に伴って代わっていく言葉に規則を設定して、その規則を学ばせて、その制約の中で科学的に教えていくようなキチンとした形が作り上げられていたと思ってします。

その束縛は想像以上に厳格で、時には「単語のどの位置にアクセントが来るか」という試験問題や、「どの構文が何処にかかるか」という科学的に分析して英文解釈を学ばせるような形で現れていると見ています。私は面倒で着いていくことを放棄しました。

即ち、既に存在して活きて動いてる言葉に規則を後から設けて、それに従って学び、語り、書くべしというように束縛するので、かえって難しくするだけではなく、面白くもなくしてしまったとすら考えています。

例を挙げれば「三人称で単数だから次ぎに来る動詞あの後にSをつける」という規則に縛られて「面倒だから」ということになったのか、全部の動詞の後にSをつける人もいれば、動詞は全部現在形にしてSも過去形もなく話してしまう人もいるとの結果になっています。

私はこういう事態を防止する為には「しつこく音読を繰り返して自然にSが付くようになるまでやる」という勉強法を採っただけで、それを自慢する気等毛頭なく、「そうされては如何ですか。楽に覚えられるかも」と言ってきただけです。「後天的に如何にも難しそうな規則を設けて縛らない教え方が良いのかな」と考えているのですが。しかし、音読と暗記・暗誦の重要性と効果は飽くまでも主張します、私以外にもこのやり方の成功例がある以上。
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