阿比留瑠比
当事者の証言とは、どこまで信用するに足るものなのか。嘘やごまかしは論外としても、願望や思い込みによる意図せぬ事実とのズレも決して少なくない−。
人から話を聞き、それを記事にまとめる記者職に就いて4半世紀近い。だが、馬齢を重ねるばかりで、一見簡単な作業に思える「事実を伝える」ことの困難さに時折、立ちすくみそうになる。
政治家や官僚に対する日常的な取材の場では、相手の言うことを当然、全部信じているわけではない。インタビューや記者会見で彼らが本音を話すわけもなく、こっちも初めから割り引いて聞いている。
ただ難しいのは、過去の大きな事件や事故、歴史問題の限られた当事者の証言が食い違い、あるいは、到底信じ難い内容を含む際にどう取り扱うかである。
芥川龍之介が傾倒したフランスのノーベル文学賞作家、アナトール・フランスは歴史についてこう言い切っている。
「歴史家がある証人を信用したり、他の証人を信用しなかったりするのは、感情上の諸理由にすぎないということである。歴史は科学ではない。芸術である」
筆者は歴史家でも芸術家でもないが、戦後半世紀の平成7年に戦没者遺族取材班の一員として、延べ100人近い遺族に取材した際にあることを痛感した。
それは、人は自分自身の体験を語る場合でも記憶は曖昧で、他の人の言葉や証言との混同は珍しくないということである。さらに、記憶はときに美化されていたり、全くなかったことを覚えていたりすることもあるということだった。
戦後半世紀もたっての取材だったので、無理もないとも言える。とはいえ、そのどの部分までを確からしい事実として記事化するかに頭を悩ませたのも本当だ。
そして、人の記憶はそんなに昔のことではなくても容易に薄れうつろい、それに連れて証言も変わっていく。その端的な実例を最近、目にした。
政府は9月11日、東電福島第1原発事故をめぐる政府の事故調査・検証委員会による19人分の調書記録書を公開した。その中の菅直人元首相の調書を読んでのことだ。
菅氏は平成24年4月3日の政府事故調による聴取に、東電が一時、第1原発からの「全面撤退」を検討していたと決めつけてこう証言している。
「(23年3月15日未明に)私は清水正孝社長を呼んだ。清水社長は私が(全面撤退はダメだと)言ったときに『そんなことは言っていませんよ』なんて反論は一切なかった。やはり(全面撤退を)思っていたんだなと思う」
一国の元首相の発言であり、本来ならば重く受けとめたいところだが、その約1年前には何と述べていたか。同年4月18日の参院予算委員会ではこう答弁している。
「社長は『いやいや、別に撤退という意味ではないんだ』ということを言った」
より菅氏の記憶が鮮明であるはずの1年前の答弁では、「反論は一切なかった」どころか清水氏が全面撤退を否定した部分にちゃんと言及しているのである。菅氏は同じ場面について後にこうも答弁している。
「『引き揚げられてもらっては困るんじゃないか』と言ったら、『いやいや、そういうことではありません』と言って」(同年4月25日の同委)
「『どうなんだ』と言ったら『いやいや、そういうつもりはないけれども』という話だった」(5月2日の同委)
菅氏の発言を追うと、清水氏の全面撤退否定の言葉が日に日に弱まり、ついには反論は一切なかったことにされていったのが分かる。当事者の証言だからと、とても信用できたものではない。(あびる るい政治部編集委員)
産経ニュース【視線】2014.9.29