2014年10月01日

◆戦略なき大統領、失態を自ら暴露した

「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 


<平成26年(2014)9月30日(火曜日)弐通巻第4351号>    


〜オバマ、CBS番組で「敵戦力を過小評価し、イラク軍を過大評価した」と発言
   戦略なき大統領、孫子のイロハも知らなかった失態を自ら曝露した〜

「軍事戦略に関してまったく理解がない」とゲーツ前国防長官は回想録でオバマ大統領をこき下ろした。ヒラリー前国務長官も自著新刊で、オバマ大統領とは明確に距離を置いた。

CNNは、オバマ大統領がヘリコプターから降り立つ際、コーヒーカップを持ったまま、片手で儀仗兵に敬礼したことを「礼儀知らず」と批判した。

9月26日にCBSテレビ「60ミニッツ」に出演したオバマ大統領は「アルカイーダの残党であるISILがイラクから地下に潜り、シリア内乱に便乗して勢力を拡大したが、われわれの情報機関はこれを過小評価してきたうえ、イラク軍の防御の失敗を目撃し、これを過大評価してきたことを知った」として戦術の誤りを自らが認める発言をした。

イラクからの米軍撤退は、イラク兵の訓練が遅れているとしてペンタゴンは強硬に反対してきた経緯があるが、オバマは軍からの提言を無視した。

孫子のイロハは、「敵を知り己を知れば百選すべて危うからず」だ。

この単純な原則を忘れて中東の新しいテロ組織に対応したのも、最初の米国の戦略が味方を増やし、可能な限りの「有志連合」というかたちにこだわり、同時に「地上への軍の投入はない」と限界的な枠組みを最初から設定したことだった。これらは敵にアキレス腱を自らが示したような失態である。

しかしオバマは同番組で「このテロとの戦いは単純に軍隊の介入によって解決できないのであり、ISILにくわわっている勢力を分析すると、世代的な問題が潜んでおり、原因の根っこを押さえなければいけない」とした。

一方、オバマは「有志連合には産油国からの参加があり、中国、露西亜に彼らが助けを求めず、米国に求めたことに注目して欲しい」とも発言した。

もとよりイランが最大の脅威と踏むサウジアラビアなど産油国は、ISILとの戦闘に加わったけれども、それぞれが別の政治的思惑を秘め、全体の「有志連合」の結束力は弱く、それぞれが問題を抱えている。

産油国ばかりかNATO加盟国でもイスラム信徒が多いフランス、ドイツ
などはどこまで軍事介入するか、兵器供与だけに留めるのかという態度を不鮮明にせざるを得ないし、英国では厭戦気分が漂っている。

とくに28日に行われたフランスの上院選挙ではオランド与党が敗北し、過半数を保守系がおさえた。移民排斥を訴えるルペンの国民戦線ははじめて、上院に二議席を確保した。


 ▼産油国とはかくも魑魅魍魎の世界だったのか

ケリー国務長官はオバマ大統領の空爆決定(9月10日)の直後からジェッダに乗り込み、産油国の指導者と会合を持っている。

アブドラ国王とは厳重な警戒、装甲車に囲まれた別邸で、会談した。そこでサウジ国王から次の注文が付けられた。

「第一にISILはイランほどの敵ではなく、彼らとイランとの軍事力合体に注意して欲しい。つまりイランを直接巻き込むな」と釘を刺した。

米国が熱心に産油国をまわった最大の理由は国連安保理事会で、シリア空爆に賛成が得られないからだ。すなわちロシアと中国が賛成しない以上、国連軍としての対応ができず、戦闘参加、武器供与、人道支援の三つのカテゴリーで支援国を募った。日本は徹底的に人道支援グループであり、戦闘にも武器供与にも加わらない。

またイスラム各派の宗教指導者が、有志連合支持にまわるよう、政治的努力が必要だった。ケリーは急ぎ足の中東訪問を終え、9月14日に一度ワシントンへもどり、オバマ大統領に報告した。

 ケリーの中東歴訪で判明したのはエジプトが奇妙な笑顔で米国支持にまわったことだ。シシ大統領は引き替えに一層の軍事支援と経済援助を米国に要請し、その露骨とも言えるエジプトの要求にケリーは人権問題で多少の不満をのべただけ。

問題はトルコだった。

トルコはNATOの要員でありながら「ユーロ」からは排除されていた。 トルコは当時、49人の人質をISILに取られていたが(その後、全員解放)、最大の問題はシリア難民と、クルド難民合計100万人をトルコ国内にかかえ、経済的好況に深刻な影が差した。

それで空爆の基地を貸すという条件をアンカラ政府は呑まなかった。そのうえ、ISILの石油密輸ルートは、トルコを経由していると言われ(TIME、9月29日号)、事態は想像以上に複雑且つ輻輳している。

欧州もISILの脅威を認めるが、国内はいずれも反戦感情が蔓延していて、直接的な戦争へのコミットメントを避け、兵力は送らずにいる。つまり米国は依然として、強い攻撃能力を持つ、指揮系統が一本化できる連合軍の組織化に成功していないのである。 


 ▼つい、アサッシン教団のことを連想してしまう

ISILの跳梁跋扈は、中東の於ける政治、暗闘、内ゲバ、内訌の血なまぐさい歴史と無関係ではない。

筆者は12世紀から近世にかけてのイスラム教過激派のカルト集団「暗殺教団」(アサッシン教団)のことをついつい連想してしまった。

世にアサッシン教団というのは、政敵へテロを行い、暗殺によって政局をかえたシーア派のカルト集団を意味し、大麻をすって暗殺に向かったという伝説が残る。中東の側面を象徴する奇妙な政治史である。

頃は11世紀、8代目カリフ亡き後のイスマイル派は分裂し、ニマーム派が形成された。当時、セルジュク朝はスンニ派。シーア派のイスマイル派はアラムード砦(イラン北方)などを奪取し、セルジュク朝と軍事的に対抗した。まさにシリア、イランの拠点を分散して支配するISILに似ている。
 
シーア派のイスマイル派ば分派したニマーム派は盛んに暗殺を繰り返して、セルジュク朝を脅かした。

 ▼アラブ、中東の政治史は暗殺とテロルの歴史だった
やがて新しい指導者にサッバーブが登場した。ハシーシー(転じてアサッシンと表現する)の本来の意味は「自己犠牲をいとわない」という精神的な忠誠であり、9代目カリフ時代から、新指導者サッバーブは12世紀初頭から本格的にセルジュク朝に攻勢をかける。

そして軍事的劣勢に陥ったが、セルジュク朝の皇帝が死去したため、陥落寸前に生き残る。

急激に勢力を盛り返し、12世紀に全盛時代となり、モンゴルが襲撃してくるまで命脈があった。
 
もう一度整理すると、イスマイル派が分裂したものがニザール派で、シリアに拠点を置くようになる。ハシーシーは本来「自己犠牲」という意だったが、大麻に転用され、つまりは麻薬を吸って恍惚となってから暗殺に向かう秘密カルト教団のような言われ方をされたのは近代になってからだ。十四世紀にカントが表した『神曲』のなかで、アサッシン教団を「狡知に長けた人殺し」と比喩した。

この暗殺教団は十字軍にもさかんにテロ攻撃を仕掛けた。

だからISILは、壊滅したかにみえたアルカィーダから分派した流れとなり、自己犠牲を恐れないジハードという神秘的信仰から、突撃を繰り返すのである。

それにしても、なぜ多くの若者が短絡的にISILに結集し、決死の軍事行動にでるのか。欧米の政治学者やメディアの多くは「貧困と無知から、短絡的なアジョビラに飛びつきやすく、狂信的ドグマにすぐに洗脳されるから」と分析しているが、もっと深い闇がよこたわっているのではないのか。
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック