2014年10月04日

◆私の「身辺雑記」(148)

平井 修一



■10月1日(水)。朝は室温23度、曇、やや寒い、フル散歩。3歳児は体調不全、発熱の後遺症で発疹、カミサンは休みをとってケア。朝一番で小児科へ。

<10月1日は「コーヒーの日」です。国際協定によって、コーヒーの新年度が始まるのが10月で、この日がコーヒーの年度始めとなります。さらに、日本では、秋冬期にコーヒーの需要が高くなることから、1983年に、全日本コーヒー協会によって、10月1日が「コーヒーの日」と定められました>

ずいぶん世俗離れした話で、こういうのんびりした世界があるのだなあと不思議な感じがする。現実は喜怒哀楽でゴチャゴチャ。

カミサンは何でも買ってくるが、スタバのドリップ用粉コーヒーまで買ってきた。スタバのコーヒーは小生にはただ焦げ臭いだけ、吐気を催すほど大嫌いだったが、それを書くと叩かれるだろうから封印していた。

ところがWSJ9/28が「スターバックスが語りたがらない10の事実」の一番目に「コーヒー好きの多くはスターバックスのコーヒーが好きではない」を挙げていて、「焙煎しすぎ」と指摘している。米国人にもコーヒーの味が分かる人がいるのだ。ん!?

小生がコーヒーを知ったのは5歳ころ、米軍キャンプ座間から持ち出されたインスタントコーヒーからだ。本物のレギュラーコーヒーは15歳で知った。ここ2年ほどは日東紅茶を好むが、ドリップコーヒーも時々楽しむ。

話は変わって、小生は何者か、といつも自問している。保守派か右翼か極右か。思想は軍国主義か国家主義か民族主義か。それとも全体主義か。ただの愛国者かファシストか。いずれの呼称も思想内容も明確な定義はないから、小生は自分にレッテルを貼れないので困惑する。

<ファシズム(結束主義、英: fascism、伊: fascismo)とは、イタリアのベニート・ムッソリーニと彼が率いた国家ファシスト党が提唱した思想や政治運動、および1922年から1942年までの政権獲得時に行った実践や体制の総称である。広義にはドイツのナチズムなど他国の類似の思想・運動・体制も含めて「ファシズム」と呼ばれる場合も多いが、その範囲は多数の議論がある。

第2次世界大戦勃発までは、ファシズム自体が批判的に扱われることは少なく、一部(アカからの誹謗)を除いては悪口としては使用されなかった。

第2次世界大戦中になると、連合国ではファシズム・ファシストを厳密な意味ではなく、枢軸国とその国民に対する一般的な悪口や蔑称ととして使用されるようになった。

ジョージ・オーウェルは1944年に「“ファシズム”という語は、ほとんど全く意味が無い。ほとんどのイギリス人は“ファシスト” という語をbully(いじめっ子、ガキ大将)の同義語として受け入れている」と書いた。

第2次世界大戦で枢軸国が敗北すると、「ファシスト」を悪口や蔑称として扱う風潮は世界的なものとなった>(ウィキ)

今ならならず者、やくざ、極道、ゴロツキ、テロリスト、チンピラか。独裁国家の中露ファシストどもは来年、日独伊のファシズムに勝ってから70年の戦勝記念日を祝うそうだが、中共が日独伊と戦ったというのは大嘘だ。

支那における日本の正当な利権を奪おうと武力発動したのは国民党で、その尻にくっついてうろちょろしていたのが中共。何の手柄もないくせに「戦勝国」とは笑止千万、噴飯もの。中2坊主の習近平ならではの妄想的歴史解釈だ。そのうち香港の傘爆弾による天誅が下されるだろう。

中共の露払いとしてうろちょろしているのが朝日などのアカだ。アカは中朝などの共産主義由来の独裁を目指すファシストで、日本では反日、嫌日、憎日の輩、根っからの売国奴だ。産経9/29から。

<中共はナチスを能く学習している。そこに、ベルギーの“戦史”研究が加われば、中国の対日戦略は完結に近付く。

ベルギーは第1次大戦で、中立宣言したにもかかわらず、戦場となり被害に遭った。戦後、ドイツの脅威に備えフランスと軍事協定を結んだ。ところが「戦争に巻き込まれた」との反動で非戦・反軍思想が深まり1936年、協定を破棄し中立政策に回帰。精強な軍の育成を怠った。

一部には、ナチス独の脅威に対抗し、仏/英軍の国内駐留を求める主張もあったが、ベルギー政府はあくまでヒトラーを刺激せぬよう努め、外国軍を入れなかった。結果、ベルギーはナチス独に占領される。

中立宣言の無力を、占領という屈辱を通し確信したベルギーは第二次大戦(39〜45年)後、ブリュッセル条約(48年)→NATO(北大西洋条約機構)という集団防衛=集団安全保障の枠組みの中に、積極的に自らを投じる。

日本を「戦争をできる国にする」と版図拡大という野望を挫かれる中国は、日本の政治家・官僚や経済人、国民を“友好”で手なずけ、脅し、危機に臨み覚悟できない“平和主義者”を培養する工作に励む。

ナチスはオーストリア併合に際し、テロや暴動を画策し政権を内部より揺さぶった。国民は無邪気にナチスに熱狂し、為政者は脅しに屈して併合とは名ばかりの属国となった。非戦・反軍を看板にしたベルギーは占領された。

中国はナチスに学び、日本はナチスに侵された国に学ぶのだろうか…。
(政治部専門委員 野口裕之)>

産経はすっかり戦争前夜モード、テンションが上がっている。大いに結構なこと。

そう言えば今日から産経ウェブ版が8つに膨れ上がった。4つをお気に入りに登録した。産経頑張れ、朝日絶滅、ファシスト中共殲滅、いざ支那解放へ! 小生はただ騒いでいる阿Qの類なのか?

■10月2日(木)。朝は室温22度、晴れたり曇ったり、フル散歩。

10月4日から2泊3日で長野県の田舎に行く予定だった。カミサンの友達が古民家を改装した別荘を持っており、3年ほど前に行ったときには食事はすべて小生が作ったから、奥さんが「修一さんを連れてきてね」と招待されたのだ。奥さんは別荘まで行って3度の食事までやりたくないのだ。

小生は「頻尿だから1時間以上のドライブには耐えられない」と言って断っていたのだが、「オムツしてでも来て頂戴。95歳の義母も修一さんの料理を楽しみにしているから」と熱烈コール。95のおばあちゃんから期待されたら行かざるを得ない。

ところがこの8月に、カミサンの富豪病院の50周年記念パーティが10月4日に開かれることになり、長野行きはキャンセルとなった。

奥さんが小生を招くのには食事以外にも理由がある。旦那さんは月のほとんどを別荘で過ごしていたが、1年ほど前から体調を崩して横浜暮らしに戻った。田舎にはいい病院が近くにあるわけはないからだ。横浜にはどっさりある。

しかし、別荘の手入れもあるから月に1、2回は行かざるを得ない。3時間運転し、ようやく着けば、広い庭は草ぼうぼう、まずは草むしり。そして雨戸をあけて空気を入れ替え、掃除するが、中2階を含めれば100畳くらいあるからほとんど疲労困憊する。だから「修一さん、料理はお願い」というわけだ。

小生は一時期、別荘に憧れたが、子供が小さく、自分たちも元気なうちはいいが、病気になったり、老いたりしたら、別荘はお荷物になる。父の弟である叔父さんも高原に別荘を持っていたが、呼吸器系の病気になってからまったく行かなくなった。空気が薄いから苦しいのだ。

別荘を買わなくて本当に良かったと思う。ヂイヤ、バアヤ、メードを雇える人ならともかく、庶民は旅館を利用すれば事足りる。元気なうちに旅行へ行って、大いに旅館を利用し、土産物もどっさり買ってくれ。地方も元気になる。

産経の「イロンナ」へ初投稿。メールで「来週掲載予定」とのこと。

■10月3日(金)。朝は室温24度、びっくり、すぐに26度、快晴、日射し強し、犬は元気でフル+α散歩。11時には28度で夏のよう。忠魂碑に献花。ツクツクホウシ鳴く。最後の一匹か。

御嶽山(3067m)。深田久弥はこう記している(「日本百名山」1964)。

<富士山、鳥海山、立山、石鎚山など、古くから宗教登山が盛んであったが、現在では一般登山の中に解消されている。信仰登山の組織と戒律と風俗を今でも濃厚に保っているのは御嶽だけだろう。

夏に表口の王滝や黒沢から登っていくと、道が白く見えるくらい白衣装束の信者が続いている。それが子供から爺さん婆さんに及んでいる。彼らは登山に趣味を持っているわけではない。私の知っているある下町のお茶屋のおかみさんは、およそ山に縁のない人だが、毎年オンタケサンにはお詣りを欠かさない。

広い頂上の然るべき所には、あちこちに宗教的モニュマンが建っていて、信者の一群を率いた先達が、そこで加持祈祷をしているさまが眺められる。信者にお祓いを施す時の先達の形相は物凄い。

全くここは信仰の山、庶民の山であって、ピッケルに登山靴のアルピニストは疎外者のような感じである。彼等(アルピニスト)はそういう山を俗化と呼んで敬遠する。僅かに季節外れの時期に、少数の純粋登山者を見るくらいである>

ちょうど50年前の御嶽山はそんな山だったのだ。山と渓谷社の「日本百名山登山案内」(1999)は、今から15年前の様子をこう紹介している。

<北アルプスと中央アルプスにはさまれて悠然とそびえる御嶽は、古くから信仰の山として全国から登拝者が訪れる。古来の風習をいまに残し、「六根清浄」を唱えて登る白装束姿の信者の列があとを絶たない。

昭和54年(1979)の噴火以来、山頂部には噴煙が上がり、荒涼とした地獄谷から神秘の水をたたえる三ノ池へと変化に富んだ風景が展開している。

歩行時間(休憩含まず):5時間30分、体力度(4段階評価)★★、技術度(3段階評価)★★、危険度(2段階評価)★★>

15年前も信仰の山で、それなら今もそうなのだろう。

東京都の最高峰、雲取山(2017m)。1泊2日で小生も登ったが、山渓もそれを推奨し、歩行時間:1日目5時間30分、2日目3時間50分、体力度★★☆、技術度★★、危険度★☆としている。

つまり御嶽山は3000m級なのに日帰りも可能なお手軽で人気の山なのだろう。ところが楽しいはずの登山、願いごとをかなえてくれるはずの登拝が、戦後最悪の噴火災害になってしまった。

仕事で亡くなれば殉職という言葉で慰められるが、今回の災害で亡くなった人をなんと言って慰めたらいいのだろう。

小生ら4家族の16人は雲取山では山小屋に着く前に激しい雷雨に遭い、左右がピカピカしているので落雷で死ぬのじゃないかと本当に怖かった。奥多摩の大岳山では登山道が凍りついていてとても危険だった。道志川渓谷ではキャンプ中に豪雨と強風に襲われて緊急避難し、すべてのキャンプ機材を失ったものの命は助かった。

自然は時々牙をむく。避けられないことも多いし、運が悪ければ命を失う。当たり前だけれどそう覚悟しておくしかない。

昼過ぎに産経から電話。「手直しした原稿を送るからチェックして」とのこと。まあきめ細かいこと。(2014/10/3)


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