2014年10月23日

◆日本とアメリカの違い

前田 正晶


既に「1冊の本では語り尽くせないかも」とは申しましたが、そこに挑戦を試みて先ずその一部から述べていきます。

日本人を見下していたアメリカ:

私は1945年からGHQで秘書だった方と交流があったとは既に述べました。記憶は最早定かではありませんが、第一生命のビルの中にあったGHQの建物に入ってアメリカ人と語る機会が出来たのは、46年になってからだったか。Coca Colaと言う当時は我々には手が出なかった飲み物を飲む機会もあり「何だこの薬臭くて苦いものは」と思っていました。

その後、伯父の持つ鵠沼海岸の2軒の貸家のうちの1軒を如何なる縁があったのかChase Bankに夏場に「海の家」として貸すことになり、日本人の行員がどのように扱われていたかを知りました。

その経験もあって1954年の今で言う就活の際には、如何なることがあっても、仮令大学に求人があっても、外資系には行くまいと固く心に決めていました。

それが如何なることか、17年お世話になった日本の会社を辞める決心をして、1972年にアメリカの会社に転身しました。それも、光栄にもMeadCorp.のオウナーファミリーの当主に面接試験をされたので、何処となく安心感があったのかも知れません。さらに1975年には再度会社を辞めてWeyerhaeuserに移りました。

その2社で経験したことは大袈裟に言えば地べたを這いずり回っているかの如き苦労というか難しい地位での仕事先で、外国語を使って働かねばならず、しかもいつ何時”You are fired.”と宣告されるかも知れない危険な立場だったのです。

日米間の文化の違い:

アメリカの会社で10年を過ごす間に徐々に「日米相互間に存在する文化の違い」を知るようになり、その環境に対応する術を知りました。また、彼等に対して直接に指摘したように、彼等の中にはとても抵抗も対抗も出来ないような優れた者は1%程度しかいないという人的ないしは質的な「大きな幅での質の違いというかブレがある」と解り、我々の質の高さでは十分に対抗できると知りました。

そこで「如何なることがあって彼等が俺を馘首することは99%ない」という妙な自信と信念を持って怖れることなく上司でも同僚でも刃向かっていき、その外国の会社の中での自分の位置を確保しようと努めました。

しかし、その地位とても何時如何なる事件を引き起こすか何らかのミスがあれば自信は1%に急降下するハラハラするような世界でした。

我が闘争:

そういう立ち位置を確保して彼等の長所には極力学び、短所は遠慮なく突いていき「彼等を怖れさせるよう」努めました。何が何でも自説を曲げることなく突き進んでいないと、自分の立場が危うくなる世界ですから飽くまで戦います。特に彼等の二進法的思考回路は崩しやす鋳物で全く柔軟性に欠けると解ったのも大きな武器となりました。

アメリカ側の失態で得意先に詫びねばならぬ時は日本式に謝罪し、失敗を犯した本社または工場の担当者は徹底的に責めました。即ち、我が国のビジネスの世界では「顔を潰されるのは最悪のことで、君らの失態で私の日本市場での立場がおかしくなることは認めがたい。

そういう史上を相手にすると良く理解して二度と過ちを繰り返すな」と叱りつけました。それはこの世界では何が何で自分は自分で守らねばならないのですから。彼等がその違いを認識し解るまで繰り返し言って聞かせました。

文化比較論で売り出す:

そういう経験から彼等とそのアメリカの社会と世界を内側から見て「文化の違い論」を唱えるようになり、これが社内でも好評になっただけではなく、リタイヤー後も輸入紙の脅威にさらされ始めた流通業界で講演する機会を与えられ、また「アメリカ人は英語がうまい」の上梓の機会まで得て、やがてそれをコラムにしたし、SBSラジオのコメンテーターの場も与えられ、光栄にも頂門の一針にも投稿の機会が出来たし、ブログを始める切っ掛けにも成って、今日に至っております。

我が独特の見解:

既に述べたように、私のような経験をしてから「アメリカとその文かと思考体系」を論じる人が極めて少ないので、何か異端の徒の如くに捉えられる傾向があるのは止むを得ないことと理解しております。

しかし、「人は誰でも独自の意見を持っているものであり、他人と異なる意見を述べるのに躊躇は不要」というアメリカの文化を未だに引きずっていると指摘されれば「当然でしょう」と胸を張らずに答えます。それほどあの世界で過ごした22年は強烈に意識せざるを得なかったのですから。

自信があろうとなかろうと、他人様と意見が違おうと何だろうと、怖れずに(本当は怖いのでしたが)英語で自己を主唱して、負けてはならないという世界は、経験しないと解って貰えないと思います。実は、一か八かの勝負を続けねばならないあの世界は恐ろしいものでした。

私は解って頂こうと何だろうと、この経験を語っていこうと決めているので、何卒「そういう世界では物事はそうなっているのか」という具合に、異文化のを世界の話しをお解り頂ければ幸甚に存じる次第です。


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