加瀬 英明
7月7日に、中島繁治兄者(あにじゃ)の出版記念とあわせて、喜寿の祝賀の宴が、市ヶ谷の私学会館で、満都の紳士淑女を集めて、華やかに催された。
兄(あにい)の喜寿は、月並み(ありきたり)のものではない。先人曰(いわ)く、身に老少有れども、心に老少なし。
兄者は永遠の青年だから、30歳の誕生日の47周年が、祝われたのだった。
この吉年とあわせて、詩『十志』の出版が記念された。
10は0(ぜろ)から9まで10進法の基礎となる数が完成することから、欠けたところがなく、満ち足りることを意味している。
漢籍で中国の歴代の天子を「十善」と呼び、完全な人を「十善老人」といって、崇めた。老は敬称であって、年老いた者ではない。若い教師であっても、老といって敬われた。
詩『十志』は、中島兄哥(あにい)の高い志(こころざし)を示した訓えで、私は美しく装われた冊子を頂戴してから、座左に置いてきた。
この『十志』こそ、東西の“十戒”である仏法を学ぶ沙彌(しゃみ)が守るべき十戒と、ユダヤ・キリスト教の「天主の十戒」を大きく凌ぐ、曠古(こうこ)の戒めである。
はじめから終わりまで、楽しい会だった。
日本民族は古来から、宴を好んだ。
宴(うたげ)は『古事記』のなかで、宇多宜(うたげ)と書かれている。「宇多宜(うたげ)は拍上(うちあげ)(酒盛)の切(つづ)りたる名なり。酒飲楽みて手を拍上(あぐる)(さかんに鳴らす)より云る名なり」とある。中島兄哥に対して、会場から盛んな拍手が涌いた。
中国3世紀の日本について最古の記録である『魏志倭人伝(ぎしわじんでん)』に、倭人が「性(せい)酒を嗜(たしな)む」と、記されている。日本人は倭人伝が取りあげた、弥生期の古墳時代から祝酒(ほぎさけ)に酔(え)うことを、人一倍、楽しんだのだった。
世界で日本だけにおいて、日常、嗜む酒を「御神酒(おみき)」と呼ぶが、酒を酌(く)むのは人々が心を一つにして、渾然(こんぜん)と一体となる精神的な儀式であるからだ。それが、日本人の和の心を育(はぐく)んできた。
この日の中島兄者を囲む会も、貝塚から出土する食品が、頬(ほほ)が落ちるような西洋料理にかわっただけで、竪穴時代から伝えられた神聖な宴が、再演された。
広い会場のなかで、私がついたテーブルが、もっとも明るかった。中島兄貴の美しいお妃である姐(ねえ)さんが、華燭のように輝いていたからである。
私は兄者に近い年波となったが、兄者と姐さんほど睦みあっている、鴛鴦(おしどり)のような夫婦に、出会ったことがない。兄分(あにいぶん)はしばしば席を離れたが、会のあいだ、2人から幸せを分けてもらった。
私は中島女夫(めおと)と会うたびに、不世出の中唐の詩人であった白楽天が、男女の深い契(ちぎ)りを、「天ニ在ッテハ、願ハクハ比翼(ひよく)ノ鳥トナリ、地ニ在ッテハ、願ハクハ連理(れんり)ノ枝トナランコトヲ」とうたったのを、思い出す。比翼の鳥、連理の枝は、相思相愛の男女の極致をあらわしたものである。
比翼は番(つがい)の鳥が翼を重ねて、空を駆けていることで、連理は木の幹や枝が、わきの木の幹や枝ともつれあって、連なることである。
夫婦は、互に相手を創りあう、それぞれの作品である。兄者と姐さんは、稀に見る見事な作品だ。まさに2人は、人生の偉大な作家であって、称えられなければならない。
私ははじめて兄者と姐さんに会ってから、女夫(めおと)の道の模範である師表としてきた。
そして、私は妻に春風(しゅんぷう)をもって接し、秋霜(しゅうそう)をもって、自らを粛(つつし)まなければならないと己を戒め、愚妻には春の風のように、夫の気持ちを温かくし、いつも自分に厳しく、秋の霜のように心を引き締めるように、諭してきた。
私も、妻も、いまだにそのような仙境に、達していない。比翼の鳥、連理の枝となるのは、難しい。
だが、人生は目標をもつことが、必要だ。
かつて船乗りは、広大な海を渡るのに、天空に輝く北極星をひたすら目指して、航海した。
もちろん、北極星にたどり着くはずはなかったが、目的とする港に入ることができた。
師は、手に届かないところにある。人生では師に追いつくことはできないが、師を模倣することが、大切である。
中島兄者は気性がさっぱりして、気さくであり、誰であっても打ち解けて、相談にのってくれる。粋(いき)な人だ。
この日の会の演し物(だもの)として、入口から鉦(かね)、太鼓、トランペットを鳴らしながら、下町のちんどん屋が入場して、舞台にあがった。
私は郷愁に駆られて、胸に熱いものがこみあげた。今日のテレビコマーシャルの先駆けだったが、冷たいCMとちがって、肌の温(ぬく)もりが伝わってきた。
私の少年時代には、東西屋とか、広目屋(ひろめや)と呼ばれたが、庶民の人情がこもっていた。あのころの日本はどこへいっても、人情が微粒子のように、飛びかっていたものだった。
10に戻ると、人は伝統精神といまの時代精神が交わるところに、生きなければならない。
中島兄者は日本の心と、現代精神を兼ねあわせて持っている。だから、人望があるのだ。
(中島繁治氏は日本大学OB会誌『熟年ニュース』発行者)