2014年10月30日

◆ビタミンB1を思う

渡部 亮次郎



1882(明治15)年12月、日本海軍のある軍艦は軍人397名を乗せて、東京湾からニュージーランドに向け、272日の遠洋航海に出航した。

ところがこの航海中、誰一人として予想もしなかった大事件が降ってわいた。なんと169名が「脚気」にかかり、うち25名が死んでしまったのだ。

この、洋上の大集団死亡という大事件は、当時の日本列島を震撼させた。屈強な海の男達の死。なぜだ。この不慮の大事件が、ビタミンB1の欠乏によるものだとは、この時点ではまだ誰も気づいた人はいなかった。

ビタミンB1の存在が発見され、栄養学的、学術的な解明がなされたのは、このあと28年間をまたなければならなかった。

しかし、かねてから軍人達の脚気の原因は、毎日食べる食事の内容にありとにらんでいた人に、高木兼寛という人物がいた。彼は当時、海軍にあって「軍医大監」という要職にいた。

高木兼寛(たかぎ かねひろ)

宮崎県高岡町穆佐(むかさ)に生まれ、イギリスに留学し帰国後、難病といわれた脚気病の予防法の発見を始めとして日本の医学会に多大な貢献をした研究の人。

慈恵会医科大学の創設、日本初の看護学校の創設、さらには宮崎神宮の大造営などの数々の偉業を成しとげた。

<白米食から麦飯に替えて海軍の脚気を追放。1888(明治21)年、日本で初の医学博士号を受ける。>(1849-1920)(広辞苑)

高木軍医大監は、この事件をつぶさに調査した結果、次の航海で軍艦乗組員を対象に大規模な "栄養実験" を行うことによって、脚気の正体を見極めようと決意した。

脚気による集団死亡事件から2年後の1884(明治17)年、こんどは軍艦「筑波」を使って、事件が起こった軍艦と同一コースをたどった実験が始まった。

高木大監自らもその軍艦に乗りこみ、兵士達と起居、食事を共にした。高木まず、乗組員の毎日の食事に大幅な改善を加えた。これまでの艦の食事は、どちらかというと栄養のバランスというものを考える余地がなく、ただ食べればよいといった貧しい「和食」だった。

高木は思い切って「洋食」に近いものに切り替えた。牛乳やたんぱく質、野菜の多いメニューだ。よい結果が明らかに出てきた。287日の航海の間に、おそれていた脚気患者はわずか14名出たのみで、それも軽症の者ばかり。死者は1人も出なかったのだ。

高木軍医大監は快哉を叫んだ。「オレの考えは間違っていなかった」と。以上の実験的事実に基づいて、日本海軍は、そののち「兵食」を改革した。

内容は白い米飯を減らし、かわりにパンと牛乳を加え、たんぱく質と野菜を必ず食事に取り入れることで、全軍の脚気患者の発生率を激減させることに成功した。

一躍、高木軍医大監の名が世間に知れ渡った。今日では、脚気という病気はこのように、明治の中期頃までは、大きな国家的な命題でもあったわけ。皇后陛下も脚気を患って困っておられたが、高木説に従われて快癒された。明治天皇は高木を信頼され、4度も陪食された。

この頃、陸軍軍医総監森林太郎(鴎外)はドイツのパスツール説に従い「脚気細菌説」を唱え続けたばかりか、高木を理論不足と非難し続けた。

脚気にならないためには、たんぱく質や野菜を食事に取り入れることが有効であることはわかったけれど、それらの食品の含有する栄養素の正体については、ほとんど解明されていなかった。これは前にも触れた通り。

栄養学の研究は、ヨーロッパでは19世紀の半ば頃から盛んに行われ、たんぱく質のほか、糖質、脂質、それに塩類などを加えて動物に食べさせる、飼育試験が行われていた。

だが、完全な形で栄養を供給するには、動物であれ人間であれ、「何かが足りない」 というところまでがようやくわかってきたにすぎなかった。その何かとは、今日の近代栄養学ではあまりにも当たり前すぎる「ビタミン」「ミネラル」のこと。当時はしかし、その存在すらつかめていなかった。

日本でビタミン学者といえば、鈴木梅太郎博士。米ぬかの研究でスタートした鈴木博士が、苦心の研究を経てビタミンB1を発見したのは1910年、明治43年のこと。陸軍兵士が脚気で大量に死んだ日露戦争から5年が経っていた。高木海軍軍医大監の快挙から、実に28年もかかっていた。

鈴木梅太郎博士は最初は「アベリ酸」として発表し、2年後に「オリザニン」と名付けた。このネーミングは、稲の学名オリザ・サティウァからつけたものと伝えられている。

しかし世の中は皮肉なもので、鈴木博士の発見より1年遅い1911年、ポーランドのC・フンクという化学者が鈴木博士と同様の研究をしていて、米ぬかのエキスを化学的に分析、「鳥の白米病に対する有効物質を分離した」と報告、これをビタミンと名付けてしまった。

ビタミンB1の発見者のさきがけとして鈴木梅太郎の名は不滅だが、発見した物質のネーミングは、あとからきたヨーロッパの学者に横取りされたような形になってしまった。

それにしても、言い方を換えれば、明治15年、洋上で脚気のため命を落とした25名の兵士の死が、28年を経て、大切な微量栄養素の一つ、ビタミンB1の発見につながったと言うべきで、その意味では彼らは尊い犠牲者というべきだ。 (以上は栄養研究家 菅原明子さんのエッセーを参照)

私が思うには、日本人が宗教上などの理由から、4つ足動物を食べる習慣の無かったことも原因にある。特に豚肉はビタミンB1が豊富だが、日本人は明治天皇が牛肉を食べて見せるまでは絶対に4つ足を食さなか
った

渡部註:日本でしか罹患しない脚気だったが、江戸時代から「江戸わずらい」と言われたように、脚気は東京の風土病と疑われた時期もあった。

                       

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