2014年10月30日

◆米國の經濟囘復・發展とその民度

長尾 數馬


・改めて強く感じた米國の印象

久ぶりに米國に出向く機會があった。その間の成長、そして活力と民度の高さに改めて驚いた。日本も民度が高い國とは言はれてゐるが、日本のやうに單一民族で、彌生時代から3千年以上も同じ國に住んでいる民族は當然だろうが、米國は、わづか建國250年弱の國で、多民族國家でもあるに拘はらずにである。

白人はインディアンを殺し、アフリカ系黒人を奴隸にしたが、今では人種差別に對しては嚴しく、逆差別も出るやうな國になってゐる。その象徴は、アフリカ(ケニア)系米國人のオバマ氏が大統領になってゐるといふ事だ。

米國の吸收の速さや合理的な發想は學ぶべきものがある。勿論、米國の中でも地域の違ひもあり、貧富の差はあらうが、多くの人達は自國を捨てて自由とチャンスを求めて米國に移民したのであり、成功すれば富豪、失敗すれば路上生活者であり、ある程度の格差は仕方がない。それを米國民は理解してゐる。

日本では就職に失敗すると職の流動性が乏しく、人生が變はることが多いが、米國では失敗者にも再チャレンジのチャンスもある。白人を中心とした中間層は、キリスト教の影響であらうか、本當の弱者には優しく、慈悲や助け合ひ・讓り合ひの精神もあり(寄附行爲)、低所得勞働者へのチップの習慣はお金の循環から經濟の活性化にもなる。悔しいが、今の日本人と違ふ自立心と品格を感じた。

 ・法治精神の徹底

又、米國だけでなく、カナダ、オーストラリア、ニュージランドも含めて、異なる人種が共存しなればならない國は、自己責任意識、法律嚴守は徹底してゐる。空港の入管檢査でも、指紋を數ヶ所取り、寫眞、また靴も脱がされた。殘念ながら、米國は日本より法に關しては數段嚴しい世界と感じざるを得ない。

多民族國家では頼るものは法しかなく、又共産・社會主義、日本のやうに何でも平等重視ではなく、努力したものが報はれることを前提とした自由や公平がより重視される世界だ。その結果、インターネットの發明など、世界を變えるダイナミズムが生まれるのだ。

 ・イスラムとの戰ひ

イスラム國との戰ひでは、チェコ、ポーランドのやうな東歐諸國も含めて約50ヶ國が承認・支持を表明。イスラム國でもアラブ諸國が攻撃に參加表明してゐる。更には福祉國家であるデンマークも空爆に參加したのは興味深い。デンマークでは約3.7%のイスラム教徒がおり、彼ら發のテロを撲滅するために積極的に參加表明したやうだ。

歐米人、アラブ諸國も多くの命を落とす戰爭は出來るだけ避けたいのは言ふまでもないだらうが、自國・自國民を守る爲には、正義や自由のために武器を握る事も厭はない國家・國民としての考へ方が基本なのであらう。

日本も承認・支持はしたものの(國民は全く知らない)、やはり、集團的自衞權云々の議論など、平和ボケしてしまった日本人と感覺が明らかに異なる。自立できず、事なかれ主義で、自分が危險であると尻込みする日本との決定的な違ひがある。

 ・かつての日本人は素晴らしかった

しかし、神道、佛教、儒教の教へをミックスした教へを持つ日本も、かつては素晴らしかった。日本人は貧しくとも品格を持ってゐた。たとへ苦しくとも、相手に對してはその素振りを見せず、笑顏で接する氣遣いの姿があった。これは「武士は食はねど高楊枝」の感覺に似てゐる。

戰前の日本人の素養は素晴らしかったのだが、戰後米國による戰爭の罪惡感を植ゑ附ける「ウオー・ギルト・インフォーメーション・プログラム」(WGIP)によって、「軍國主義と國民」といふ對立軸を植ゑ附けられた。

その團塊の世代を中心に、響きのよい「平和憲法」と共に歩み、義務や責任を果たさず、上っ面だけの自由と權利だけを主張し始め、日本人の傳統である自己犧牲や本當の優しさや思ひやりが無くなり、どんどん弱體化した。當初の米國の狙ひ通りである。

戰後70年經った今では、多くの國民は平和やお金は努力せずとも、天から降ってくると勘違ひしてしまった。その結果、考への違ふ相手を受け入れず、思考の進歩が止まり、歐米先進國とは國家としての格差が大きくなってしまったと感じる。自分の頭で考へることが出來なくなった過去20年間は、政治的にも、經濟的にも、日本にとっては思考停止時代だったと思う。

それでも日本は、アジアは勿論、世界でも最も民度の高い國の一つとされてゐるが、それは、戰前、昭和一桁以前に生まれた先人から引き繼がれた道徳や習慣から來てゐる。しかし、その傳承も途絶えつつある。世界の現状認識、又自分の頭を使って考へることが出來なくなったためであらうか。

異民族・異人種を受け入れ、何とか共存して生きてゐる歐米先進國とは増々格差が廣がりつつあると感じてしまふ。今年最高値を附けてきた歐米株式市場と、まだ、1989年のバブル期の半値も囘復できない日本との底力の違ひもここに表はれてゐるやうな氣がする。


(メル友尾形氏より平成26年10月27日に届いたものを漢字制限及び假名字母制限を無視してテキスト化した。以下尾形氏の前口上。なほ氏を介して執筆者の了解を得た。kmns)


<尊敬する友人の「四季報」が昨日屆きました。投資顧問會社の社長をしてゐる友人が久しぶりに米國を訪問しての感想です。大變興味深いので、要旨をまとめてみました。ご異存がお有りの方もいらっしゃるでせうが、一部ですがご紹介いたします。>
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