上西 俊雄
[保科論文]
戰後の表記改革は實際のところ上田萬年の弟子であった保科孝一が長生き したために起きたものだと思ふ。昭和7年4月25日開催の臨時ローマ字調査 會議事録(第六囘)によれば宮崎静二委員の發言に「保科教授の御書きに なつた東京文理科大學の學藝第4號」といふところがある。檢索しても文 化廳に問合はせても解らなかった。
筑波大學附属圖書館に電話で問合せて調べてもらったところ、大塚學友會 學藝部發行のものだと判明。近くの東京農業大學附属圖書館に所藏されて ゐることがわかったので連絡したところただちにコピーをつくって送って くれた。
學友會といふ性格のためか、保科孝一は表記について主張を自由に述べて ゐるだけでなく自由に實踐してゐる。もちろん國語施策沿革資料にもな い。結論部分は以下の通り。なほ、この引用箇所の表記は原文通り。
<歐洲各國における綴字法の改良は漸進主義によつてゐることが大體にお いて認められるが、それはすでに中世紀以來漸を追うて改定されて居るの である。自然的にも人爲的にも改定されて來たのであるから、今ある一の 原則によつて根本的に改定を加える必要はない。
もしイギリスにおけるがごとく純理論的に改定しても、それは社會から認 められないのは當然である。しかるにわが國では假名遣の整理の出來たの が徳川時代になつてからである。
その以前に定家假名遣が出來て居るが、それは歌人の間に行われたのみ で、ひろく社會に普及しなかつたようである。
徳川時代に至て歴史假名遣によつてはじめて假名遣の統一が出來たのであ るが、しかしさきに述べた通、一般に漢字を用いて假名遣には無關心であ つたから、社會一般がどこまで歴史的假名遣を正確に使いこなし得たかは 疑問である。ゆえに社會において
オホカミ オウカミ オオカミ ヲホカミ ヲウカミ ヲヲカミ オフカミ ヲ フカミ
等の中いずれがもつとも用いられて居るかを知ることが困難である。
社會の人々は「狼」とゆう漢字を用いて、これを假名で書くことがないか ら、以上の中いずれの用例が多いか少いかはまつたくわからない。
タフレル・タオレル・夕ヲレルにしても同樣である。
もし社會の用例における統計が不明であるとすれば、原則によつて改定案 を作るより外に方法がない。
英米では centre と center, honour と honor といずれか多く社會に用 いられるかは統計的に容易に觀察することが出來るが、わが國では漢字を 用いて居るためにそれが困難である。
もし假名を單用する場合にはタフレル・タオレル・タヲレルの中いずれが ひろく用いられるかを容易に知ることが出來るが、今日のごとく漢字と假 名を混用して居るようではそれがきわめて困難である。
ゆえに歐米におけるがごとく漸進的な改定を進めることが出來ない、もし しいて實行すれはかならずや非常な混亂を來すであろうことは想像に難く ない。
すでに述べた通、漢字を用いて居るために假名遣にはほとんど無頓着なの であるから、部分的な改定を加えられたならば、かえつて實用上困難を感 するに相違ないのであるから、わが國においてはむしろ原則的に改定を加 える方がはるかに實行しやすいことは明である。
一部には動詞の語尾のみを保留せよとか、何人も差支なしと認めるものの みを改定せよとゆう意見もあるが、これはすこぶる穩健に見えるが、實際 に當て見ると非常に困難なものである。
假名單用の時代においてならば格別、現在漢字を普通に用いて居る時に、 部分的の改定はかえつて困難であることがほぼ想像し得られるのであり、 この點がまたわが國における假名遣の改定と歐米における正字法の改定に ついて事情の異るところであるから、わが國では部分的改定を避けて、原 則的に改定を加えなければ決して成功し得ないものと斷言してはばからな い。(昭和六年一〇、二五認ム)>
保科孝一は漢字を全廢した場合にのみ效果のある假名遣を提唱してゐたの だ。まるでいはゆるキラキラネームを豫測してゐたやうではないか。
漢字の形(形)も讀み(音)も意味(義)も制限して人名だけは別だとす れば、そこだけに慣用からする規範のはたらくはずがない。人名漢字は別 だとする便法が間違ってゐたのだ。
「大いに」といふのは、いはゆる現代假名遣では歴史的假名遣「おほい」 から「おおい」と書くことになってゐるけれど、保科流の原則を通せば 「おうい」である。
實際、この論文では「これまでとはおういにその趣を異にし」、「そこが 歐米と事情のおういに異るところである」のやうに「おうい」と書いてゐる。
混亂をもたらしたのは保科であったのか、妥協的な方法をとったエピゴー ネンであったのか。
はっきりしてゐることは、戰後の文部省式表記が假名遣の名に値せず、制 限假名字母表記とでもよぶより仕方のない物であるといふことだ。