2014年12月01日

◆社会保障より道徳教育

加地 伸行


バスに乗っていたときの出来ごと。十数人ぐらいか、保育所の子供たちが乗ってきた。引率の保育士から教えられたのであろう、座席には座らず、ずっと立っていた。

もちろん、手はいろいろな物にすがっていたのであるが、バスが揺れると大きく体が動く。保育士たちが注意の声をかけていた。

そのとき、ある老女性が大声で「あ痛! ヒールで踏まれた」と叫んだ。どうやら保育士に足を踏まれたようである。

その保育士は何度もすみませんと言って謝っていた。しかし、保育士はゴム底の運動靴を履いており、仮に踏まれたとしても、革靴のヒールほどの痛さはあるまい。

それに揺れたときの話であり、わざと踏んだわけではない。幼児たちはよく訓練されており、立ってよろよろしながらも行儀よく友だち同士で助け合っていた。

痛いとわめいた老女性は着席していた。その顔つきは、その心と同じく、大人げない、エゴむき出しであった。

世間ではよく言う、老人を大切にし、労(いたわ)れ、と。その言や良し-しかし、それはあくまでも一般論であって、世にはどうしようもないつまらない老人がいることも事実である。

にもかかわらず、〈老人の特権〉は当然と思っているので、困る。同じ老人としての私からは言いにくいことなのだが。

世には老人エゴが横行している。大した病気でもないのに病院通いして、社会保障における医療費を増やしている。受け取る年金額に対してこれでは生活ができないと不満。しかし年金はあくまで補助なのであって、自分の老後は自力でいろいろな形で準備しておくのが筋。

老人には働く場所がないと言うが、それはおかしい。たとい月に1万円でも2万円でもいい、働ける場所を求めるならば、必ずある。じっと座って年金だけで暮らすというのは、安易であり、健康的でない。

遊んでいる不平不満老人に必要なのは、社会保障よりも道徳教育ではあるまいか。義務教育において、やがて教科としての「道徳」が登場する。とすればそれを受講させてはどうか。

すなわち、閑居老人が小学校に再入学するという案である。これは楽しいではないか。教科は、道徳のみならず、なんでもほぼ分かる。学校が楽しくなる。昔はいやだった人でも。

そして空き時間には同級生の少年少女に勉強を教えることもできる。運動会、文化祭、遠足-楽しいではないか。

経験がある人は、クラブ活動における指導ができるし、また担任の手助けもできる。

老人を若干の日当でそういうふうに生かせる再入学制を文科省は考えてはどうか。政治家も政策の一つとして選挙公約の中に入れてもいいのではないか。

老人を再教育しつつ、同時に教員の助手、学校の要員として遇することである。老人をほったらかしにしているから、いろいろと問題を複雑にしているのである。『礼記(らいき)』大学篇(へん)に曰(いわ)く、「小人 閑居して(ひまにしていると)不善をなす」と。     (かじ のぶゆき) 立命館大フェロー

産経ニュース【古典個展】2014.11.30

                   (情報採録:久保田 康文)

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