2014年12月04日

◆「アラスカ無宿譚」(1)

日高 一雄



今年傘寿を迎える。会報には初登場だが、此の年になれば、ご関心の経営 の話ではなく、若かった頃の話を思い出すままに綴っても許されるだろうか?

当倶楽部の年輩会員なら1963年11月にケネデイ大統領暗殺の報道に接した 時の我々の驚きは忘れられないだろう。而も彼の後を継ぐべく大統領に立 候補した弟ロバートも5年後大統領選挙運動中に暗殺され、兄も弟も、未 だに犯人と、犯人の裏に居る筈の人物又はグループが特定されない。

兄大統領を暗殺したのが、ウオーレン報告の様なリー・ハーヴェイ・オズ ワルドの単独犯では有り得ない。オズワルドは嵌められただけだろう。

本稿はケネデイの業績や政策を論ずるものでは無く、況や暗殺犯人を探す 話ではない。しかし犯人捜査の困難さから逆算すれば、ケネデイのある種 の理想主義が、米国の政界、財界などの深層部に在る建国以来の実力グ ループには受け入れ難いものがあって、小生には彼らがケネデイの施策方 向の中に米国の将来を不安にさせるものがある事を感知し、結果的にそれ が秘かな強大な力となって暗黙裡に生まれて、それを公権力すら及ばない 力で粛々と行使するに至った事が感じられてならない。米国の隠された恥 部であろう。

彼が主導した「ニューフロンテイア政策」の中には、野心的なものが多 かったが、ベトナム軍事費や月面着陸のアポロ計画支出など経費が嵩み、 それが負担となって、政権には諸政策実現の為の財源が不足していた事も 事実で、暗殺されなくとも1964年の次の大統領選挙は絶望的とする見方が 強かった。

彼の経済政策はアイゼンハウアー時代の不況対策の面が強かったが、財源 面の行き詰まりで予算法案の多くが議会を通過せず、大部分の施策は彼の 時代ではなく、ジョンソンの時代に漸く承認されて居る。

これからご披露する話も暗殺後、1965年に設置された彼の遺産、アメリカ 合衆国商務省経済開発局(EDA Economic Development Administration )の話である。随分昔の話だがお許し乞う。

小生は1960年代半ばに三菱商事が日露漁業(現マルハニチロ)、米国資本 と3社共同で経営を開始したアラスカの鮭缶詰製造合弁会社の役員として 合弁会社のシアトル本社に出向を命ぜられた。

合弁会社の方はユダヤ人幹部を中心として立派な経営が行われて居り利益 も出ていて、若かった商社マンとしての小生の関心は自然と広いアラスカ 全体の鮭資源事情及び鮭漁法の調査に向かった。

要は商社マンとして何か新しい商売の種は無いか?と言う本能である。調 査結果で驚いた事は、小生が生まれる前、1920年代からアラスカの各河川 では鮭の種類毎の成魚溯上量が記録されていて、その知識と経験に基づい て鮭の漁業管理が行われていた事が分かったのである。

鮭には大雑把に言って5種類位の品種があり、各河川によって溯上する品 種が大体決まっているが、河川(淡水)上流で孵化後稚
魚の時代に海(塩水)に下り、広い海洋を回遊して栄養を摂り成長し 3−6年後、産卵の
                  
為に生れた河川に戻る、と言う習性がある。川により生息する鮭の種類が 決まって居り、大洋回遊年数も成魚として川への俎上年も異なるが決まっ て居る、と言う次第である。(以下次号)


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