2014年12月05日

◆「アラスカ無宿譚」(2)

日高 一雄



或る年の或る川への鮭成魚溯上量測定から上流での見込み産卵孵化数(稚魚数)が推定され、それから一定の回遊年後の成魚溯上量が推定され、実際に測定され推定と対比される、と言う具合で、鮭のサイクルが極めて科学的に管理されて居た。

此の時、鮭漁業の基本思想は、産卵用川底(リバー・ベッド)が乱されて産卵が出来ない状態を避ける為に、寧ろ一定数以上の鮭成魚の溯上は阻止する事を基本思想とし、その阻止量の範囲内で河口から場所と時間を決めて鮭漁業が許可され、又、此の方法で再生産が保証・維持される、と言う次第であった

。鮭缶詰輸出で商売をして居た三菱から見ても、之では鮭が大洋を回遊中に、「公海漁業」と称して勝手に産卵前の鮭を洋上缶詰製造母船団とキャッチャー・ボートを組ませて大量に摂る我が国の鮭漁業が非難されても致し方あるまい、と思った事であった。(我々は本社では此の米国の管理方法の知識は無かった。)

その問題はさて置いて、アラスカ州は面積が広く、川も沢山あり、カナダの西海岸国境地帯から北極圏に至る長い海岸には有名なユコン川やカスコキウム川(河口の村はベセル)など無数の川があって、河口及び上流には何世代にも亘り、エスキモーが生活している。

彼らは昔から冬場のオットセイの生肉と夏の生鮭と鮭の干物を常食とし、又、橇を曳く犬の食糧としている。鮭は夏場に摂り食するものもあるが、大半は天日で乾燥され、厳寒時の食糧となる。(今ではその世代は居ないだろうが)

大半の川では食生活の為と現金収入を得る為に夏場には多くのエスキモーが漁業に従事して居り、又、大雑把に言って、アンカレッジから南は近代的缶詰工場があって漁獲物はそれに売るが、それより北のアラスカでは、少量ながら48州から来た取引業者が生及び冷凍した鮭を買い取って居た。

勿論、南の方は白人のプロ漁師が鮭を取っていた。しかし、調査の為小生が奥地に入った処では、その中でも北極圏の中にある「コツエビュー」と言う村は、人口も少なくエスキモーしか住まぬ正に寒村で、魚の冷凍は勿論、冷蔵、加工施設が一切無く、勿論ホテルも電話設備も無く、エスキモーは昔ながらの生活をしていた。

小生の調査では此処のノアタク川では鮭の種類ではチャム・サーモン(北海道白鮭と同じ)が主力で、彼らは個人ベースで小さな平底船で細々と漁を続けて居たが、鮭の溯川量は十分ある様に見え、小生には此処で鮭漁業を慫慂し、商業的にそれを購入する博打を打っても勝算がある様に見えた。(つづく)

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