2014年12月22日

◆万葉集に軍事メッセージ

毛馬 一三



韓国百済の都扶余の遺跡から、618年に作成された「出挙(すいこ)」の木簡が、発見されている。

「出挙」とは、作付けの季節に農民に利子つきで貸出した「種もみ」を、収穫の秋に利子分を含めた作物を現物で回収する制度で、木簡には農民毎に回収した「作物の量」が記録されている。画期的な国家制度だ。

実はこの同じ木簡だが、日本では飛鳥時代以前の遺跡から発掘された。

つまり、この「出挙」は中国で発祥した超国家税収制度。それが百済を通じて、日本へ導入されているから、百済と日本の間に当時、極めて緊密な外交関係があったため、日本へこうした国家構築に属する機密が伝わって来たのだ。

この発掘話題を知ったとき、日本と百済との「秘めたる繋がり」の秘話を話してくれた、韓国の著名女流作家のことを思い出した。

同作家は、李寧煕(いよんひ)氏。韓国大手新聞社「韓国日報」の政治部長・論説委員長から国会議員を経て、韓国女流文学会会長を歴任。今は連絡取れていない。

私は、「韓国日報」からの紹介で、李氏が来日した折、2日間奈良県桜井の「万葉の道」やその周辺の「古代天皇古墳群」散策の案内役を務めた。その際李氏が、こもごもと語ってくれたのが、この「万葉集」に秘められた日本と百済との「軍事、政治に関する驚くべき秘話」だった。

李氏が、日本の「万葉集」と関わりを持ったのは、国会議員だった当時、日本の高校の歴史教科書に韓国関係記述が歪曲されているという問題が提起されたことから、日韓両国の国会議員による特別委員会が設けられ、事実調査を始めたのがきっかけだったという。

つまり、歴史書が歪曲されているかどうかに迫るには、どうしても古代史にまで遡って検証する必要があり、そのために両国の歴史書に目を通すうち、日本の「万葉集」に魅せられて仕舞ったという。

ここから「万葉仮名」の研究に惹かれたそうだ。ところが「万葉仮名」で書かれた「難訓歌」や「未詳歌」、つまり日本語では判読出来ない歌のほとんどを、何と韓国語で詠んでみると、「未詳歌」ではなく、総て読み明かせること分かったというのだ。これは大発見に違いなかった。

帰国した李氏から、私に李氏著書「もう一つの万葉集・文藝春秋刊」が送られてきた。読んでいくうち「日本語訳では見えない様々な謎」が書き込まれて居た。その中で、特に驚くべきことが、こう記述されていた。

<万葉集20巻、4516首の内に、日本語では判読できない、正式に「未詳歌」は「3首」があり、このうちの1首に恐るべきメッセージが織り込められている。

斉明天皇(655年即位)の心中を、額田王(ぬかだのおおきみ)が代わって歌にしたのが、それである。

◆原文:  金野乃 美草苅葺 屋杼礼里之 兎道乃宮子能 借五百礒所念     <巻1の7・未詳歌>

・日本語詠みだとこうなる。(秋の野の み草刈り葺き 宿れりし 宇治のみやこの 刈廬(かりいほ)し思ほゆ)

この歌は、「日本語解釈」では、下記のようになっている。

(秋の野の 萱(かや)を刈って屋根を葺き 旅宿りした 宇治のみやこの 仮の庵が思われる)。

この解釈だと、額田王が何を言いたいのか、さっぱり意味が伝わってこない。だからこの歌が、解釈不能または解意不明であることから、公式に「未詳歌」とされたのだろう。

そこでこの祥らかでないこの歌の原文を、李氏が韓国語で読んでみた・・・。すると、(徐伐『そぼる』は 鉄磨ぐ 締め苦しむること勿れ 上の都は 刀来るぞよ 陣地固めよ)

・韓国語訳―(新羅は刀を磨いで戦いに備えている。締め苦しめないといいのに・・・。吾がお上の、百済の都は、敵が襲ってくるから、陣地をお固めなされ)。>
ということになるのだ。

李氏の韓国語詠みによる解釈によると、これは斉明天皇が百済に送った「軍事警告メッセージ」ということがはっきり分かる。

となれば斉明天皇が百済に、これほどまでの「国家機密情報」を送らなければならなかった理由とは何か、その疑問にブチ当たる。

<皇極天皇(斉明天皇と同じ・斉明天皇は二度即位)から斉明天皇の時代は、朝鮮半島では、新羅、百済、高句麗の3国が緊張状態にあった。

この歌(皇極時代の時の648年に入手していた情報)は、斉明天皇に即位してから額田王に作らせた歌だ。百済が、新羅・唐連合軍に滅亡させられた661年より13年も早いメッセージだから、このメッセージ自体に歴史的真実性がある。

実は斉明天皇は、百済の滅亡と遺民の抗戦を知ると、百済を援けるため、難波(大阪)で武器と船舶を作らせ、自らその船に乗り込んで瀬戸内海を西に渡り、百済とは目と鼻の先の筑紫(福岡)の朝倉宮で新羅・唐との戦争に備えた。

しかし斉明天皇は、遠征軍が百済に向かう前に、意思に反して亡くなっている。

斉明天皇の異常なまでの「百済ひいき」について日韓学者の一部には、斉明天皇は、百済第三十代武王の娘の「宝」で、百済最後の王、義慈王の妹だったとの説がある。>

恐らく斉明天皇自身もさることながら、親族関係も百済と強力な血脈が在あり、この額田王の「万葉集」(未詳歌)歌に秘められた「軍事警告メッセージ」も、その視点で詠めば「未詳歌」ではなくなってくる。

「万葉集」を古代の珠玉の日本文学と仰ぐ人たちにとっては、この韓国語読みは認め難く、あくまで額田王作の「未詳歌」としてしか今でも取り扱わない。

しかし、このあと白村江の戦いの敗戦(663年)まで、百済国の救援にこだわり続けてきた日本の歴史を見れば、日本と百済との関係は極めて緊密であったことは明らかだ。

だとすれば、万葉集愛好家も韓国語で詠み明かされる「万葉集の未詳歌」に、新たな視点を改めて投げかければ、「万葉集」の珠玉を更に広げることにはなるのではないだろうか。(再掲)

参考―・李寧煕氏著書「もう一つの万葉集・文藝春秋刊」
   ・小林恵子著「白村江の戦いと壬申の乱・現代思潮社」
   ・ウィキぺディア
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