2014年12月31日

◆メジロを捕ろうとした大臣

渡部 亮次郎



私が大臣秘書官として仕えた園田直(そのだ すなお)さんは、政界では 寝業師と呼ばれた異能の代議士だったが、少年の頃、生まれ故郷の天草 (熊本県)でメジロを捕って遊んだ頃が忘れられず,厚生大臣でありながら 70近くなって、メジロを捕しようとして厳重注意を食らったことがある。

『夕刊フジ』(2006・6・02)を読んでいたら、似たような記事に出会ったので思い出した。

<庭のメジロを捕獲しペットに…通りがかった警官気付く

鳥獣保護法で捕獲などが規制されている野鳥のメジロを捕り、飼育してい たとして警視庁向島署は31日までに、同法違反容疑で東京都墨田区内の会 社員(58)ら3人を書類送検した。

会社員は「いけないと知りながら、自宅の庭に飛んできたメジロをつい 捕ってしまった」と話している。

調べでは、会社員は2003年12月ごろから今年2月までの間、ミカンなどを 使って自宅の庭に呼び寄せたメジロ計7羽を網などで捕獲し、ペットとし て飼育していた疑い。

署員が会社員宅をたまたま通り掛かり、軒先につるされた鳥かごでメジロ が飼われているのに気付き発覚したという。 ZAKZAK 2006/05/31>

園田さんは昭和59(1984)年4月2日に70歳で逝去。06年の3月に23回忌を営 んだ。だからもうこの話を披露しても故人は苦笑いするだけだろう。

剣道7段、居合道8段、合気道8段、空手3段という猛者(もさ)だった が、気はほんとのところは優しかった。中学生の頃は、美男子ゆえ、女学 生に大勢で取り囲まれ、泣き出したという人。軍隊では絶対、ビンタを張 らなかったそうだ。

だからこそ武道によって自己改革を図ろうとしたのだろうと思う。また軍 隊には血書志願。陸軍で、落下傘部隊が発足すると知るや、長男は駄目 (確実に死ぬ危険性大だから)というのを押し切って第1期生。

戦争末期には特別攻撃隊、いわゆる特攻隊に志願。若い人は知るまいが、 単駆、爆雷を巻き、戦闘機で爆弾ごと敵軍艦に体当たりすると言うもの。 中東の自爆テロの先祖だ。

園田中尉は昭和20年8月に千歳基地から飛び立とうとしたが悪天候で中 止。次は8月17日が予定日とされたが、15日に敗戦。

話を聞いて私は「命拾いですね」といったら「一度死ぬ覚悟を決めたの に、突如、死ぬなと命令されると、逆に腰が抜けたよ。あれ以来、私の人 生は<お釣り>だよ」。

こうした反面、ラジオコントロールの飛行機や船を操作するのが趣味だっ たが、何と言っても好きなのが、小鳥にエサをやることだった。

外務大臣を福田内閣、大平内閣と2期勤めた後、厚生大臣に転じた。その 時も私が秘書官だった。ある月曜日の朝、目黒の私邸に伺ったら、珍しく 沈んでいる。

こっそり秘書さんに聴いたら「昨日(日曜日)、川崎の山で警護官(警視 庁警部)とメジロを捕まえようと、藪の中にしゃがんでいるところを、環 境庁の監視員に見つかってお説教を食らったんだって。厚生大臣がこんな ことでどうするって」

マスコミに漏れたら大事だ。幸い漏れなかった。この直後、園田さんは糖 尿病による腎機能低下に陥り、本郷の日本医科大学病院に10日ぐらい入院 した。それも極秘にして、病院から閣議に通った。以前、マスコミにいた ものがマスコミ対策をするのだから、普通の人よりは楽だったが。

ワーズワースだったか「私の心は虹を見ると踊る」と謳った。園田さんも 小鳥や亀にエサをやっている時、天草の海に遊んだ少年の心になっていた のだろう。そんなこと新聞記者に言い訳したって通用しなかったろう。危 なかった。

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