2015年01月05日

◆淀川神社の「絵馬献句」に人気

毛馬 一三
                      


大阪毛馬公園の側に在る「淀川神社」と、私たちNPO法人近畿フォーラム21が共同して、2016年に迫った蕪村生誕300年祭記念行事を進めて行くことに合意し、今年のお正月から神社に参拝された方に「絵巻」に「献句」して頂くことになりました。


「絵馬」は、幅6p縦24.5pで、表面には「蕪村の著名俳句と蕪村像」を載せ、裏面に、自作の「俳句と願いごと」を手書きするものです。「絵馬」は、神社境内の「絵馬掛け」に1年間吊ることになります。


幸運にも、今年の元旦3日間は好天に恵まれ、「淀川神社」境内には、立て板に
(既報)の「献句」推奨ポスターと朝日新聞の事前記事の拡大紙が貼られ、参拝者を驚かせて、「絵馬」に献句する方の姿が見受けられました。


共同行事は、順調に進み、「絵馬の吊り棒」に3日の間に何と40個の絵馬が架けられました。

その上、地元の俳句愛好会から10枚の「絵巻」を求められ、また高槻の俳句会からの求めに応じて10枚の「絵巻」を郵送したそうです。

また、蕪村生誕300年祭記念行事委員会の参加して居られる俳句会からも、近く挙って50人の同人が参拝され、「絵巻」に献句をする知らせが来ています。


大阪俳人与謝蕪村名と蕪村生誕地が毛馬町であることを、「淀川神社」を発信地として後世に継承することを行事の目的にしています。つまり、「淀川神社」を
「蕪村神社」として全国・海外に広めて行くことも推進して参ります。

この行事は、氏神様「淀川神社」が在る限り、永遠に続くことになります。
実に素晴らしいことだと思っております。

淀川神社」には、摂津の国東成郡友渕村字外島(現・友渕町337番地)に江戸時代の享保元年(1716年−生誕日は不明)に生まれた、「淀川神社」の氏子の与謝蕪村が参拝していたことが、昨年暮に判明しました。

氏神様「淀川神社」は、元々「十五神社」と称して、平安朝初期または、それ以前に創立されています。同神社は、そのままの形で、当時から摂津の国東成郡友渕村字外島(現・友渕町337番地)に在りました。

蕪村の生家は、父は庄屋で、問屋、宿屋も営む北国屋吉兵衛。母は丹後与謝から奉公人として来た「げん」でした。母「げん」は、器量と気立てが良くて、吉兵衛に気に入られ、2人の間に男の子(寅―後の蕪村)が誕生したのです。

北国屋吉兵衛は、庄屋、問屋でしたから、国東成郡友渕村の農作業を先導して商売に精を出し、特に菜の花から採れる菜種油の生産と販売を幕府から奨励を受けて励んだため、多くの使用人を使って、裕福な暮らしをしていたと云われます。


この北国屋吉兵衛の一家が、「淀川神社」に参拝したのは、上記の様に氏子でしたから間違いないことです。蕪村も生誕して両親に抱かれてお参りしたでしょうし、両親を亡くし実家運営苦衷の厄払いも、この「蕪村神社」に参拝したことは想像に難くは在りません。

17・18歳の時、江戸に出奔する時も、「安全祈願」のために「淀川神社」参詣に行ったことでしょう。

この記念行事を、「淀川神社」と私たちと共同して実行していけることの喜びを心から感じております。これから「淀川神社」が「蕪村神社」として名を広めて行くことにも大いに期待しております。

「絵巻」の「献句」は、正月だけでなく、1年間通して続き、来年からも引き続き行います。どうか毛馬橋の横の「蕪村公園」の前にある「淀川神社」に全国からもご参拝をして「献句」して頂きますようお願い致します。



 
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