2015年01月06日

◆第五福竜丸の真実は・・・

平井 修一


5年ほど前に東京都江東区夢の島を訪ねたら展示館があり、第五福竜丸が保存されていた。いろいろな展示を見て「ずいぶん悲惨だなあ」と思ったが、核実験について事前に承知していたのに、なぜ危険水域から遠ざからなかったのかと不思議に思っていたが、この事件には米軍の判断ミスや日本の医師団の誤解/誤診などがあるようだ。調べてみた。


<第五福竜丸は1954年3月1日に、アメリカ軍の水素爆弾実験によって発生した多量の放射性降下物(いわゆる死の灰)を浴びた遠洋マグロ漁船である。無線長だった久保山愛吉がこの半年後の9月23日に死亡した。

1954年3月1日、第五福竜丸はマーシャル諸島近海において操業中にビキニ環礁でアメリカ軍により行われた水爆実験(1954年3月1日3時42分実施)に遭遇し、船体・船員・捕獲した魚類が放射性降下物に被爆した。

実験当時、第五福竜丸はアメリカが設定した危険水域の外で操業していた。危険を察知して海域からの脱出を図ったが、延縄(はえなわ)の収容に時間がかかり、数時間にわたって放射性降下物の降灰を受け続けることとなり、第五福竜丸の船員23名は全員被爆した。


後にアメリカは危険水域を拡大、第五福竜丸以外にも危険区域内で多くの漁船が操業していたことが明らかとなった。この水爆実験で放射性降下物を浴びた漁船は数百隻にのぼるとみられ、被爆者は2万人を超えるとみられている。

予想以上に深刻な被害が発生した原因は、当初アメリカ軍がこの爆弾の威力を4 - 8Mtと見積もり、危険区域を狭く設定したことにある。爆弾の実際の威力はその予想を遥かに超える15Mtであったため、安全区域にいたはずの多くの人々が被爆することとなった。

第五福竜丸がアメリカ軍による水爆実験に巻き込まれて被爆した出来事は、日本国内で反核運動が萌芽する動機になった。


同年9月に久保山無線長が死亡した際に、日本人医師団は死因を「放射能症」と発表したが、アメリカ政府は現在まで「放射線が直接の原因ではない」との見解を取り続けており、またこの件に対する明確な謝罪も行っていない。


被曝が原因で肝機能障害が起きたなら、同様に被曝したはずのマーシャルの被曝者にも多数の肝機能障害を起こした被曝患者がいるはずであるが、実際はマーシャルの被爆者に重度の肝機能障害の患者は全く発生せず、第五福竜丸の被災者17名でのみ発生し、治療中の死亡に至っては久保山無線長のみである。


事件当時は医療器具、特に注射針に関してはディスポは殆ど行われず、消毒して使い回しされることもしばしばであり、各種法定予防ワクチンの集団接種で使い回しされた注射針が原因でB型肝炎ウィルス感染が引き起こされ集団訴訟になったのは周知の事実である。

第五福竜丸乗組員17名が重度の肝機能障害を引き起こした原因は、ウィルス感染した売血による輸血であるという指摘も存在する。


第五福竜丸の被爆、特に久保山無線長(当時40歳)が「原水爆による犠牲者は、私で最後にして欲しい」と遺言して死んだ出来事(1954年9月23日)は、日本で反核運動が始まる動機になった。東京都杉並区の主婦による反核運動や、1955年に設立された原水禁に代表される反米色が強い反核兵器運動も、この第五福竜丸の被爆が動機である>(ウィキ)

「重度の肝機能障害の患者は全く発生せず、第五福竜丸の被災者17名でのみ発生」というのはいかにも不自然だ。

日本人医師団は、

<久保山の死に際し「もう何も言えません」と語る主治医の熊取敏之(東京大学医学部教授、国立東京第一病院)と、それを支える三好和夫(徳島大学医学部教授)>(ウィキ)らだろう。

熊取敏之氏は、

<1921−2004 昭和後期-平成時代の放射線医学者。大正10年6月18日生まれ。東大内科、国立東京第一病院勤務をへて昭和34年、放射線医学総合研究所臨床研究部室長となり、53年所長。昭和29年ビキニ水爆実験で被爆した第五福竜丸の久保山愛吉らの治療にあたった。

放射線審議会会長や放射線影響協会理事長などを歴任。放射線障害、がん治療の研究に力をそそいだ。平成16年12月11日死去。83歳。和歌山県出身。東京帝大卒> (デジタル版 日本人名大辞典+Plus)

三好和夫氏は、

<第五福竜丸事件の際、国立東京第一病院の熊取敏之とともに、東大病院で福竜丸乗組員の診察と治療にあたった三好和夫は、東京の医学界を去り、徳島大学医学部で医学部長までつとめ、名誉教授として生涯を終えた。

三好は、福竜丸乗組員が「内部照射を受けた可能性」が高く、肝臓が影響を受けやすいことを指摘していた。(中国新聞社・ウェブ版『世界のヒバクシャ』)>(ニュークストリア2013/8/11)

2氏とも放射線医学のプロだ。プロでも当時はウィルスに感染した売血による輸血や注射針の使いまわしの危険性がまったく知られていなかったから、被曝、即肝機能障害と医師団が判断したことはしかたがないが、とても残念なことだ。

<第5福竜丸の悲劇は、広島・長崎に加えて、日本人には忘れられない原爆の悲劇でもある。今回の福島の原発事故に関連して、広島・長崎の原爆に加え、ビキニ環礁での水爆実験について検証し、その中で新たに知ったことを紹介する。

第五福竜丸が被曝した同じ時、ビキニ環礁の住民達も被曝、28〜50時間後に彼らは米軍により救出された。救出後取り立てての治療は行われず、放射能灰をあびた全身を洗う程度であった。

その後彼らの中から白血病1名、甲状腺がん10名が認められている。また、被曝後4年間は高頻度で流産・死産が認められたと報告されている。しかしながら、島民からは肝炎、肝がんの報告は特には成されていない。

一方、第5福竜丸の場合は、3ヶ月後に23名中17名に肝障害が認められたと報告されている。そして約半年後に1名が肝炎で死亡、さらに2004年までに12名が死亡しているが、内9名は肝炎・肝がんであった>(NPOあいんしゅたいん)

「第5福竜丸の船員=被曝で死ぬ」という図式ができ上がっているようだが、それはかなり事実と違うのではないかという見方がひろがっているようだ。

歴史は新たな事実が発見されれば見直されてしかるべきだろう。立場によっては「歴史の修正は許さない」という人はいるけれど。(2015/1/5)

       
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