2015年01月11日

◆事なかれのヘタレ外交改めよ

平井 修一



小生は加藤紘一(1939年6月17日 ‐ )が大嫌いだ。加藤は外務省出身だから、「外務省はこの手のリベラル≒アカ≒ピンキー≒外国べったりの反日屋≒事なかれ主義者が多いのではないか」と不信感を持っている。

古森義久氏は不信感どころか憤慨している。氏の論考「日本はこうして世界に発信せよ、正しい歴史を伝えるための10の提案 外務省はジャパン・ハウス建設の前にやるべきことがある」(JBプレス1/7)から。

<2015年は、日本が諸外国へ向けて歴史や領土に関しての明確なメッセージを発信すべき年である。日本がこれまでのように対外的に沈黙していたのでは、汚辱の傷を深め、領土さえも失いかねない。

安倍晋三首相にとっても、長期政権の見通しが強くなったいまこそ、この対外発信を真正面に前進させる必要性が高まり、その土壌も固まってきたと言えよう。

だが、その先兵となるべき外務省の姿勢がどうにも不可解なのである。日本国がいま最も必要とする発信を避けて、日本食やアニメという緊急性の低い無難なテーマへと逃げこもうとしているようなのだ。

日本の外務省には、慰安婦問題や南京事件という歴史的な課題に関して戦後の長い歳月、一切、反論や説明を対外的にしてこなかったという負の軌跡がある。


中国や韓国、そして米国の一部からどんなに非難されても、事実関係の誤りを正すことさえしてこなかった。対外的に述べるのは謝罪だけだった。個別の外交官がたまに歴史問題に言及しても、せいぜい「その案件はすでに外交的には処理ずみ」という範囲の弁解だった>(以上)

情けないほどにほとんど暗愚なのである。

加藤は衆議院議員(13期)、防衛庁長官、内閣官房長官、自由民主党政務調査会長、自由民主党幹事長、宏池会会長を歴任した。加藤のオツムは外務省で作られたのだろう。

加藤は1963年、東大法学部政治学科を卒業。朝日新聞の入社試験には合格したが、外交官試験は不合格であった。そのため4月に法学部法学科公法コースに内部学士入学する。

その後あらためて外務省を受験し直し、合格。1964年、東大法学部公法学科を卒業し外務省に入省した。

在職中、台湾大学、ハーバード大学に留学する。1967年、香港副領事在職中に結婚。1970年に帰国し、外務省アジア局中国課次席事務官。

1971年5月、次期衆議院議員総選挙への出馬を表明し、同年12月をもって外務省を退官。

小生とは比べものにならない立派な脳みそのはずなのだが、中共に籠絡されたのだろう、完璧な走狗になった。加藤は妄言を連発した。

<1992年7月、宮澤内閣の官房長官として「細部は論じたくないが、(慰安婦側が)強制連行されたと主張するならその通りなのだろう」と日本側の非を認め、「お詫びと反省の気持ち」を表明した。

また、南京事件について「物の見方だと思います。南京大虐殺も(犠牲者は)30万人という人と3000人という人と。僕はこう思う。3000人でも一般市民を虐殺したら、された方は虐殺と思う。(慰安婦問題も)それに近いんじゃないか。だからそこをあんまりとやかく、細かく論じたくありませんね」と語ったとされる。

1994年8月、当時自民党政調会長だった加藤は中国人民抗日戦争記念館を訪れ「ここに来るのは長年の願望だった」「来年は終戦から50年。日本では、どう50年を迎えれば良いか議論しており、日中戦争が本格的に始まるきっかけとなった盧溝橋を訪れることができたことは意義深い」とした。

また、外務官僚時代にハーバード大学に留学した際に「蘆溝橋事件が起きるまでの一年」と題した論文で修士号を取得したことを述べ、「亜州歴史的真実只有一個(アジアの歴史の真実はただ一つ)」と記して抗日記念館の館長に献じた。

この他の語録。

「(金正日総書記は)向こうの国(北朝鮮)でいえば天皇陛下みたいな立場」(2007/12/18 報道2001番組内で発言)

「(拉致被害者は)北朝鮮に返したほうがよかった」(2008/7/7 BS11番組内で発言)

「(中国海軍艦艇によるレーダー照射問題について) ほんとに(中国は)やったのかな…」と述べた。 (2013/2/13 日本記者クラブでの会見)>(ウィキ)

2006年に自宅を放火される事件も起きたから、加藤を嫌う人は多いのだろう。今は政治家業は娘に譲ったようだが、公益社団法人日本中国友好協会の会長を務めている。

加藤のようないびつなキャラを産んだのは、外務省のいびつなDNAによるのではないか。

<外務省は、平和で安全な国際社会の維持に寄与するとともに、主体的かつ積極的な取組を通じて、良好な国際環境の整備を図ること、並びに調和ある対外関係を維持し発展させつつ、国際社会における日本国及び日本国民の利益の増進を図ることを任務とする(外務省設置法3条)。

この第3条に掲げた目標を達成するため、外交政策、外交使節、通商航海、条約等の国際法規の締結・運用、外国政府との交渉、情報収集・分析・発信、在留邦人の保護および文化広報活動など国の対外関係事務全般をつかさどる。

2012年度(平成24年度)一般会計当初予算における外務省所管予算は6172億5100万円である。組織別の内訳は外務本省が5040億9700万円、在外公館が1131億5400万円である。

外務省の広報誌には、外務省発行の『外交』と『外交フォーラム』(都市出版発売)がある。(注:外交フォーラムは2010年に休刊)

駐米大使を務めた村田良平は外務省退官後、外務省があまりにもアメリカ合衆国に従属的であると述べている。

一般職の在職者数は2011年1月15日現在、外務省全体で5648人(うち、女性1408人)である。

省内の派閥関係としては、語学研修部門別の「アメリカン・スクール」「チャイナ・スクール」「ロシアン・スクール」などがあり、出身学校別としては東京大学出身者による「東大閥」を初め、東京外国語大学出身者による専門職を中心とした「外大閥」、創価学会員や創価大出身者による派閥「大凰会(凰会)」などが知られている。

外務省では、事務次官経験者がその後大国又は国連等の重要な国際機関に派遣される特命全権大使を務める慣例があり、特に在アメリカ合衆国大使の多くは次官経験者が務めてきた。

しかし、2001年頃に発覚した数々の外務省の不祥事を受けた改革において、次官経験者の自動的な大使任用慣行は一旦改められた。

その後、政府は大使の任用は「適材適所の観点に立って」判断するとしてきたが、2012年には11年ぶりに佐々江賢一郎が次官経験後に駐米大使に就任した>(ウィキ)

この引用の冒頭の外務省設置法3条には「一に国益、二に国益、三、四はなくて五に国益」という覚悟がないのだ。だから、相手が文句を言ってくると、事なかれ主義で、すぐに謝罪する。かくして日本叩きが拡大再生産されるのだ。ヘタレ外交と言う他ない。

杏林大学名誉教授・田久保忠衛氏の論考「棍棒外交の意味を問い直せ」
(産経・正論1/6)から。

<米国にべったり寄りかかって棍棒を軽視してきた日本が何をすべきかはおのずと明らかだろう。ソフトパワー重視もいいが、アニメと日本食のPRを熱心に試みても尖閣諸島や小笠原諸島に不法に入ってきた中国船には何の効果もない。

米国との絆を強めつつ日本は何をすべきか。安倍晋三首相はご自身が運命の人であることを自覚しておられると信じている>

日本外交は国益を拡大するどころか毀損していることが多いのではないか。事なかれのヘタレ外交改めよ。(2015/1/7)

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