2015年01月14日

◆自由言論の闘士よ、何処へ行く

「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
 

<平成27年(2015)1月13日(火曜日)弐 通巻第4439号>  


〜自由言論の闘士、ジミー・ライ(黎智英)よ、何処へ行く
   香港にささやかに残った「言論の自由」もなくなってしまうのか?〜


香港の「占中」(セントラル地区を占拠せよ)運動は「雨傘革命」とも呼ばれる。

12月にようやく収束し、「道路交通法」違反容疑などで指導者100ん人以上が逮捕され、その中に大スポンサーといわれ、デモ行進でも先頭をあるいたジミー・ライ(黎智英)も含まれていた。彼は12月3日に釈放された。

ジミーは12歳の時に広東省から香港へ流れ込んだ。

苦労して留学し、英語をマスターし、やがて香港へ舞い戻り、ファッシン小売りチェーン「ジョルダーノ」(中国のユニクロ)の経営で当てた。

その軍資金で日刊の「りんご日報」を創刊した。グラフィックを主力に新鮮な紙面作りだったので、爆発的に売れた。

香港返還前から、香港のマスコミは中国共産党の顔色をうかがうようになり、共産党系の「文ワイ報」「東方時報」「大公報」などは共産党礼賛、英字紙の「サウスチャイナ・モーニングポスト」と「香港のウォールストリート・ジャーナル」と言われた「明報」とて、広告の激減(北京がスポンサーに圧力をかけるため広告主が出稿をためらう)という深刻な事態に直面し、批判のトーンがダウン。


やがて「サウスチャイナ・モーニングポスト」(南方早報)は身売り、最初は新聞王のマードックが買い、その後は共産党寄りのマレーシア華僑が買収した。同紙から往時の鋭角的な共産党批判は薄れた。

果敢な報道をつづけた「リンゴ日報」を目の敵とした中国共産党は、ジミーが経営していたジョルダーノの広東の弐店舗に放火して、警告した。

彼はひるまず、ジョルダーノを手放して、むしろリンゴ日報の経営に専心した。同紙を運ぶトラックが襲われたこともあった。

こうした言論環境の中、果敢に言論の自由をもとめての創刊だったから、「リンゴ日報」はまたたくまに香港一のメディアに成長し、週刊誌『壱』も、そこそこの売り上げを示してきた。

ジミーは台湾にも進出し、新聞と週刊誌を発行した(いまは他の経営者に売却)。

▼「国際金融都市」が機能するには情報の透明性、正確さが必要

1996年だったと思う。

筆者は香港でジミー・ライにインタビューした。坊主狩りにジャンバー、あまりに若いので、彼が同社の応接室にはいってきたとき、私はお茶を運ぶ給仕かと間違えたほどだった。

会話で印象的なのは、言論の自由と香港の未来に関してだった。

ジミーは流ちょうな英語でこう言った。

「わたしはハイエクの信奉者。香港は国際金融のメッカ。つまり国際金融センターを今後も機能させようと中国共産党が考えるのであれば、(いくぶんの制約はあるかも知れないが)香港から言論の自由はなくならない。なぜなら市場というのは情報の透明性、その正確さによって成立するからだ」

ジミーは雨傘革命で逮捕された責任をとってリンゴ日報の社長を辞任した。「それでも個人的に民主化運動をささえる」と記者会見した。

その直後にリンゴ日報本社で放火未遂事件があり、ジミーの自宅には火炎瓶が投げ込まれた。

「こんな嫌がらせは過去にもしょっちゅうあったし、私はひるまない」と彼はウォールストリート・ジャーナルのインタビューに答えている(1月12日)

朝日新聞は、この言葉をいかに受けとめるのか?
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