2015年01月15日

◆直観と論理:日本

MoMotarou



日本人は太古の昔から直感によって、万物に神霊が宿っていると、信じてきた。日本人は全宇宙が神聖だと、直感したのだった。(加瀬英明)

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正月一日、県議会議長の知人が新年祝賀の為参内した。「二重橋」を車で渡ったそうだ。思い出すのは田中角栄さんの事。結婚する時、奥さんに約束させられた「将来二重橋を渡るときは一緒に連れて行くこと」があった。約束は守られた。決断と実行。

■わが民族の力

「日本人は何を考えているのか判らない」と云う言い方をする外国人がいて、日本人の中にもその考えに毒されている人々もいる。ならば我が国は混乱しているかというとそうでもない。見事今日まで整然と日々生活している。竹中平蔵さんや舛添要一さんみたいに口から泡を飛ばすことも無くだ。コストパフォマンスは良い。

加瀬英明(国際問題評論家)さんが「一般宮中参賀」に関連して、私達に備わ りながら気が付かないことについて書かれている。転載したい。表題は小生。

*「一般宮中参賀と日本」加瀬英明のコラム」メールマガジンより

□精霊信仰の国に論理の仏教が渡来

<今年も1月2日に、皇居に8万1千人の善男善女が参賀に訪れて、万歳を唱えた。日の丸の小旗の波が、美しかった。天皇陛下のお姿は、いつ拝しても神々しい。世界に多くの国々があるが、日本だけが125代にわたる御皇室を、戴いている。御皇室こそが、日本を日本たらしめている。

どうして、日本が開闢(かいびゃく)して以来、天皇がもっとも崇められるべき人である「すめらみこと」として、尊ばれてきたのだろうか?神道は万物に神霊が宿っているとする、精霊信仰である。
 
世界の先進国のなかで、日本においてだけ、精霊信仰がいだかれている。
御皇室と神道は同じ源(みなもと)から、発している。日本人は太古の昔から直感によって、万物に神霊が宿っていると、信じてきた。日本人は全宇宙が神聖だと、直感したのだった。

ところが、長いあいだにわたって、神道には名前がなかった。神道という言葉が日本語に加わったのはかなり最近のことで、日本の2番目に古い歴史書である『日本書紀』(西暦720年)のなかに、はじめて現われる。

神道は日本が生まれた時から存在してきたが、仏教が伝来すると、仏教と区別するために、「神道」と名づけられた。仏教とともに、日本に中国大陸から、論理的な考えかたが入ってきた。>

□神道の直観と仏教の論理

<神道は直感によっているから、知性を働かせる論理と、無縁である。そのために神道には、仏教や、大陸から伝わった儒教と違って、今日にいたるまで、教典が存在していない。

仏教と儒教は、日本が発展するのに当たって、大きく役立ってきた。仏教と神道は争うことなく、互に学びあって混った。

中国やヨーロッパや中東では、論理が直感を圧倒するようになったのに、日本では神道が今日まで力をまったく失わなかった。>

□王朝交代と論理

<中国やヨーロッパや中東では、論理や、詭弁による争いが絶えることなく、論理を用いて組み立てられた善と悪を振りかざして、権力を争奪して、王朝が頻繁に交替した。

日本人は直感を大切にしてきたから、論理によって支配されることがなかった。日本では人が身勝手に決めることができる善悪ではなく、何が清らかで美しいか、何が穢(きたな)くて汚れているかという感性を、尺度としてきた。>

□「宇宙」の把握

<日本では天照大御神が最高神だが、中国の天帝や、ユダヤ、キリスト、イスラム教の最高神と異って、宇宙を創造した万能で、絶対的な権力を握っている至高神ではない。

日本最古の歴史書である『古事記(ふることぶみ)』(西暦712年)によれば、神々によらずに、宇宙は自らの力で、自成して誕生した。>

□階級差別と奴隷

<中国は、今日でも階級社会である。ヨーロッパにも、厳然とした社会的な差別がある。アメリカでは黒人に対する差別が行われて、大きな社会問題となっている。

それに対して、日本は平等な社会であってきた。神々も、地上に生きている人も、同じように「みこと」とされている。>

<新しい年が明けると、皇居において天皇陛下が主催される、歌会始(うたかいはじめ)が厳(おごそ)かに催される。毎年、その前の年に御題が発表されて、全国から和歌が公募され、入選者は社会的地位や、職業の貴賤を問わずに、皇居に招かれて、両陛下や御皇族の前で入選歌が披露(ひろう)される。

どの歌も、平和を願う祈りである。歌会始の歴史は、古いものだ。中世の中国やヨーロッパでは、ありえないことである。>

■日露戦争は「地球儀戦争」

日清戦争は、我が国も漢籍を教養としてきたから相手の様子も理解できた。日露戦争は西洋白人との未知との戦いであった。

日本が西洋の手に落ちれば、西洋白人における「世界支配・分割」は、ほぼ終わるはずだった。“論理的”に考えれば、小国日本が大国「中国・ロシア」に勝てるはずはなかった。

しかし、見事に勝利し、「終戦」に持ち込んだ。両戦争とも相手国の”首都”は制圧していないのにであります。やはり政府に「力量・識見」があった。官僚も政治家も頑張って欲しい。国民も「餌(えさ)のバラ撒き」に惑わされないよう頑張りましょう。自分の国なのであります。


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