2015年01月16日

◆イスラム狂信者は宿阿

平井 修一



英フィナンシャル・タイムズ「テロの陰にいる狂信者と世界を分かち合う方法」1/14から。

<先週のパリでの(イスラム過激派によるテロ)事件はどのように解釈すべきなのだろうか。なぜ自らの信仰のために他人をあやめたり自分の命を投げ出したりすることを覚悟してしまうのだろうか。

自由民主主義国はどのように対処すべきなのか。こういった疑問を抱いている人はたくさんいるに違いない。

実はこれらの問題には、エリック・ホッファーという傑出した人物が1951年に発表した著作『The True Believer: Thoughts On The Nature OfMass Movements(邦訳:大衆運動)』で取り組んでいる。ナチズムと共産主義を受けて練られた本書の考え方は、今日でも力強さを失っていない。

ホッファーによれば、トゥルー・ビリーバーの特徴は彼らの信仰の内容ではなく、信仰の主張の性質にあるという。彼らの信仰では、自分たちの教義が絶対的に正しいと主張されており、信者は絶対的な忠誠を求められる。

トゥルー・ビリーバーとはこうした主張を受け入れ、こうした要求を喜んで受け入れる人たちだ。彼らにとってはこの世界で大義が成就することの方が自分の命よりも、あるいはほかの誰の命よりも重要であるために、彼らは大義のために他人をあやめたり自分の命を投げ出したりすることを覚悟している。従ってトゥルー・ビリーバーは狂信者だということだ。

ホッファーが残した重要な指摘の1つに、人をトゥルー・ビリーバーにするのは貧しさではなく苛立ちだ、というものがある。ここで言う苛立ちとは、自分はもっと恵まれて然るべきなのに、おかしいじゃないかという感覚のことだ。

彼らにはいろいろな特徴がある。自分は社会になじんでいないという感覚があるかもしれないことも、その1つだ。社会のマイノリティーである移民の子供たちの中には、そう思っている子が恐らくいる。家族の母国の文化への愛着と、家族が移り住んだ土地の文化への帰属感は、どちらも脆弱なものになる可能性が高いからだ。

では、運動への信仰は何を提供してくれるのか。本質を言うなら、それは答えである。何を考えればよいか、どう感じればよいか、何をすればよいかを支持者に教えてくれるのだ。

信仰は、誰でも受け入れる共同体を提供してくれる。生きる理由を、人をあやめる理由を、そして自分が死んでいく理由を教えてくれる。空虚さを満たし、漫然とした人生に目的を与えてくれる。大義を与えてくれる。高貴な大義もあれば卑しい大義もあるが、大義であることに変わりはない。そして、重要なのは大義だ。

「すべての大衆運動は、その支持者たちの間に一致団結して行動する傾向を醸成する」とホッファーは指摘する。「どんな教義を奉じているかに関係なく、すべての大衆運動は狂信的な行為、熱狂、熱烈な希望、憎悪、そして不寛容を生み出す」。そして「盲目的な信仰と一途な忠誠」を要求するのだという。

西側諸国の世俗的な民主主義も、イスラム武装勢力のトゥルー・ビリーバーたちによる攻撃には弱い。戦争をすれば彼らを制御できるかもしれないが、西側がイラクとアフガニスタンの両方で学んだように、暴力では彼らは排除されない。敵は「テロ」ではなく、テロを生み出す彼らの思想だ。


自ら命をなげうつ行為を抑止するのは難しい。思想を圧倒するのも難しい。宗教的な思想を圧倒することなど、ほとんど不可能だ。もしそうした思想が衰えるとするなら、それはもっと魅力的な思想が登場して広まる時に限られよう。ことによると、より過激なものは消耗してなくなってしまうかもしれないが、それには長い時間がかかる恐れがある。

マルティン・ルターの思想が引き金となった欧州の宗教戦争の時代は130年にも及んだ。そんな前例を考えると、不安を覚えずにはいられない。

では、何をどうしたらよいのだろうか。筆者はこの分野の専門家ではないが、少なくとも利害関係はある。筆者は自由民主主義国の市民であり、今後もそうでありたいと強く願っているからだ。そこで、次のような6点をこの問いの答えとして示すことにしたい>(以上)

本来は「6点」こそ知りたいのだが、「封じ込め」以外は無内容なのでカットした。敵は「テロ」ではなく、テロを生み出す彼らの思想――思想を排除することも穏やかにすることもできるわけがないのだ、相手は狂信者なのだから。

封じ込めるためには警察力、軍事力が要る。容疑者を片っ端から摘発したら巨大な刑務所と金が必要になる。実行犯は死刑にできても未遂犯はせいぜい数年間の収監で、出獄すれば元の黙阿弥、またテロを計画するだろう。狂信者なのだから。宿阿として永遠にイタチゴッコを繰り返すしかない。

産経「【宮家邦彦のWorld Watch】欧州に学ぶな」1/15も大いに勉強になった。

<結局は(英仏)両国とも新移民の同化に失敗し、イスラム過激主義という爆弾を抱えてしまったのだ。

それでは日本はどうか。労働力不足を埋めるため日本は大規模な移民受け入れに踏み切るのか。踏み切った場合、欧州諸国が直面した問題を克服できるのか。欧州とは違いイスラム教徒の移民は少ないだろうが、新移民の同化が困難な点は日本も同じだ。

欧州に学ぶのか、学ばないのか。日本は今決断を迫られている>

支那人とコリアンの移民だけでもうんざりさせられているのに、わけが分からんイスラム原理主義者まで受け入れたりしたら、日本が日本でなくなってしまう。単純労働の移民受け入れを断固拒否していこう。(2015/1/15)

       
   
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