2007年05月10日

◆朝日新聞記者の創作


                          渡部亮次郎

「日本軍が朝鮮人女性をさらって慰安婦にしていた、という話は実を言うと朝日新聞記者の創作だった」。元産経新聞記者で先ごろまで大学教授だった高山正之氏が週刊新潮のコラム「変見自在」(2007年5月17日号)で紹介している。

「記者の名は植村隆。妻は朝鮮人で、その母は反日団体の幹部だった。彼が書いたのが『金学順』の物語だった。金学順は14歳で妓生(キーセン)の置屋に売られ、17歳の時に養父に中国奥地の慰安所に売り飛ばされた。

それを植村は女子挺身隊の名で戦場に連行され日本軍人相手に売春行為を強いられた、と書いた。女子挺身隊とは何かも知らないお粗末な原稿だが、朝日新聞は疑いもしないでそれを載せた。

さらには嘘を厭わない学者や河野洋平のようなおつむにやや難のある政治家も動員して植村の嘘を飾り立て、遂には『20万人の女を性の奴隷にした20世紀最大の人身売買事件』に仕立てた」。

いまや中国、韓国に留まらず、日本外交の基軸たる日米関係をも危うくしようとしている慰安婦問題の真相がこれなのである。なんとも酷い記者を抱えたものだ。

1958(昭和33)年高知県生まれというからまだ50前。日本で売春が犯罪と決まった年の生まれだから女子挺身隊も女郎も知るわけない。早稲田大学政経学部卒。1982年朝日新聞入社。

千葉支局、韓国特派員を経て、現在朝日新聞中国特派員。韓国語の学習のため朝日新聞社員になってから延世大学に留学もしている。彼の妻は、日本政府に対してアジア太平洋戦争韓国人犠牲者補償請求事件を起こした韓国の太平洋戦争犠牲者遺族会の常任理事、粱順任の娘である。

韓国特派員時代の1991年8月11日の朝日新聞に(10日ソウル発)として初めて慰安婦に関する記事を掲載。これが韓国のさまざまな新聞に転載され、慰安婦問題がクローズアップされた。

取材対象であった金学順の証言とされる記事内容と、アジア太平洋戦争韓国人犠牲者補償請求事件における金学順の陳述に相当異なる点がある。

特に女子挺身隊なる用語と慰安婦を結びつけた『日中戦争や第2次世界大戦の際、「女子挺身隊」の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた「朝鮮人従軍慰安婦」のうち、1人がソウル市内に生存していることがわかり、』という記述は事実に反するものであるが、これまで記事内容の訂正はされていない。

記事本文-『日中戦争や第2次大戦の際、戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた「朝鮮人従軍慰安婦」のうち、1人がソウル市内に生存していることがわかり、「韓国挺身隊問題対策協議会」(尹貞玉・共同代表、16団体約30万人)が聞き取り作業を始めた。

同協議会は10日、女性の話を録音したテープを朝日新聞記者に公開した。体験をひた隠しにしてきた彼女らの重い口が、やっと開き始めた。


尹代表らによると、この女性は68歳で、ソウル市内に1人で住んでいる。女性の話によると、中国東北部で生まれ、17歳の時、2、300人の部隊がいる中国南部の慰安所に連れて行かれた。

慰安所は民家を使っていた。5人の朝鮮人女性がおり、1人に1室が与えられた。女性は「春子」(仮名)と日本名を付けられ、毎日3、4人の相手をさせられた、という。「監禁されて、逃げ出したいという思いしかなかった。相手が来ないように思い続けた。」という。

数ヶ月後に逃げることができ、戦後ソウルに落ち着いた。結婚したが夫や子供も亡くなり、現在は生活保護を受けて、暮らしている』

このとき、軍隊が慰安婦集めをして連行されたような証言をしたのは金学順と文玉珠の2人である。そのため彼女の証言で疑惑の焦点になっているのは、狭義の強制連行=慰安婦になった経緯が軍にさらわれたのか、売られたのかという点である。

それ以外の点では、彼女の何度かの証言の内の大半が、年齢制限に縛られない中国に行って一種の娼婦をしようとしていたことを示唆している。

<場所はテッペキチン(鉄壁鎮?)村の中の慰安所で女は朝鮮人5人で経営者はいないが歩哨が隣の部屋にいる。

「軍人達は自分たちでサックを持ってきました。1週間に1回後方で軍医が兵士を連れてきて検査をしましたが軍医が忙しいと来ない週もありました。軍医が来て少しでも異常があれば黄色く光る606号の注射を打たれるのです。」

「私たちのところに来る軍人は部隊の許可を得ているようでした。始めは軍人達が金を出しているのかどうかまったく分からなかったのですが、しばらくしてシズエから兵士達は1円50銭、将校達が泊まりの時は8円出さねばならないのだという話を聞いたことがあります。けれど私は慰安婦生活の間中軍人達からお金を受け取ったことはありません。」>

1991年12月:日本国を提訴。
1997年12月16日:死去。

証言の信頼性について

ソウル大学の安秉直教授は慰安婦として名乗り出た人の中には事実を歪曲している人もいた事を記し、この調査結果での金学順についてはそうした事はなく証言の信頼性が高いことを以下のように書いている

『調査を検討する上で難しかったのは証言者の陳述がたびたび論理的に矛盾することであった。すでに50年前の事なので、記憶違いもあるだろうが証言したくない点を省略したり、適当に繕ったりごちゃ混ぜにしたりという事もあり、またその時代の事情が私たちの想像を越えている事もあるところから起こったことと考えられる。

(略)私たちが調査を終えた19人の証言は私たちが自信をもって世の中に送り出すものである。(略)証言の論理的信憑性を裏付けるよう、証言の中で記録資料で確認できる部分はほとんど確認した。』(40人を対象に始められたこの調査で、19人が途中ではねられることなく聞き取りを終えた)

吉見義明教授は秦郁彦の批判に答え、3回の彼女の証言の中で安秉直教授による韓国挺身隊問題対策協議会の調査結果が最も信頼できるとしている。生年は戸籍で確認され、ヒアリングは何回も行われており、本人に不利な証言もしているためである。

彼女の証言では秦郁彦と同じように、中国に行くまでの経緯についてまず養父に40円で売られた可能性があることを指摘している。

吉見は証言の中で何が誇張され何がほぼ事実かを判断するのが歴史学での実証的研究であり、漠然と証言間に差異があるとするのではなく、信頼できる事実を判断しくみ取ることを述べている。

その結果彼女が中国で慰安婦になった点では証言間で差異はなく信用できるとしている。しかし日本の軍人たちには玩具にされたにしても、それが日本という国家や軍隊による拉致や支配だったとする証拠はどこからも出てきていない。

安倍総理はどこにも謝罪する必要はない。気の毒に思うとこたえるのは人間として当然ではあるが。今や政治的に騒ぐ中国、韓国の思惑だけの問題になっているわけだ。

とにかく河野洋平元官房長官(衆院議長)が出てきて「嘘をついていました」と告白すれば済むだけの話なのである。それと朝日を信用しないこと。

問題の女子挺身隊(じょしていしんたい)とは、1943年に創設された14歳以上25歳以下の女性が市町村長、町内会、部落会、婦人団体等の協力によって構成されていた勤労奉仕団体のこと。

日本政府は翌年の1944年に勅令第519号をもって、女子挺身勤労令を公布したが、1945年3月に国民勤労動員令によって吸収されたため挺身隊は国民義勇軍に再編成された。韓国では慰安婦と混合されることがあるが両者は全くの別物で、関係ない。

植村記者はそれを知らない上に歴史に偏見があったものだから、日本政府からカネをせしめるための金学順の口車を見破れなかった。まさか知っていて全世界を騙せると考えた、とは記者の先輩として「いくらなんでも」と思いたい。

さて結果はどうなった。裁判。アジア太平洋戦争韓国人犠牲者補償請求事件 。

慰安婦について1991年12月に補償を請求して提訴。1次原告35人うち慰安婦は3名、他は元日本国軍人。2次原告は元慰安婦6人。

2001年に3月に東京地方裁判所は請求を棄却。この時点で金学順は死亡している。 2004年11月 最高裁も棄却。

日本軍の待機部隊の近くに女郎屋(民営)があり、そこに日本人と朝鮮人の婦人は居た。しかし日本軍が募集等に直接関係していたとする証拠はどこからも出てこなかった。

朝日新聞は最近、関東学院大学教授小林博史氏が「アジアの女性が日本軍に強制的に慰安婦にされたことを示す資料を東京裁判の検察側資料として提出されていた」と報じたそうだ。

しかし高山氏は「東京裁判自体が余りまともなものでなかったが、その理由が、ここに言う各国検察団の告発があまりに出鱈目だった。検察の主張はあらかたインチキだった、と断定している。

つまり朝日は謝罪が厭なものだから無かった事件を有ったと、何時までも取り繕い続けているというわけだ。こんな新聞、読みたくない。参考:フリー百科「ウィキペディア」2007・05・09

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