2015年02月16日

◆「習近平は中国にとって危険」

平井 修一



人民日報は時々「?、これは習近平批判なのか」という記事を載せる。中共最高指導部のチャイナセブン自体が三派に分かれているから、人民日報の中にも習支持派と不支持派がいてもおかしくはないのだろうが、今回の鳳凰網に掲載された元人民日報論説委員の論考「ナショナリズムあおるのは国に危険 日中和解が戦後70年の最重要テーマ」(Record China2/15)はかなり強烈だ。

抗日戦争勝利70周年で一気に反日機運を高めたい習近平に真っ向から異を唱えた内容であり、習は論者と鳳凰網を潰しにかかるのではないか。中国では言論は命懸けだ。以下引用。

<2015年2月14日、中国・鳳凰網によると、中国共産党中央委員会機関誌「人民日報」の元論説委員で中国の識者として知られる馬立誠氏は、抗日戦争勝利から今年70年を迎え、「日中の和解が最も重要なテーマだ」と強調した。

さらに、馬氏は「エリートたちが自分の目的のためにナショナリズムをあおり、国に危険をもたらしている」とも警鐘を鳴らしている。

馬氏は論説委員当時、中国のオピニオン誌「戦略と管理」(02年6号)の中で、「対日関係の新思考−中日民間の憂い」と題する論文を発表。中国国内におけるナショナリズムや狭隘な反日感情に疑問を投げかけた。

この論文は中国国民から強く非難されたが、中国のメディアは擁護し、日本でも新しい思想として反響を呼んだ。

鳳凰網で馬氏は「過去に敵国同士が和解した例にドイツとフランス、ロシアとドイツなどがある」と評価。「ドイツとフランス、ロシアの和解は、日中関係の今後に大きな啓示を与えるだろう。中国の科学技術は発展途上だ。日本の技術や人材、管理経験を必要としているから、日本とは良き関係を結ぶべきだ」としている。

その上で「そうすれば日中両国は手を携え、永遠の平和を守ることができる。日中の歴史問題において、われわれは二つの歴史を覚えていかなければならない。一つは戦争の苦難の歴史、もう一つは戦後の和解と協調の歴史だ」と力説している。

一方、日中両国で高まるばかりのナショナリズムに関連して、馬氏は「戦争が近い時代のものであれば、恨みは生々しく記憶され、遠くなれば次第に薄れていく。トウ小平は自ら抗日戦争を経験したにもかかわらず、『過ぎ去ったことは過去のこととする』とまで述べた」と指摘。

「しかし、今日になってそれが過ぎ去ったこととできないのは道理に合わない。ナショナリズムのために日中関係に多くの困難がもたらされているのだと考えている。エリートたちは自らの目標を達成するために大衆のナショナリズムをあおり、国に危険をもたらすのだ」と危惧する。

こうした中で馬氏は「昨年も日中関係は緊張を続けていたが、日本は中国の若者に人気の旅行先となった。春節期間中、中国から日本を訪れる人は4倍になり、東京の三大百貨店は売り上げが5倍以上になったという」と紹介。

「中国の若者は日本メディアの取材に対し、『国同士のケンカにはうんざり。日本文化と日本製品が好きだ』」とコメントしていた。私はここに希望を見いだしている」と、論述している>(以上)

記事中のエリートとは習近平のことだ。情報を遮断されて知的暗闇に置かれている庶民の多くは習を指示しているようだが、情報を得やすいエリート層の中では、習とその支持者以外に反日政策を本気で支持する者はいないだろう。たとえ支持しても、それはわが身の安全のための方便ではないか。内心では「こいつ、中国を潰す気か」と憂慮しているはずだ。

昨年、中国社会科学院が憂慮を表明したら、習は速攻で恫喝。科学院の学者連中は恐れをなして沈黙してしまった。しかし、脅しに屈しない馬立誠氏のような知識人もいることに一縷の光明を見る思いがするのは小生ばかりではないだろう。

以下の記事は中国の洗脳の恐ろしさ、現在の中共の政治の異常さを伝えている。

「これがおかしくなくて、何がおかしいというの? 20代の訪日中国人女性が考える日中関係」(Record China 2/14)から。

<2015年2月13日、中国のインターネット上に、このほど北海道を旅行に訪れた20代の北京出身の女性が、自身の体験と日中関係について記した(以下の)ブログが掲載された。

北海道で数日間を過ごしてから、私は本当にこの土地が気に入ってしまった。ここに来る前、私は北海道に特別な感情は抱いていなかった。チベットのような美しい景色も、欧州のような悠久の歴史も、米国の大都会のような繁栄もない。では、どうして私は北海道に引かれてしまったのか。

それはおそらく、駅のコンビニで帽子のタグを切ってくれたおばさんや、英語で説明できないために遠い道のりを案内してくれた中学生、少しもゆるがせにせず全神経を集中して寿司を握るおじさんたちの中に理由があるのだろう。彼らの印象が、北海道、そして日本に対する印象に変わった。

身をもって体験していなければ、一衣帯水の隣国の文化レベルがこれほど高いとは想像もつかなかった。一方、中国はどうだろう。街中でお年寄りが転んでも、誰も助ける勇気がない。なんておかしく、悲しいことだろう。文革の10年で文化は荒廃し、人材は失われた。これは、中華民族文化の伝承に修復不能な傷をもたらした。

現在はどうか。ネット規制が敷かれ、フェイスブックやインスタグラムも使えない。外の世界を見ようと願っても、それはかなわないのだ。中国の有識者たちは、そうした国に反対票を投じるために自ら祖国を離れていった。愚民政策が続けば、国民は永遠に未開のまま。一党独裁の悲哀である。

日本人が私に誠意をもって接してくれるとき、中国では同胞が日本車を襲撃している。日本で品質が良く、値段が安い商品を買っているときに、中国では日本製品ボイコットが叫ばれている。これがおかしくなくて、何がおかしいというのだろうか?

国は国、政治は政治である。恨みで両の目を遮ってしまえば、人は極端な方向へ走ってしまう。洗脳がどれほど恐ろしいか。イスラム国はまさに、私たちの鏡なのだ>(以上)

こういうまっとうな人々が増えれば日中は武力衝突を避けられる。我々は彼らを応援すべきだが、どういう方法があるのだろうか。とりあえずは「井伊大老=ISバグダディ=習一人の首を取れば情況は劇的に改善する」ことを訴え続けるしか小生にはできない。

この際、胡錦涛派と江沢民派が永年の憎悪に蓋をして野合し、習とその側近を狙い撃ちにするしかない。「反腐敗運動を終わらせるから」と持ちかければ軍も支持するか中立を守るに違いない。命を惜しむな、名こそ惜しめ。(2015/2/15)
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