2015年02月19日

◆反日記者の無恥・嘘八百

平井 修一



久々に反日屋の言葉に触れて、少なからぬショックを受けた。完全にイカレテル! 志葉玲著「ジャーナリストが行かなければ紛争地の真実は伝えられない テロをなくすために日本が本当にやるべきこととは」(JBプレス2/13)から。

<ジャーナリストの後藤健二さんがISIS(イスラム国)に殺されてしまったことは、筆者とっては、他人ごとではなく衝撃的だった。後藤さんと面識はなかったが、同業者として、非常に残念に思う。

またこの事件を利用して、政府がジャーナリストの活動を封じ込めようとしていることにも、それに同調する意見がネット上に少なからずあることに、危機感を感じる。

そこであくまで筆者の私見になるが、ジャーナリストたちはなぜ、紛争地に行くのか。また、なぜ中東が現在のように混乱した状況になったのか、論じたい。

*報道は民主主義の要であり平和に貢献する

講演などで、筆者が必ず聞かれることは「なぜ、危険な紛争地に行くのか?」ということだ。これについては、大きく2つの理由がある。

1つは、報道によって、少しでも戦争で傷つき殺される人々を減らすことができるかもしれないということだ。

2014年夏のパレスチナ自治区ガザへのイスラエル軍の侵攻、特に地上軍の侵攻以降では、日本人ジャーナリストは筆者含め3人しかいなかったものの、世界各地からジャーナリスト達がガザへ集結していた。米国やイギリス、ドイツやスペイン、インド・・・etc。

各国のジャーナリストが現場からイスラエル軍の無差別攻撃の実態を報じたのである。イスラエルが圧倒的な軍事力を持ちながら、ハマスとの停戦に応じざるを得なかったのは、現地から報道に世界中の人々が憤り、国際世論がイスラエルへの圧力となったからだろう。

イラク北部や中部、西部のスンニ派教徒にとって、イラク政府よりはISISの方がマシという状況があり、だからこそ2〜3万人程度の兵力で人口200万人のイラク第2の都市モスルほか広範な地域で影響力を行使できているのである。

つまり、現在も続けているイラク政府やシリア政府の戦争犯罪を国際社会が止めようとしないことこそ、ISISが勢力を拡大してきた直接の原因だ。

イラク政府やシリア政府に対しても、残虐行為や空爆を止め、和解を促すように訴えるべきだ。それが奏効すれば、ISISはその勢力を弱めていくだろう>(以上)

「ジャーナリストが行かなければ紛争地の真実は伝えられない」と言うが、本当なのか。

光州事件は1980年5月18日より10日間、韓国の全羅南道光州市で起きた学生・市民による反政府暴動事件だが、これを現地取材した記者が「あちこちで戦闘が行われているので、どうなっているのか全然分からなかった」と書いていた。

それをはるかに遡るベトナム戦争。大辞林によればこうだ。

<ベトナム戦争:ベトナムの独立と統一をめぐる戦争。1960年結成の南ベトナム解放民族戦線は、北ベトナムの支援のもとに、南ベトナム軍およびこれを支援するアメリカ軍と戦い、69年臨時革命政府を樹立。73年和平協定が成立しアメリカ軍が撤退、75年南ベトナム政府が崩壊、翌年に南北が統一された>

世界中からジャーナリストが南ベトナムに集まって報道し、小学生だった小生は「特派員になりたい」と思ったものだが、核心的な真実はまったく報道されなかった 。枝葉末節の民族戦線・北ベトナム応援の現場報告ばかりだった。

現場報告では、主役(いい者)は南ベトナム解放民族戦線と北ベトナム、敵役(悪者)は南ベトナム軍およびこれを支援する米軍となっていた。

民族戦線は、コミンテルンが創始した人民戦線であり、共産主義者から愛国者までの緩やかなつながりだったが、敵に対しては残虐で、大量処刑をしたほか、一般市民を巻き込む無差別爆弾テロ事件も各地で数多く起こした。

事実上、ベトナム労働党(共産主義)が指揮したが、その上の最高司令部は当然、北ベトナムだった。

ベトナム戦争は本質的には共産主義国家・北ベトナムによる資本主義国家・南ベトナム侵攻戦争だったのだが、世界中のマスコミも記者も、昔からソ連・中共・共産主義=善、米国・日本・資本主義=悪という思想に染まっているから、民族戦線・北ベトナムを応援し、米軍・南ベトナム軍の残虐振りを指弾するばかりだった。

この偏向報道により、世界各地で米国・南ベトナムを非難する反戦運動も盛り上がり、米国では厭戦気分が蔓延していった。

1973年に南北および米によるパリ和平協定が成立し米軍が撤退すると、北ベトナムは「アメリカの再介入はない」と判断、南ベトナムを完全に制圧し、南北ベトナムを統一すべく1975年3月10日に南ベトナム軍に対する全面攻撃を開始した。

4月30日、南ベトナム大統領が国営テレビとラジオで戦闘の終結と無条件降伏を宣言。その後の午前11時30分に北ベトナム軍の戦車が大統領官邸に突入し、サイゴン陥落、南ベトナムは崩壊した。

北の報復を恐れた多くの人々は難民「ボートピープル」となって故国を離れた。

なお、「裏切られたベトナム革命―チュン・ニュー・タンの証言 (中公文庫)」は、南ベトナム臨時革命政府の元閣僚が、血をはく思いで指導部の矛盾と変質、権力と抑圧を告発し、ベトナム解放のからくりと正体を証言によってあばいているという。書評から。

<戦後、北ベトナムは続々と人員を送り込み支配力を強化、生き残った解放戦線のメンバーをも骨抜きにして、ついにはベトナムの統一を実現します。南ベトナム人民の解放を目指した戦闘は結局、北ベトナムという支配者を生み出しただけのことだったのです>

勝てば官軍、北にとって民族戦線は不要の長物になり、チュン・ニュー・タンはフランスへ亡命した。

以上がベトナム戦争終結40年後の小生の解釈だが、記者連中は結局、共産主義者に「寄り添い」応援したのだ。その従軍取材では南ベトナム軍と米軍の保護を受けていたという、すさまじい矛盾。

志葉玲は昨年のパレスチナ自治区ガザへのイスラエル軍の侵攻についてハマスに同情的、イスラエルに敵対的だが、記者連中はなんとイスラエル軍の保護を受けていたのだ!

田中龍作ジャーナル「外国人記者がイスラエル軍に殺されない理由」
2014/8/24から。

<大半の外国人記者はイスラエル軍の関係機関に自分の「携帯電話番号」
「メアド」「宿泊先」を通知する。ガザのゲートを管理しているのがイスラエル軍だからだ。ガザから退出する際に“お世話になる”。

爆撃から身を守る必要もある。イスラエル軍がメールで「今夜、ガザ市内でも空爆があるので外出するな」と知らせてきたりする。

今回の戦争で外国人ジャーナリストは直接攻撃されていない。イスラエル軍は、パレスチナ人記者と外国人記者を識別できるのである。

携帯電話だ。携帯電話に付いているGPS機能により、イスラエル軍は外国人記者の位置を特定できる。

田中は臆病者ゆえ、イスラエル軍にしっかり自分の携帯電話番号を知らせた。

イスラエル軍は、外国人記者を爆撃に巻き込むことだけは避けたい、と思っているようだ。

外国人記者が守られている極め付けのケースがある。ガザから退出する際の安全誘導だ。イスラエル軍の関係機関から「某日の某時までエレツ検問所まで来られたし」とメールが来る。

ところがエレツ検問所に行くには最激戦地のベイトハヌーンを通らなければならない。イスラエルによる誘導なしでゲートまで行くのは自殺行為に他ならないのだ。 

イスラエル軍の関係機関が指定した時間、イスラエル軍はホテルからゲートまでのエリアの爆撃を控える。外国の記者たちは安全にガザから退出できる、という訳だ。送迎バスが出ていた時期もあった。

外国人記者の安全を二重三重に守るイスラエルが、海外メディアに期待する見返りは何か。今回の戦争に限っていえば、虐殺などの重大局面で、海外メディアの報道がイスラエルに決定打を与えるようなことはなかった>(以上)

イスラエル軍に守ってもらいながら、田中はこう書くのである。

<目の前でイスラエル軍により肉親を殺され、家を破壊されるガザの子供たち。彼らは想像を絶するほどの凄惨な状況に置かれている。(国連の避難所で)ロケットのような絵を描いていたのは、激戦地のベイト・ラフィーヤから避難している少年(11歳)だ。

一緒に避難していた少年の父親は家財道具を取りにアル・シジャーイヤの自宅に帰ったところを、イスラエルの無人攻撃機に狙い撃ちにされた。変わり果てた父親とは病院で対面した。父親の体は四分五裂の状態だった。少年に「ガザから脱出したいと思わないか?」と聞いた。

「考えていない。父のようになって国を守る。ガザを愛している。ハマスは家族のようなもの」。少年はてらうことなく答えた。

父は若い頃、ハマスの軍事部門「アルカッサム旅団」の兵士だった。トラウマとなるほど少年の心に刻印されたイスラエル軍への憎しみは、新たなハマス兵士を生む。イスラエルは敵を作り出しているようなものだ。争いは絶えなくなる>(以上)

ハマスはイスラエルの生存権を否定している。共存を拒否している。平和の敵はイスラエルかハマスか。志葉玲、田中龍作よ、「左巻ジャーナリストが行ったところで紛争地の真実は伝えられない、むしろ歪められる」というのが「不都合な真実」ではないのか。(2015/2/14
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