2015年02月22日

◆百姓は知らしむべからずよらしむべし

上西 俊雄



平井さんの身邊雜記は面白いだけでなく勉強にもなる。3576號(27.2.20) のものはちょっとひっかかったところがあったので一知半解ながら一筆す る。柯隆といふ人の論考「人民はバカぢゃない 中國の愚民政治はいつま で續くのか?」からの引用の冒頭。

<中國では社會主義中國が成立してから一貫して「愚民政治」が行はれて きた。人民を愚民化して、關心を政治からそらす愚民政治は、もちろん中 國の專賣特許ではない。かつて日本でも愚民政治が行はれてゐた。「水戸 藩資料」には、徳川斉昭が「百姓に學問など全く不要だ」と公言したこと が記述されてゐる。>


水戸藩は櫻田門外の變の志士を生んだところ、學問の、つまりは朱子學の さかんなところであったはずだ。中國における愚民政策のやうなものが行 はれてゐたといふのはしっくりこないではないか。


水戸藩資料の原文を知らない。柯氏は直接あたったのだらうか。もし民可 使由之、不可使知之 といふ形であったとしら、解釋をまちがったといふ べきだらう。


高校のときに「百姓は知らしむべからず、よらしむべし」との句を例に江 戸時代が酷い時代であったと教はった記憶がある。


この句は違ふ意味ではないかといふことを、その後耳にしたこともあった けれど、字が異るといふことは露伴を讀むまで知らなかった。以下長いけ れど露伴を引く。


<訓讀訓詁を承け、字を解き文を説くを能くするのは、所謂小學の事であ る。此の小學はもとより大切のことである。小學未だ通ぜずして一足飛び に大旨深意に徹し得べき譯は無いのである。


然るに今の人の氣習として、英雄豪傑の敵陣に臨みて叱咤突破するが如 く、勇猛果敢に如何樣の書でも讀過し了することを爲し、訓讀訓詁などと いふことは大丈夫の事とすべきものではないと云ふやうな料簡方で、一味 の粗笨鹵莽みづから省みることを知らず、自己の意のまゝに解したり、評 したり、論難したりして、大錯誤に墜ち、大狂妄を敢てする如きは、何と も悲むべきことである。


例を以て喩(たとへ)を取らうならば、泰伯篇の、子曰、民可使由之、不 可使知之、の章の如きがそれである。


今の人の言を聞くに、或は此章の意をば、政治は民をしてたゞ爲政者を信 頼させるので宜しい、知らせるには及ばない、といふやうに解してゐるの が多いやうである。


そして此言の含むところの意味を非なりとして難じてゐる者さへ有るのを 聞及ぶ。嗚呼何といふことであらう。


これ皆妄解狂論、取るにも足らぬことであるが、其初は小學に通ぜずし て、由の一字を誤解してゐるところから生じた過失である。

由も邦語の「よる」であり、頼も邦語は「よる」であり、據も邦語は「よ る」であるが、由は頼でも據でも無い。


由は、雍也篇の、子曰、誰能出不由戸、何莫由斯道也、の由であって、決 して依頼の頼だの據有の據だのでは無い。


誰か能く出づること戸に由らざらん、といふのは、内から外へ出るのに開 き戸の有るところから出ぬものは無いといふのである。由の字の味はそれ で曉られる。


又由は自である。詩の、自東自西、自南自北、の自と同じで、東より西よ り、の「より」である。


由の字の是の如きの意義景象を知るときは、民可使由之、といへるを朱子 が釋して、民之をして是理の當然に由らしむべし、といへるのが、實に明 らかな解であることを感じさせる。


又此字を以て此字を解するのが最も善い解字の法だが、若し他字を以て此 字を解するならば、由は用也、といふ古註の説も亦甚だ宜い。


疑ふらくは用は由の倒文であらうと考へた人もあるほどで、經傳に用を以 て由を釋した例は甚だ多い。


用ゐしむべくして知らしむべからずとは、「百姓能く日に用ゐて而して知 る能はざればなり」といふ古註も亦簡明ではないか。


之を知らしむべからずといふ句は、朱子も、「之をして其の然る所以を知 らしむる能はざる也」と、「可」の字に易へて「能」の字を點出してゐる。


是の如くにして、由字、可字を小學的に曉り得れば、此章の旨はおのづか ら分明であり、聖人の禮學政教を以て民を導いて化を成す所以が、恰も平 易坦廣の道路を設けて人をして自から其道路を歩むに至らしめる如くであ ることが分る。


程子が此章を談って、「聖人の教を設くるや、人の家ごとに喩して戸ごと に曉らしめんことを欲せざるにあらざるなり、然れども之をして知らしむ る能はず、但(ただ)能く之をして之に由らしむるのみ。


若し聖人は民をして知らしめずと曰はば、即ち是れ後世の朝四暮三の術な り、豈聖人の心ならん乎」と叮嚀心切に説いてゐる。


朝四暮三の術とは狙(そ)を養ふの術であるが、聖人の民に臨むに、何で 老氏のやうに民を愚にし、莊子のやうに智を以て愚を籠めたり、秦の始皇 のやうに黔首()けんしゅ)を愚にしたりすることを爲すべき筈は無い。


然るに小學を足蹴にするが如き●心大膽、一味鹵莽の人は、由字を解して 頼字と爲し、可からずを解して、宜しからずと爲し、意に從って政教を爲 すを可と爲せるが如くに此章を解し、そして大に之を非としてゐるが如 き、實に無益(むやく)しき議論を數々耳にする。


厭ふべきことである。我邦の學者の中で荻生徂徠はやゝ豪傑の氣象のあっ た、且つ聡明の人であった。然も徂徠は小學に心を致すことの薄からざる 人であった。徂徠する猶小學をおろそかにせぬのに、今の人の漫りに高 ぶって、字義にも文法にも熟通せずに漫讀漫解漫評するが如きは、甚だ不 當のことである。>


●はユニコードの8E81、鹿の上の點のところが々になった形。音ソ。粗に 通じる。


露伴が「今の人の漫りに高ぶって、字義にも文法にも熟通せずに漫讀漫解 漫評するが如きは、甚だ不當のことである」と嘆いたのは昭和十三年。


小生の如きは漢字を全廢せんとした戰後教育の申し子。漢字を體系的にみ ることもならはなかった。


生産據點を國内に戻す動きがあることについてNHKのニュースで「餘剩生 産力を補ふために」とまったく逆の表現をした。かういふ調子で外交など やられてはたまらない。


貧富の差による學力の格差を問題にする向きもあるけれど、義務教育が機 能してゐないといふことではないか。


三省堂時代に著者の原稿を文部省式表記に修正する訓練があった。それが 身につかなかった。


最近讀んだ海音寺潮五郎も文部省式の制限假名字母表記であって、「出 づ」とあるべきところまで「出ず」となってゐて、おもはず「イデズ」と 逆に讀むところであった。文體からして制限假名字母であったはずはない のであるが、ネットでしらべると國語問題協議會の『國語國字』(昭和39 年3月)のものがでてきた。


<私共が日本語が今日病んでゐると申しますのは、我々の先人達が日本語 を大事にし、培ふことに努力して、こんなにも立派に發達させて來たもの を、一部の人々がいらぬことをして壞しつゝあり、といふのが言ひすぎな ら、破壞に導くやうなことをしてゐて、その結果が日を追うて大きくなり つつあるからのことであります


秦の始皇帝が書物を燒いたといふ故事があります」が現代の日本國語の新 表記法の主張者らは、この始皇帝の惡業と同じことをしてゐるのです


一體、國語といふものは、民族が過去、現在、未來にわたつて共有してゐ る最も貴重な財産です。ある時代の國民がほしいままに改變してよいもの ではない>


かういふ文章を讀んで、幕府、ではなかった文部省の人間はなんとも思は ないのか。だんだんと當時の武士が過激になっていく氣持がわかる。


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