2007年05月11日

◆得意技は捏造?


                            渡部亮次郎

伊藤律 架空会見記事捏造事件【朝日】

1950(昭和25)年9月27日付け朝日新聞夕刊に人々は驚愕した。

東京本社発行の夕刊社会面7段で扱った日本共産党の「伊藤律単独会見
記」が載ったからである。GHQや警察の追及をかわしている日本共産党の
幹部に朝日新聞記者が単独インタビューしたというのである。

伊藤律氏はレッド・パ−ジ(1949-50年に行われた共産党員の公職追放)で
地下に潜行中だったが、その記事の見出しは「姿を現した伊藤律氏 本
社記者宝塚山中で問答」

「徳田氏は知らない 月光の下 やつれた顔」となっていた。この記事
は、3日後の9月30日付け夕刊で「ねつ造記事と判明した」として、
陳謝と全文取り消しの社告で抹消され、縮刷版のこの日の社会面の中央
は白紙になっている。

『朝日新聞社史』昭和戦後編125ページに「伊藤律架空会見記」の項があ
る。

記事を書いた長岡宏記者(30=当時)は「伊藤律氏との会見記事は、私の仕
組んだ全くの狂言でした」 と弁明。戦後生まれ変わった朝日新聞の輝か
しいねつ造の扉を開いた金字塔。

のちに分ることだが伊藤律は共産中国に匿われていた。

サンゴ事件。

平成元年の4月20日に起きた朝日新聞による自作自演事件。朝日新聞記
者が沖縄にある珊瑚礁にK・Yという落書きを発見、夕刊1面で報じた。

ところが、その後の調査の結果、朝日新聞記者が傷をつけて記事として
書いた自作自演報道であることが発覚した。

当初は傷をなぞって深くしただけ釈明していたがのちに全て記者の仕業
と判明。一柳社長が引責辞任した。辞任した一柳元社長も会見で伊藤律
架空会見記事捏造事件引き合いに出して謝罪した。

第2次NHK番組改変問題

2001年1月30日に放送されたNHK「ETV2001『問われる戦時性犯罪』」の番
組改変問題は国会と裁判所において一応の結論が示され収束していたが、
2005年1月12日に朝日新聞が朝刊1面に突然記事を出し「第2次NHK番組改
変問題」が勃発。未解決である。

http://www.wafu.ne.jp/~gori/diary3/200501251539.html
↑参照。

渡部亮次郎のメイルマガジン『頂門の一針』797号(2007・5・10)で報じら
れた「日本軍が朝鮮人女性をさらって慰安婦にしていた、という話は実
を言うと朝日新聞記者の創作だった」。元産経新聞記者で先ごろまで大
学教授だった高山正之氏が週刊新潮のコラム「変見自在」(2007年5月17
日号)で紹介している。――これがこの通りだとなると明らかな捏造とい
うことになる。


記者の名は植村隆。妻は朝鮮人で、その母は反日団体の幹部だった。
彼が書いたのが『金学順』の物語だった。金学順は14歳で妓生(キーセ
ン)の置屋に売られ、17歳の時に養父に中国奥地の慰安所に売り飛ばされ
た。

それを植村は女子挺身隊の名で戦場に連行され日本軍人相手に売春行為
を強いられた、と書いた。女子挺身隊とは何かも知らないお粗末な原稿
だが、朝日新聞は疑いもしないでそれを載せた。

さらには嘘を厭わない学者や河野洋平のようなおつむにやや難のある政
治家も動員して植村の嘘を飾り立て、遂には『20万人の女を性の奴隷に
した20世紀最大の人身売買事件』に仕立てた」。

いまや中国、韓国に留まらず、日本外交の基軸たる日米関係をも危うく
しようとしている慰安婦問題の真相がこれなのである。なんとも酷い記
者を抱えたものだ。

1958(昭和33)年高知県生まれというからまだ50前。日本で売春が犯罪と
決まった年の生まれだから女子挺身隊も女郎も知るわけない。早稲田大
学政経学部卒。1982年朝日新聞入社。

千葉支局、韓国特派員を経て、現在朝日新聞中国特派員。韓国語の学習
のため朝日新聞社員になってから延世大学に留学もしている。彼の妻は、
日本政府に対してアジア太平洋戦争韓国人犠牲者補償請求事件を起こし
た韓国の太平洋戦争犠牲者遺族会の常任理事、粱順任の娘である。

韓国特派員時代の1991年8月11日の朝日新聞に(10日ソウル発)として初
めて慰安婦に関する記事を掲載。これが韓国のさまざまな新聞に転載さ
れ、慰安婦問題がクローズアップされた。

取材対象であった金学順の証言とされる記事内容と、アジア太平洋戦争
韓国人犠牲者補償請求事件における金学順の陳述に相当異なる点がある。

特に女子挺身隊なる用語と慰安婦を結びつけた『日中戦争や第2次世界
大戦の際、「女子挺身隊」の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春
行為を強いられた「朝鮮人従軍慰安婦」のうち、1人がソウル市内に生
存していることがわかり、』という記述は事実に反するものであるが、
これまで記事内容の訂正はされていない。

全面的な信用を得られないフリー百科「ウィキペディア」だが、朝日新
聞社は以下の項目について反論していない。

<疑義が持たれた報道、スキャンダル

1989年4月20日付の夕刊において、沖縄の自然環境保全地域指定海域にあ
る世界一の大きさを誇るアザミサンゴ[2]に傷がつけられていることを取
り上げ、その象徴として「K・Y」というイニシャルが刻まれた珊瑚の写
真と共にモラル低下を嘆く記事を掲載する。

しかし、疑問に思った地元ダイバーらの調査の結果、記者自身によって
無傷の状態であったのに「K・Y」というイニシャルが刻まれたという捏
造が発覚。[3][4]社長が引責辞任に追い込まれる事態へと発展した。こ
うして、朝日新聞はリクルート事件という一大スクープを放ったにもか
かわらず、その年の新聞協会賞受賞を逃すことになる。

1991年から翌年にかけて「従軍慰安婦」問題の連載キャンペーンを展開、
吉田清治著の『私の戦争犯罪・朝鮮人連行強制記録』にある「昭和18年
(1943年)に軍の命令で韓国の済州島で女性を強制連行して慰安婦にし
た」という体験談を、4回にわたり報道した。

この「体験談」は現代史家・秦郁彦の調査により嘘であることが判明し
(『正論』1992年6月号)、吉田清治本人もフィクションであることを認
めたにも拘わらず(「諸君!」1998年11月号 秦郁彦)、朝日新聞は何ら
反応を示さなかった。

又、1991年8月11日付け朝日新聞は、社会面トップで「思い出すと今も涙」
「元朝鮮人従軍慰安婦 戦後半世紀重い口開く」とのタイトルで、「日中
戦争や第二次大戦の際、女子挺身隊として戦場に連行され、日本軍人相
手に売春行為を強いられた朝鮮人従軍慰安婦のうち、一人が名乗り出た」
と報じた。

この朝鮮人慰安婦の「女子挺身隊として戦場に連行され」たという話に
も、「当時、女子挺身隊という制度自体が無いばかりか彼女は親により
公娼として売られたことを語っており、全くの捏造である」との反対意
見が出されたが(『諸君』1996年12月「慰安婦『身の上話』を徹底検証
する」秦郁彦著)、朝日新聞は反応を示していない。

1996年、フリージャーナリストの岩瀬達哉は、雑誌『Views』に発表した
「株式会社朝日新聞社の研究」(のち「朝日新聞社の研究」と改題して
『新聞が面白くない理由』に収録)において、巻頭コラム「天声人語」
の執筆者だった疋田桂一郎や、海外ルポルタージュで知られる本多勝一
らの著名記者が、リクルートから、リクルート事件が発覚する前年の
1987年に接待を受けていたと報じた。

本多は編集長を務める雑誌『週刊金曜日』や、雑誌『噂の真相』での自
身の連載記事・コラムで岩瀬の記事を捏造と非難した上、岩瀬に対し
「講談社の番犬」「狂犬」「売春婦よりも本質的に下等」「(フリージ
ャーナリストは)卑しい職業」の言葉を浴びせた。

これに対し岩瀬は本多と疋田を名誉毀損で告訴し、本多も反訴した。東
京高裁は2005年3月、岩瀬の記事について名誉毀損、また本多の反論も
「限度を越えた」と認定、互いに敗訴で確定。

2002年6月にはFIFAワールドカップに関連して、「日本代表での最後の W
杯。 国の名誉という鎧を着せられた試合は楽しめない。 中田英寿選手
が周囲に語る」との記事を掲載し、中田選手が否定して抗議したにもか
かわらず謝罪しなかった。

4ヵ月後、中田選手が再び日本代表になったときも、「記事内容と異なる
結果になったことをお詫びします」と謝罪しつつ、あくまで報道自体は
正しかったと主張した。

2002年4月20日の朝刊に掲載された有事法制に関する FAQ の中で、「ミ
サイルが飛んできたら?」という問いに対して「武力攻撃事態ということ
になるだろうけど、1発だけなら、誤射かもしれない」と回答した。

2004年、社会部記者が取材でミニディスクに無断録音し、さらに録音内
容を第三者に渡したため朝日は記者を退社処分にした。朝日は処分の理
由は無断録音ではなく、取材相手に敵対する側に内容を渡したからと説
明しているが、結果的に今後取材の録音には相手の内諾を得ると内規を
作った。

2005年1月12日、自民党の安倍晋三・中川昭一両議員から2001年1月30日
放送のNHK番組の編集についてNHK上層部に圧力があったのではないかと
する報道を行った。

7月に、朝日新聞は上記報道の検証記事を掲載した。8月に社内関係者が
番組改変の証拠とされる録音テープを魚住昭にリークして講談社の月刊
誌『現代』に書かせた。

9月30日、朝日新聞がNHK番組改変疑惑の信憑性の検証を委託した第三者
機関「『NHK報道』委員会」が「(記者が疑惑を)真実と信じた相当の理
由はあるにせよ、取材が十分であったとは言えない。」(「NHK報道」委
員会の見解より引用)という見解を出す。これを受けて朝日新聞は取材
の不十分さを認めた。

一方で記事の訂正や、謝罪はなかった。委員会の見解でも、朝日新聞は
検証が十分ではないと指摘されている。番組改変の記事を執筆した記者
は激しい批判を受け、2006年に異動になった。

2005年8月21日の朝刊に亀井静香と田中康夫が長野県内で会談を行なった
という記事が掲載された。この記事は、取材をともなわない虚像のメモ
をもとに作成されたもので、実際は東京都内で会談が行なわれていた。

この事件などをきっかけとして朝日新聞の改革が行なわれた。詳細は朝
日新聞の新党日本に関する捏造事件を参照。

2005年10月19日の朝刊で「首相の靖国参拝 賛否二分」という世論調査
を元にした記事が掲載されたが、その記事の内容をめぐって前日に社員
同士が暴力沙汰を起こし築地署に110番通報していたことが判明した。40
代社員が30代社員に暴行を加え、警察に助けを求めようとした際に携帯
電話を破壊したとされる。

皇室典範改正について2006年2月02日の社説で寛仁親王に発言を控えるよ
う忠告するが、昭和天皇の靖国に関する発言(いわゆる富田メモ)が報
じられた後の7月21日の社説において「重く受け止めたい」とし、皇族の
発言の政治利用についてオポチュニズムが徹底している。

2006年末から2007年初頭にかけて、静岡総局長の私有パソコンからWinny
を通じて個人情報および業務情報が流出した。これによって社員年収の
情報も露呈して、格差社会の頂点に立つ朝日新聞の実情が明らかとなり、
インターネットの掲示板で批判と羨望を受けた。

2007年1月6日の夕刊で「スポーツ総合誌 苦境」という記事が掲載された。
この記事はスポーツ総合誌を「冬の時代に入った」と批判する内容であっ
たが、"Number"(文藝春秋社)に関して事実と反する部分が存在した。

2007年2月1日、1月30日の夕刊で掲載された富山県のかんもち作りに関す
る記事で、朝日新聞東京本社編集局の駐在員が、読売新聞のインターネッ
ト版に27日に掲載された「寒風で育つかんもち」という記事を盗用して
いたことが判明する。

問題の駐在員は、「読売新聞のホームページの記事を参考にしながら自
分の原稿を書き直した」と話しているという。朝日新聞東京本社では1日
午後に読売新聞に謝罪した。後に他の2件の記事も同じく読売新聞のホー
ムページ記事から引用されていることが分かり、記事を書いた記者を解
雇するなどの処分を行った。

漫画家の小林よしのりと対立関係にあり、彼の作品である「戦争論」等
を巡って社説で数回にわたり直接批判した。朝日新聞が社説において一
般人(政治家等以外の立場の人物)を複数にわたり批判したのは小林の
みである。

社会主義陣営に対する報道とそれに対する批判

朝日新聞の中国報道は批判の中でよく言及される。主に朝日新聞の特定
の記者への批判がなされている。

また、北朝鮮についても同様のことが行われたと主張する論説もある。

朝日新聞の論調は、敗戦を契機として180度の極端な変化がみられた日教
組と同じく敗戦トラウマと揶揄されることが多いが、基本的に「戦後民
主主義を先導する社会的エリート」という意識が強すぎる。

そのため記者たちはプライドが高くて他を見下す傾向にあり、報道にお
けるミスがあってもすんなり謝罪したり認めたりしないという点が認め
られる、とウィキペディアに指摘されている。 2007・05・10


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