平井 修一
1975年のイラン革命あたりから世界はおかしくなり始めた。イスラム教による政教一致の国が生まれたのだ。西側世界の自由、民主、人権、法治とはまったく異なる国家だ。
以来、イスラム教の原理主義、聖戦主義などの過激派、たとえばハマス、ヒズボラ、ムスリム同胞団、タリバン、アルカイダ、ISなどの武装勢力と、2001年の9.11に代表されるテロ事件が世界中に目立ち始めた。
フォーリンアフェアーズレポート2015年2月号から。
<フランスのアルジェリア人 フランス紙銃撃テロの教訓
17人が犠牲になった2015年1月のフランス紙銃撃テロは、イスラム過激派がフランスを対象に実施した初めてのテロではない。実際には、1995年以降、フランスで起きたイスラム過激派のテロによって12人を超える人が犠牲になり、数百人が負傷している。
しかも、これはフランスに留まる話ではない。最近の歴史から明らかなのは、ジハーディストが攻撃を正当化する大義をつねに見いだすということだ。
2011年のフランスによるリビア介入でなければ、2013年のマリへの介入が大義に持ち出される。外交政策でなければ国内政策が、ヘッドスカーフ(ヒジャーブ)の公共空間での禁止でなければ、侮辱的な風刺画を描いたことが攻撃の大義にされる。
この理由ゆえに、今回のテロ攻撃から教訓を学ぼうとしても、それを政策として結実させるのは難しい。テロリストは攻撃を常に正当化しようとする>
テロリストは自分たちの仲間以外は敵であり、殺害することは正義だと思っている。話し合いができる相手ではないのだ。なぜこうしたテロリストが量産されるのか。同誌から。
<ヨーロッパのイスラム教徒 アイデンティティ危機とイスラム原理主義
ヨーロッパで暮らすイスラム教徒の若者たち、特にミレニアム世代の若者たちは、アイデンティティ危機に直面している。自分が誰なのかを自問し、両親もその答をもっていない自画像の問題に思い悩んでいる。
こうし、インターネットで情報を探したり、答を示してくれる人物がいそうな場所に出入りしたりするようになる。パリのテロ事件にも、明らかにこのメカニズムが作用している。
次の段階に進もうとアイデンティティを模索するヨーロッパのイスラム教徒の若者たちが、イスラム過激派・原理主義勢力が示すストーリーに魅了されるのは不思議ではない。
問題は、イスラム過激派がイスラム教徒はどのようにあるべきか、どのように暮らすべきかだけでなく、彼らを取り巻く環境がどのようなものでなければならないかについて、極端に厳格でイデオロギー的で、教条主義的な立場をとっていることだ。
彼らは他者への寛容という概念を明確に拒絶し、「われわれ対彼ら」という精神構造をもっている。これを解体しなければならない。だが、イスラム過激派のイデオロギーに対抗できるのは、同じイスラム社会内部の信頼できる人物によるメッセージだけだろう>
過激派VS世俗派、過激派VS他宗派、過激派VS欧米世界。欧州はイスラム過激派にうんざりし、彼らを追放しかねない反作用も盛んになっている。同誌から。
<台頭するドイツの右派運動 西洋のイスラム化に反対する愛国的ヨーロッパ人
ドイツの極右運動ペギーダが動員するデモ隊は「重税、犯罪、治安問題という社会的病巣を作り出しているのはイスラム教徒やその他の外国人移民だ」と批判している。
「ドイツはいまやイスラム教徒たちに乗っ取られつつある」と言う彼らは、「2035年までには、生粋のドイツ人よりもイスラム教徒の数の方が多くなる」と主張している。実際には、この主張は現実とはほど遠い。
それでもドイツ人の57%が「イスラム教徒を脅威とみなしている」と答え、24%が「イスラム系移民を禁止すべきだ」と考えている。
右派政党「ドイツのための選択肢」を例外とするあらゆるドイツの政党は、ペギーダを批判し、彼らの要求を検討することさえ拒絶している。だが今後、「ドイツのための選択肢」の支持が高まっていけば、ペギーダ運動が政治に影響を与えるようになる危険もある>
「ここ数年はフランスやオランダ、英国でこのようなナショナリズムを打ち出す政党の躍進が目立つようになっている。伝統的な生活様式が脅威にさらされているという、欧州市民の間で高まる不満がこれを後押ししているからだ」(WSJ1/9)
2014年春のピューリサーチセンタの調査では、人口に占めるイスラム教徒の比率(カッコ内%)と「イスラム教徒に対する非好意的な見方」の率はこうだ。
イタリア(2.6)63%、ギリシャ(4.7)53%、ポーランド(0.1)50%、スペイン(2.3)46%、ドイツ(5.0)33%、フランス(7.5)27%、英国(4.6)26%。
イスラム教徒に好意的な国民もおり、たとえばフランスでは72%、英国でも64%もいる。しかし小生が思うにこれは「自分はリベラルなのだから寛容であるべきだ」と思っているためではないか。
実際の生活のなかでの“体感嫌悪度”は1年前と違ってかなり上昇しているのではないか。欧州市民は今ようやく移民を批判する自由を手に入れつつある。
日本がイスラム過激派の攻撃を避けるために何をすべきか。まず単純労働の移民を絶対受け入れないことだ。移民受け入れ諸国の失敗から学ぶべきである。(2015/3/4)