2015年03月08日

◆クラシックは新しい

渡部 亮次郎
 

「べートーヴェンは何かを語っているし、モーツアルトははしゃいでいる」と私は思う。

今の人は知らないだろうが、SP(standard play)版のレコードとは1枚に3分半しか録音されてない。もちろん裏面にも3分半録音されているが、その都度ひっくり返さなければならないから面倒だ。

クラシックの長い作品だと10枚で1曲なんていうのがあった。そのころからわずらわしさを感ぜずにクラシックを聞いていたというのは昭和1桁生まれの人たち。

SPがLP(long play)に変わるのは敗戦後しばらく経ってからだった。私は1950年を過ぎて高校に入った頃、ショパンの軍隊ポロネーズをLPで、生まれた初めて聴いた。

友人が「隠れて兄貴のレコードを持ち出してきた」と言った。ピアノの音にこれほど身を乗り出して聴く自分を発見して驚いた。高校で「音楽」は選択科目だったが選択しなかった。よく音楽教室からレコードで音楽が聞こえてきて授業が耳に入らなくなったものだ。

50年経って聴きなおすとあれはモーツアルトのセレナード「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」だったのだ。永年、刺身や寿司を食べずに大損をしたように、私は音楽でも読書でも他人に引けをとり実に貧しい半生を送ってきた、と臍を噛んでいる。

私の幼少期は「流行歌」という名の演歌と共にあって、クラシックとは全く無縁だった。家の周囲は見渡す限りが田圃。東の遠くに出羽丘陵が連なっていた。西側には男鹿半島の山2つ。だから学校で「写生」の時間に困ったものだ。描くものがどこにも無いのだから。

家の向かいに1歳上の少年がいて蓄音器と「種板」つまりレコードを持っていた。もちろん兄たちの持ち物。それを2人で鳴らして遊んだ。蓄音器はぜんまい式だった。

東海林太郎、霧島昇、伊藤久男、藤山一郎,渡邊はま子、ディック・ミネといった人たちのものばかり。今で言う元祖演歌の主たちである。擦り切れるまで聴いた。

やがてHNKのラジオ歌謡が流れ始めてそれに馴染んで行った。のど自慢の県大会に出て「チャペルの鐘」を歌ったが、チャペルってなんだか知らなかった。東海林太郎が秋田中学(旧制)の大先輩、上原敏が同じ秋田の人とは子供の頃は知らなかった。

いかなる因縁かラジオ会社のNHKに入り、やがてそれはTV会社になったが、配属された部門はニュースそれも政治関係だったから音楽には縁が無くて過ぎた。

30を過ぎた頃、新宿の飲み屋で演歌師のアコーデオン伴奏で歌ったら客の1人に「あなた、歌手になりませんか」と言われた。著名なコーラス・グループのマネージャーだった。政治記者が演歌歌手デビュー、面白いが冗談でしょう。

50を過ぎてCDというものが流行りだした。1枚3、000円で60分とか70分録音されている。これはいいというのでCDのコレクションができた。3,000枚ぐらいはある。だが気がついてみればそれらはみな演歌だ。

ある日突然、頭の中でモーツアルトが鳴った。20代の終わりごろ岩手県盛岡市でNHK交響楽団が聞かせてくれた曲。頭の中で何十年ぶりかでなぜか鳴り響いたのである。調べたらそれはピアノ協奏曲20番であった。

小島新太郎さん(ケーブル・パーソンズ社長・故人)によるとクラシックはまずメロディーの美しさが人間をひきつける。それからリズム、ハーモニーの美しさがわかればクラシックの虜になる、という。器楽はだから言葉が分からなくても理解できる。

その点、歌曲は言葉が分からなければ本当の理解は出来たとは言えない。言われればその通りである。20番のメロディーを美しいものとして頭が記憶していたらしい。

だから頭が「美しい音楽だな」と記憶すればその曲が好きになり、何度でも聴きたくなるそうだ。そうやってレパートリーが増えて行く。だとすれば芸術を好きになるためには経済力が親になければならないことになる。

昔、小島さんを先頭にして欧米のケーブル・テレビ事情を視察したことがあるが、その時のある青年は旅行中、レシーバーを両耳から離さなかった。毎日まいにちモーツアルトを聞き続けていたのである。モーツアルトってそんなにいいですか、いいですねえ。

私は60を過ぎるころモーツアルト、チャイコフスキー、ラフマニノフ、ベートーヴェンなども聴くようになった。面白いことにクラシックを聴きなれると演歌は薄っぺらく感じられて聴かないようになる。

人には演歌もクラシックも聴くといっているが、どうも耳は別のように思えてくる。クラシックは本だが、演歌は雑誌のようだ。しかもモーツアルトははしゃいでいるし、ベートーヴェンは演説をしているように重い。

モーツアルトの時代は宮廷音楽家が小さな部屋に集められた小人数の客を前にいわば温和しい音楽で済んだが、ベートーヴェンの時代になると一般大衆を大きな会場に集めての演奏となったから、ジャジャジャジャーンといった耳目を集める音楽の時代となった。

まさに演説するような音楽になったのではないか。勿論、作曲家自身の性格も反映されるだろう。チャイコフスキーはホモがばれて秘密法廷で自殺を強要されて毒をあおったとか。しかし数々の美しいメロディーはホモゆえの美しさだろうか。

1951年ごろ、毎朝、通学列車を降りると秋田駅で必ず鳴っていたのは彼の名作ピアノ協奏曲第1番だった。すさんだ世相に逆らうように駅構内にクラシックを流す職員があの当時の「国鉄」にはいたのだ、秋田に。

それにしてもこれら大作曲家に匹敵する作曲家が20世紀以後出現しない理由は何だろう。失われたのはメロディーかリズムかハーモニーか或いはそのすべてか。現代というものが美しい音楽を生み出させない何かのエネルギーを発散しているのか。いずれクラシックはいつまでも新しい。
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