2015年03月18日

◆世界が認めた「新しい日本」

坂元 一哉



「われわれはこの人類の大災厄において古い日本が演じた役割を悲痛な気持ちをもつて回顧するものであります」

これは吉田茂首相がサンフランシスコ講和会議(昭和26年)で対日平和条約を受諾する際に行った演説の一節である。連合国の代表たちが、戦争の多大な損害について語ったことに答えるものだった。

吉田の演説で、戦争反省に関するものはこの言葉だけである。当時、吉田の演説を聞いた人々に、日本人の戦争を反省する気持ちがよく伝わったかといえば、心許(もと)ないところがある。

だがもしいま、戦後70年の節目に立って、この言葉をまた述べるというのなら、話は別だろう。この間、日本は平和条約に基づいて平和国家の道を堅実に歩み、吉田の言葉にはなかった明確な謝罪も繰り返している。その代表例が、戦後50年の村山談話である。

 安倍晋三首相は、自らが出す戦後70年の「安倍談話」には、この村山談話、あるいはそれを踏襲した戦後60年の小泉談話を「全体として引き継ぐ」と表明している。

それは賢明なことだろう。仮に「引き継がない」となれば、国際社会からは、いったん明確におこなった謝罪を取り消したと受け取られかねない。

もっとも、この「引き継ぎ」が、新たな謝罪と受け取られないように注意すべきである。謝罪を日本のように繰り返す国はない。むろん他がやらないからやらない、というものではないが、新たな謝罪となれば、これまでの謝罪は何だったのかとなるだけだろう。

新しい談話は、謝罪を繰り返すのではなく、これまでの謝罪を確認するという意味で、村山談話を「引き継ぐ」ものであってほしい。

そのうえで、あらためて反省の気持ちを述べるのはいいことだと思う。世界には反省すべき過去があっても反省できない国が少なくないが、日本は違うことを示したい。

実は吉田の演説は、冒頭の一節に続きがある。

「私は、古い日本と申しましたが、それは古い日本の残骸の中から新しい日本が生まれたからであります」

吉田は、その「新しい日本」が、「極東ならびに全世界における隣邦諸国と平和のうちに」暮らそうとしていること。国連憲章の前文にあるような「平和と協調」の時代を到来させるため、「平和、正義、進歩、自由に挺身(ていしん)する国々」と一緒に全力をつくそうとしていることをアピールした。

この吉田のアピールを、連合国が頭から信用したとは考えにくい。とくに、日本の軍国主義再来を強く警戒していた国々がそうしたとは考えにくい。

しかし昨年、安倍首相がその一国である豪州を訪問した際には、アボット豪首相が、日本は70年前ではなく、今日の行動で判断されるべきだ、と明言している。戦後の日本人が、戦争への反省とともに築き上げてきた「新しい日本」が世界に認められている。そのことを示す例だと考えたい。 
                          (大阪大教授)
産経ニュース【世界のかたち、日本のかたち】 2015.3.16
                    (情報収録:久保田 康文)
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック